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親父たちよ

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  • from: クマさんさん

    2013年09月10日 11時28分31秒

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    これからの5年間は

    本当に居ても居なくてもいい親父になってしまった。
    人生は、上り坂と下り坂とまさか何だと山の仲間に教わった。
    今は下り真っ盛りでありながら、まさかの連発である。
    ここから、何を学ぶかなのだと、諦めてはいるが・・・・。

    「病になったら、病になりきるがよい」とは、良寛さんだ。
    どうしてこんなになったのかと、思い悩むことで病を進める。
    その妄想を断ち切って、ここに生きることが大切なのだ。
    やれなかったことばかりだった。
    そう思い悩んだところで、時間は戻ってくるはずはない。
    できるのは、今ここ、この瞬間しかない。

    時々、思うことがある。
    きっと向こうから来てくれるはずだと。
    いろいろと私が思い悩んだところで、解決はしないのだ。
    それは、何だかそのままに任せて、成りきっているいるうちに、
    「あっ、そうか」「そうだったのか」と、思う時が来るのだと想っている。

    振り返ってみたら、人生5年スパンで何事かをやってきた。
    山のクラブを立ち上げたことから始まった。
    次に、学校ビオトープだった。
    そして、沼垂のまちづくりにもかかわった。栗の木川桜祭りだ。
    次は、この生まれ育った地元に帰って、親父の会と音楽イベントだった。
    そして、市民劇団の立ち上げと、公演だった。

    面白かったなぁと、今でも思う。
    本当にやり甲斐のある仕事ばかりだったし、
    そこで出会った多くの仲間たちが財産だった。
    そして、思い描き、願っていたことをやれたという充実感がある。

    昨日、Sさんが新潟にいらしたので、駅前で「途中の会」ができた。
    その時、駅の真正面に馬鹿でかい「慈眼」ま劇の看板が立てられてあった。
    何だか感無量だった。
    ワンコイン劇団から始まった市民劇団が、
    こうして新潟駅のメインな場所に看板イベントとなっているのだった。
    Sさんも、感心してその看板を見ていてくれた。

    居ても居なくてもいい男は、それなりには生きてきたのだ。
    やっぱり時には熱く、時には冷静に、
    時には大いなる夢をもって邁進していたのかもしれない。
    その結果かが、新潟駅での巨大な看板なのだ。

    しかし、しかしなんだ。
    一向に先が見えない生活の中で、日々悶々とすることも多い。
    人は、思う通りには生きられないけれど、
    想いを持たせてもらったら、それなりにその想いは果たせるのだと、
    自分自身のことを振り返って感じている。

    それでは、これからの5年間とはいったい何を私には求められているのだろうか。
    そこを考えると、今はちょっとばかり辛いのだ。

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    waka

  • from: クマさんさん

    2013年09月09日 10時14分05秒

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    無為自然

    東京オリンピックが2020年開催されることが決定した。
    後、7年後である。
    私は、何と63歳になっている。何をしていることだろうか。
    この世で生きているのかどうかも定かではない。
    しかし、このオリンピックの決定により、
    何か7年間の自分の人生を考えさせられたのは私ばかりでないと思う。
    生きるとは、それだけ不確かで、明日もしれないものなのだ。

    人生を振り返ることが多くなった。
    庭に出ることも多くなったせいもあるが、海に行ってたそがれることも多いからだ。
    何もしない時間とは、人はとても無駄な時間だと考える。
    それは、仕事もしないで怠けている時間でもある。
    しかし、人には、何もしない時間はあっていいのだと、思えるようにもなった。
    そのおかげで、やっと気づくものがあるからだった。

    大きな川の流れの中にいれば、その流れに流されるばかりだ。
    しかし、その流れから岸辺に上がり、その流れを眺めていると、
    風景が変わったことがよく分かる。
    やすらぎ堤で、信濃川を眺めるとホッとする。
    人生では、そんな岸辺に上がって、日常の流れを眺める時間はありなのだと思った。

