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親父たちよ

親父たちよ>掲示板

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  • from: クマさんさん

    2006年09月28日 20時43分54秒

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    移り変わり

    今週の初めから体はぼろぼろ、全く使い物にならない状態だった。
    火曜日には発熱、立っているのもやっとの状態。
    はーーーーっ、とため息が出るばかりである。
    人間こんなに疲労困憊する時もあるのだと、
    この三日間はひたすら休養に徹した。

    中学生の息子が1枚のお便りを持って来た。
    「山中おやじの会」いよいよ発足と相成ったようである。
    結団式と会の今後の運営を話し合う期日が記されてあった。
    噂には聞いていたが、現実このように動き出したことに喜びを感じた。
    発起人のGさんは、かっては山小のPTA会長だった。
    親父たちの教育への参画を中学校でも呼びかけ始めた。
    何かが移り変わろうとしているのではないだろうか?

    桃小にも「親父の会」が出来たようだと噂には聞いている。
    しかし、残念ながら実態が分からず、情報も入っては来なかった。
    もし、桃小に出来ているのであれば、
    山中の中学校区単位で親父の会のネットワークができるはずである。
    これも新潟市では画期的な出来事だと思っている。
    お互いに連携できたら、
    こんな強い会は存在しないと思っている。
    何たって親父たちには酒があるのだ。
    これも大きな時代の移り変わりの象徴だと思っている。

    中地区公民館での冬の文化祭を、
    この三校の親父の会で共催できたらすごいと思っている。
    親父たちが本気で参画し、町づくりに燃えている姿を見せられたら、
    山ノ下の住民も意識が少しは変わるのではないだろうか?

    ローリング・ストーンではないが、
    大きな岩も動き出すまでは大変であるが、
    転がり始めたら、自分の惰性で転がり続けるものである
    時代の移り変わりとは、
    この動くはずがないと考えられていた大岩が、
    動き出したということなのだ。

    そんな予感が私が知る限りの町づくりの世界では、
    あちらこちらで見られるようになってきた。
    この移り変わりをチャンスとして捉える力が「やろう会」には求められているのだ。

    takiさん、いかがだろうか?

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  • from: クマさんさん

    2006年09月27日 17時39分17秒

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    最近の若い者は・・・パート2

    子供の言葉でがーーんと傷つけられることがある。
    そうか、そんな風に思っていたのか・・・。
    子供にとっての父親の存在とは何であるか。
    それを子供の発言や態度を通して問い直している一週間である。

    私自身父親という存在をよく知らない。
    なぜならば、父は我が家には不在であったからである。
    父自らが積極的に遊びにはまり、
    借金を作っては困っていた。
    酒を飲み、遅く帰ってくることは当たり前。
    休日は競馬場が居場所であった。

    父の姿が記憶にはあまりなかった。
    だから、私は父としての在り方を模索するのであろうか・・・。

    ただ、そんな父であったから、
    私にとっては越えるべき対象でもなく、
    大きく立ちはだかる壁でもなかった。
    情けないことだが、父は自分のことが精一杯で、
    家族のことなど眼中になく生きていたのかもしれない。
    おかげさまで、私は父の影を恐れることはなかった。

    偉大で、厳格な父親像は、私にはなかった。
    それがかえって私には良かったのかもしれない。
    私は私の道を行けばよかったからである。
    中学校で進路を決めるとき、
    私は父とは相談しなかった。
    ある面では、父を無視していたかもしれない。

    そんな存在だった父がいたはずだ。
    しかし、私は今の息子たちには疎まれる存在であるらしい。
    「嫌いだ」とも言われることがある。
    声をかけても無視をされたり、
    乱暴な口調で口答えをされたり、
    父とは若い者にとってはそんな存在なのだろうか?

    「親父元年」からはや2年たとうとしている。
    息子の成長に見合わず、父の心の成長は遅れているようである。
    日々迷いあり。
    それが正直な今の気持ちだ。

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  • from: takiさん

    2006年09月25日 17時42分36秒

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    「最近の若い者は」という言葉

    こんにちは。

    今日は休暇を取って個人的な用事を幾つか済ませた。
    昼食を取り帰宅したのは2時くらいだっただろうか?

    小2の坊主が帰ってくるまで一眠りしようか?
    なんて思ってタバコを吸っていたら。
    「ただいま!」坊主が帰ってきた。
    「おかえり。おやつ食うか?」
    「うん」

    私はコーヒーを飲みながら久しぶりにゆっくりと話をしてみようかと思いきや
    「今日はね、○○君が遊びにくるからね。」
    まもなく「ピンポーン」
    坊主の言葉通り友達はやって来た。
    予定外の友達を引き連れて。
    更には電話が鳴り1人追加され3人の友達が我が家にやってきた。

    我が家の坊主と遊びに来たとは言うものの様子を見ていると、それぞれがゲームをしたりマンガを見たり。
    我々の子供の頃は集まって野球、天気が悪ければ友達の家でトランプや人生ゲームなどに興じたものだ。30年・・・。
    確かに長い年月だが、これ程までに変