    そうすると、全てのものは変化していることがよく分かった。
    「変化」は、時には「成長」であり、「衰退」でもあろう。
    しかし、本当に全てのものは変化して、流れゆくものなのだ。
    確かだと言えることは、「変わる」ということだった。

    それから、全てのものは「繋がっている」ことにも気づいた。
    この川の流れは永永として上流に繋がり、山の奥深くに繋がり、小さな沢に繋がっている。
    その水の繋がりが断たれていては、この川は存在しないのだ。
    そして、雲は海と繋がり、雲は川と繋がっている。
    とごをどう捉えても、そこには水の循環に充ちているのだ。
    この草とあの草とは繋がっている。大地はとは限りなく繋がっているからだ。
    土からの力を根っこで受け取り、空からはお日様や雨や風の慈悲を受ける。
    一つ一つの命は別物のようでありながら、
    生きている命の基本では、全ての命は繋がっている。
    人も、その繋がりの一つでしかすぎないのだ。

    「みんな違っている。」
    それはそれは当たり前のことで、
    どんなに小さな葉っぱでも、それと全く同じものを発見することは不可能なのだ。
    こんなに違っているものばかりだ。
    全て自然の命とは、個として存在しているものなのではないだろうか。
    庭で見つけた一匹のカナヘビも、あの無心で草を食べるアメリカシロヒトリも、
    よくよく見れば、世界中でたった一つの個なる存在なのだ。
    それでは、みんな違っているという真実の中で、
    いったいどれがどれだけ偉いと言えるのだろうか。
    どれが一番で、どれが二番になるのだろうか。
    どれがよくて、どれが悪いというのだろうか。
    違うということは、個が個のまま認められるということなのだ。
    もう一つは、絶対に比べて評価をできないとすうことなのだ。

    「変化する」ものであり、
    「繋がっている」ものであり、
    「みんな違っている」ものである。

    それは、自然なのだが、自然がそうであるからこそ、
    ここまで生き続けているのだと私は思った。
    しかし、この人が作る世の中や、社会や、学校は、
    どうもその反対の方向に向かっているような気がして仕方ない。

    「無為」であることで、原点に還る。
    そこには魂の故郷があるのだった。
    そこで初めて人は、「自然」に気づくのだった。

    「無為自然」とは、老子の道そのものだった。




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  • from: クマさんさん

    2013年09月05日 14時50分31秒

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    「湯沢の森の物語」を

    さてさて、「湯沢の森の物語」の話をしよう。
    森には太古から続く命の物語に満ちている。
    その物語は、かっては人々に語り継がれてきたものだった。
    伝説となり、言い伝えとなり、そりは孫子に伝えられた。
    何故ならば、その森の命で人々は生かされていたからだった。
    その生態系の輪の中に人は存在していたのだ。

    そんな自然から離れ、その恩恵と直接的にかかわらなくなってしまった人たちは、
    その自然を汚し、破壊し、繋がりを断つことを何とも思わなくなってきている。
    放射能で汚染された水を海に垂れ流すのが現代だ。
    自然と共に生きることで、自然によって命を守られてきたのは、人なのに、
    その恩恵を忘れ、我が物顔に人は生きている。

    聖書でも書かれているが、驕り高ぶり、欲望で生きる人間たちには、
    いつの時代でも、大自然からの鉄槌が食らわせられる。
    ノアの方舟・バベルのとう・ソドムとゴモラ。
    欲望で心が曇ってしまった人間を、一気に滅ぼしてしまうのが神でもあった。
    天は、今、人々をどのように眺めていることなのだろう。

    森も同じだった。
    人が森の心を忘れたとき、人は迷いの中を彷徨ってしまうのだ。
    森の中で道を見失った人は、その道を森に尋ねればよいのである。
    そしたら、きっと歩くべき道を、森は示してくれるはずだ。
    そんな物語が書けないかと、考えている。

    「湯沢の森の物語」がミュージカルになったら、どんなに素敵なことと想っている。



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  • from: クマどんさん

    2013年09月04日 15時20分54秒

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    廃校の学校の活用を

    さて、そこで問題になるのは、統合され廃校となった学校だ。
    実は、集落にとっては学校とは公民館のような役割を果たしている場所なのだ。
    運動会や文化祭には、地域のお年寄りも参加するし、
    子供達と地域の人との交流の場として、学校の果たしている役割は大きい。
    おらっての学校が消えるということは、その集落にとつては大きな損失でもあった。
    そして、問題は、その子供たちがいなくなった校舎の活用方法なのだ。
    学校とは、その集落における文化のむ発信基地でもあるので、
    そこを今後も地域コミュニティーの交流・発信の場としての活用を考えて、
    学校の統廃合は行われるべきではないだろうか。

    そこで、この校舎と校地とをコミュニティーの公園として活用してはどうだろうか。
    湯沢学園の森と同じように、地域の有志が集まり、グラウンド等を使って、
    森を作るのだ。
    そこには、地域の自然の生態系を復元し、保護する場所とする。
    また、森を作り、里山のような人と自然とが共有できるスペースとする。
    自然観察や自然体験のできる場所を作り、
    湯沢学園に通う地域の子供の遊び場にしてはどうだろうか。
    そうすると、学園の森ともリンクできる教育環境ができるはずだ。

    また、校舎を利用した宿泊施設を作るのである。
    これは山北町の八幡に同じく廃校の校舎を使った宿泊施設があるが、
    子供たちの宿泊体験にはとても安価で便利な施設となっている。
    温泉の町であるから、温泉も欲しいところだが、贅沢は言わない。
    関東周辺の都会の子供たちにとっては、格好の自然体験の場所となるはずだ。

    湯沢では、既存の施設やフィールドで既にたくさんのプログラムを持っている。
    大源太でのカヌーやキャンプ体験も出来るし、
    大人でも興奮するほどの沢遊びもできる場所がある。
    フイッシングパークではニジマスの釣りができる。
    湯沢高原は高山植物の宝庫でもあるし、
    もちろん冬にはあちらこちらのスキー場が子供たちを待っている。
    山ではトレッキングコースを整備して、自然観察会を行えるボランティアも多い。
    登山には、平標山・三国岳・苗場山と名山がある。
    山や森でのアウトドアは、湯沢では豊富な体験ができるのだ。

    例えば、関東周辺の小中学校との交流をこの施設と自然とを通じてできるだろう。
    また、新潟市の小中学校でも、自然体験学習の交流として、
    スキー合宿の場としても、湯沢は程よい距離にあると思える。
    その際には、開かれた湯沢学園の子供たちとの交流活動を計画するのもよいだろう。

    学園を観光と研修の場とする。
    おかしい話かも知れないが、「オール湯沢」が目的ならば、
    学園も観光に大きな役割を果たしてもよいのではないだろうか。
    日本でここだけの学校ならば、全国から教師たちが研修に訪れるだろう。
    学園と自然と観光とを一体に考える。
    そんな発想も面白いのではないだろうか。

    とにかく、廃校になった学校の活用方法を考えることも、
    統合することの大きな責任であると考えている。

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  • from: クマどんさん

    2013年09月04日 13時07分09秒

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    心の自然学園を

    内地留学・内地疎開・内地避難。

    今、子供たちは学校という集団で心の問題を抱えて、苦しんでいる子も多い。
    また、学校という集団に馴染めずに、孤立する子供もいるだろう。
    いじめはぢんな小さな集団でも起きることだ、
    その時はその集団から離れることがベストな選択でもある。

    また、学校という建物の中では決してできない体験があるはずだ。
    例えば、自然体験学習だ。
    子供たちは、子供たちの感性豊かな時代に出会っておかねばならないものがあると思う。
    それは、自然の中で大いに遊び、汗を流し、生活する体験だった。
    その体験から多様な発見が生まれ、興味・関心が育つものだ。
    子供たちにとっては、自然の命は身近な友でもあった。
    寂しい心は、自然の中では癒される。
    孤独であっても、森の中ではそれは自然な人の姿なのだ。

    そうした意味でも、学校という集団に閉じ込めておくのではなく、
    もっと広く地域社会に子供たちを遊ばせ、その自然と触れ合わせ、
    子供たちの視野やものの考え方や捉え方をどんどんと広げて、
    複線にしていく必要を感じている。
    「こうでなければならない」のではなくて、
    「あれも、これも、それもいいんだ」と、子供たちの選択肢を増やすことが大事だと思う。

    つまり、いじめがあったら、避難すればいい。
    この学校集団に適応ができなく、辛かったら違った集団に入ればいい。
    自分のやりたいことや、好きなことには、どんどん取り組める場所と時間とをあたえればいい。
    いろいろな職業や生き方をしている大人と出会わせ、
    大人たちが普通だといっている人なんぞ、世の中には存在しないのだと教えればいい。
    変な人にはどんどん出会わせ、生き方を楽にしてあげればいい。
    もっともっと自由な自己選択で遊べる時間を保証すればいい。
    人は違っていいのだから、比べられず、そのままを認めてあげればいい。
    どうやって生きるかは自分が考えるのだから、大人たちはその夢を支援するだけでいい。

    だから、もっともっと子供たちが楽しく、生きられる場が学校であればいいのだ。
    「学校は、地域の子供たちのためにある学びの場である。」

    湯沢学園が、そんな学校であったなら、きっと関東から、いや、全国から、
    そんな想いの子供たちは集まってくると思うな。
    つまり、そうした子供たちや自然の中で思う存分子供を育てたい親が、
    この学園を選択して、転校させることができる開かれた学園になることは、
    これからの新しい学校に求められていることだと私は思う。

    「オール湯沢」でもあり、「オール子供」でもある自由で伸び伸びとした学校に、
    この湯沢学園がなったら素晴らしいなぁと、わくわくとしてしまう。

    また、新潟市の学校との自然体験を通した交流ができたら、
    それも素晴らしいことだと思っている。
    上流と下流との連携である。
    学園の発想をそこまでも開いたらどうだろうか。

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  • from: クマどんさん

    2013年09月04日 12時23分41秒

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    「森の守り人の会」はどうかな

    この学園に森を作るとのことだった。
    私たちある意味では、かっての学校の森づくりの亡霊たちである。
    来年度の新潟県における全国植樹祭に向けたプロジェクトのために、
    なんだか知らぬ間にあの世から巫女によって呼び出されたようなのだ。
    10年間の歳月は、衰えとともに、柔軟な知恵も身につけさせてくれた。
    失敗し、課題を多く残した実践だったおかげで、
    今後の活動に対しては、語れることが多いのだ。

    森は、木を植えただけでは森にはならない。
    その木を守り育てる人たちのネットワークが地域に存在しない限り、
    その森は愛されず、いつの間にか人々から忘れ去られ、藪になってしまう。
    時には、邪魔だとか、見栄えが良くないだけで切られてしまうこともあった。
    だから、この森を昔からの里山とするために、
    いつもこの森の変化に目を向け、課題を発見したら、手を入れて解決する人たち、
    つまり、「守り人」が必要なのだ。
    この守り人がいる森だけが、森として持続していくのだつた。

    では、その守り人は、学校であるかと言うと、そうではないという発想が必要だ。
    意ある人。興味関心のある人。専門的な知識をもった人。
    そんな自由で自主的な想いをもった人たちが集まって、「結」を作ればいいのだ。
    ここにも、「多様性」と「繋がり」と「変化・成長」の原理で運営していく。
    リーダーは必要がなく、意見を互いに交わしながら、森づくりを進めればよい。

    次には、5年、10年、20年スパンでの学園の森構想を考える。
    そして、将来には「森の中の学園」としての壮大な夢を青写真にして提案する。
    その変化・成長については、1~2年だけで考えず、
    その夢に向かって、ワークショップを開き、学習会を森で行い、
    それを度重ねることで、この森に対する興味・関心をもつ人たちを増やし、
    森づくりの長年のかかわりを通して、子供達だけでなく、大人たちにも、
    湯沢の自然の素晴らしさに気づいてもらう機会とする。
    もし、10年間この活動が続けられたら、
    のべどれだけの人が森とかかわり、自然に対する認識とかかわりを変えることだろうか。

    いつしか森育ては、人育てになって行くはずである。
    学園の屋上に立つと、湯沢の自然度がよくよく分かった。
    湯沢町全体の94%が山林なのだそうだ。
    山々に囲まれ、町は森に囲まれて生きていた。
    しかし、この里山こそが、湯沢町の資源であると知る人は少ないと思う。
    当たり前の風景に、特別な価値を見いだせないのが地元の人たちなのだ。

    さて、あの山々の森と学園の森とを繋げることを考えてみよう。
    この学園は、元々は植林のための苗木を育てた場所だと聞く。
    つまり、あの森の母親である場所で、今度は子供たちが育てられるのだ。
    とても素敵なことだと私は思う。
    そこには、学園の森と山々の森との繋がりの必然を感じた。

    そんな取り組みになるように、地元の誰かが言いだしっぺになって、
    「森の守り人の会」でも、立ちあげられないものだろうか。

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  • from: クマどんさん

    2013年09月04日 11時51分00秒

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    プロジェクトチームの立ち上げを

    さて、語っておける間に語っておこう。
    この無為な日々の中で、空っぽの中に生まれている気づきを、
    やっぱり少しずつ書き留めることが、何かの約に立つかもしれないからだ。

    湯沢学園の話だつた。
    オール湯沢で、一つの学園が生まれる。
    小学校は全て統合され、中学校も同じ校舎になる。
    そこには何年かすると全ての保育園も一緒になるという。
    壮大な後者には、保・小・中の子供たちが学び、
    互いに交流するのだと聞く。
    湯沢の子供たちは、同じ年代の子供たちは、全て同じ学園の卒業生なのだ。
    これもすごいことだと思うし、そのためには壮大なる教育ビジョンが求められると感じる。

    この試みだけでも、全国発信できる教育実践となるはずだ。
    まさに、そこには自然と同じく、「多様性」と「繋がり」と「変化・成長」が存在するからだ。
    この学校には、湯沢町の将来がかかっているといっても過言ではないだろう。
    教育とは、それでけ成果の大きなものだからだ。
    新しい酒には、新しい革袋が必要なように、
    既存の学校のあり方から脱却して、
    教育の原点に立って、「人を育てるとは何か」「生きる力とは何か」との問い直しを行い、
    どこにでもないオンリー湯沢の学園になったら素晴らしいと思っている。
    つまり、湯沢の人たちが湯沢の子供たちをどんな人に育てたいかということなのだ。

    「オール湯沢」
    それがとても大事なコンセプトとなっている。
    それでは、その「オール湯沢」とは、いったいどんなものなのだろうか。
    それぞれがそれぞれなりに想いをもっていることだと想う。
    だから、この学園を設立するに当たって、
    地域の人たちにとっての「オール湯沢」のイメージを明確にする必要があると思う。
    それには、設立に向けたプロジェクトチームを立ち上げ、
    ワークショップを積み重ねながら、その理念を明確にし、共有する必要があると考える。
    地域の人たち、それも廃校になる地域の人たちを含め、
    様々な立場や考え方をもった人たちに集まってもらい、
    「学校とは何か」をもう一度考え直してはどうかと思うのだ。

    案外地域の人たちが考えている答えは、単純で素朴なものだと考える。
    学力向上オンリーでは、学校は単なる教育工場となってしまう。
    そんな学校を子供たちも、親も、地域の人も、教師もけっして求めてはいないはずだ。
    ならば、この時代にこそ、「本物の学校」の提案をこの学園ができたら、
    それは、「オール湯沢」にとどまらず、
    「オール新潟」「オール全国」に発展するような新たで古い教育の原点となるはずだ。
    その根源的な問い直しを、じっくりと時間をかけてやるべきなのだと考える。

    まず、開校までに大切なことは、校地校舎を整備して器を作る前に、
    その器に入れる魂をいかにするかを、みなで考えられる場を作ることが先決だと思う。

    「湯沢学園設立プロジェクトチーム」
    「オール湯沢」にするためには、まずここから始めねばならないと感じた。

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    2013年09月03日 15時25分05秒

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    森に居ると

    一瞬にして書き込んでいた文章が消えてしまった。
    がっかりだなぁ。
    しかし、この掲示板はよくある話なのだ。

    ビオトープを夢中になって取り組んでいた頃、
    私は、よく放課後はこのビオトープの森の中にいた。
    ぼんやりとただたそがれるだけなのだが、
    変に心が落ち着いて、癒された。
    「裏の森に居ます。」それがいつもの日課だった。

    この森の木々には、毎年夏になると会いに行ったものだった。
    本当に逞しく成長している姿に感動し、励まされることが多かった。
    黙ってその木の幹に触れると、何だか「よく来たね。」と声をかけられた。
    こんなに辛いことがありましたと報告すると、
    そうかそうかと笑って受け入れてくれた。
    やっぱりブナやコナラには友達のようにして癒された。

    いつだったか、県の代表として文科省の環境教育の講習会に若狭へ行った。
    そこには主に東北の県の代表たちが集まっていた。
    体験を通したフィールドワークが主体だった。
    私は、そのワークショップで驚くべき経験をした。
    自然の命にはそれぞれ生きるための知恵があり、
    生きて行くための哲学があるということだった。

    私たち参加者は、ワークショップの一つ一つから、
    その自然の生命がもつ素晴らしい力を体験を押して感ずることができた。
    そして、活動後の振り返りでは、それぞれの感想を聴きながら、
    自然の見せる多様性について新たな気づきをたくさん得ることができたのだった。

    ぼんやりと庭に出て、草花を見るとはなく見ている。
    それだけでも心が安らぐのはどうしてだろうか。
    日々の忙しさの中で、私たちはこうして自然と向き合うことを忘れでいる。
    しかし、今回のように改めて、森とは人にとってどんな存在であるのかと問い直すと、
    やっぱり人の生活の隣りや傍に、森はあるべきではないのかと思えるようになった。

    しかし、その森と触れ合うことを長い間していない人たちにとっては、
    それは存在しようがしまいがどうでもよいものであるかもしれない。
    私は、そんな人こそ、一度森に入って、静かにたたずんでみてはどうかと思っている。
    森の声を聴く。
    そんな感性で森の中に居るとき、いろいろな声が聴こえるものだった。
    その声を聴き、その声に癒され、その声に学ぶ時、
    私は、生きる道を再発見したような喜びを感ぜられるのだ。

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    2013年09月02日 11時11分09秒

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    「慈眼」ご案内

    東区市民劇団 座・未来公演
    音楽劇
    「慈眼 涌井藤四郎という人」
    原作 塩原 昭夫
    演出 斉木 としや

    9月14日(土)19:00~
      15日(日)11:00~  15:00~  100分間予定

    会場 新潟市民プラザ NEX21ビル6階

    前売り 一般1500円(当日1800円) 高校生以下1000円(当日も同じ)

    問い合わせ 東区市民劇団 座・未来  025-384-0244

    チケット  中央区役所・東区役所・シネウィンド

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    2013年09月02日 11時00分03秒

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    音楽劇「慈眼 涌井藤四郎という人」

    日曜日に「慈眼」の稽古を見てきた。
    多いの人の想いによって、一つの物語が完成に向かっていた。
    東区市民劇団 座・未来による音楽劇だ。
    今回は、原作・脚本だけでの参加だった。
    いろいろと事情があって、公演間近のこの時期しか参加できなかった。
    何ヶ月ぶりに会う劇団の役者さんたちが、とても眩しく感じられた。

    明和義人の物語を知っているだろうか。
    1767(明和5)年に新潟町で起こった騒動の物語である。
    その騒動の中心人物であり、「明和義人」と呼ばれた人が涌井藤四郎だった。
    彼は、この騒動の首謀者として捉えられたが、
    それをきっかけに下の町人が蜂起して、日和山に集まり、
    米問屋や大商人の家を襲った一揆を二日間に渡って起こした騒動だった。

    新潟町を支配していた長岡藩の役人たちは、敗走し、
    新潟町を実質的に支配していた大商人たちの権限は町人が奪ったのだった。
    そして、何となんとである。
    この武士が支配した江戸時代にあって、
    一揆を起こした町人たちが、藤四郎を総代に置き、
    二ヶ月もの間、町人たちの手による自治が行われたのである。

    パリでの市民革命である、パリコミューンの100年前の出来事なのだ。
    新潟の先人たちの凄さを、私はこの騒動から感じていた。

    しかし、分からなかったことは、市井の呉服屋であっただけの藤四郎が、
    どうして新潟町のために命を賭して戦いの先頭に立ったのかとといことだった。
    藤四郎は、けっしてヒーローではなかったはずだ。
    51歳。当時は家督を子供に譲って、悠々自適な隠居生活が待っていたはずだ。
    そんな揉め事なんぞはまっぴらごめんだと、
    やっぱり他の人なら思ったに違いない。
    でも、藤四郎は人々を集め、税の半金750両を待ってもらうための署名を始めたのだ。
    この企てが発覚すれば、死罪は覚悟のことだった。

    なぜ、藤四郎は行動したのか。
    その答えを自分なりに発見するまでには、長い長い月日が必要だった。
    自分で納得のいかない物語は書けないものだ。
    特に物語には時代性と伝えたいメッセージが必要だと私は思っている。
    その価値に気づかない限り、筆は全く進まないのだ。

    ところが、ある日、お地蔵様を通して、ある言葉が心に響いてきたのだった。
    「見て見ぬふりはできない。」「けっして見過ごしにはしない。」と。
    どんだけ辛さと悲しさと孤独の中で、このお地蔵様を拝んだことか。
    ところが、ある日気づいたのだ。
    お地蔵様は、絶対に私のことを見捨てはしないと。
    見捨てないことが、お地蔵様の想いと願いなのだと。
    そうだった。その慈悲こそ、お地蔵様の想いであり、
    その想いがあるからこそ、こんな弱くて愚かな男も今日一日は生かされてきたのだ。

    この世界には、本当は慈悲が満ちているのではないだろうか。
    私たちは気づかないまま、慈悲に包まれて生きているのではないだろうか。
    きっと悲しみの傍らには、慈悲の人が寄り添っていてくれるはずなのである。
    そうでなければ、人は生きてはいけないはずだ。

    そして、藤四郎は、本来人が生まれながらに持っているも
    「慈悲の想い」に目覚めたのである。
    しかし、この道は厳しく険しく孤独な道でもあるのだった。
    この道を全うするためには、何かを捨てなければならないし、
    この道を実践するためには、本当の勇気をもたねばならないのだった。
    それは、人の為であるが、仏の道を歩くということでもあるのだつた。

    この世界は、愛に満ちている。

    けっして見捨てられることはない。

    悲しみと孤独と絶望の傍らには、必ずたたずむ人がいる。

    藤四郎が、その道を信じて歩いたことで、
    世の中は少しの間変わったのだ。

    そして、これからも、いやこの時代だからこそ、
    新たなる涌井藤四郎の登場が待たれるのだと私は思っている。

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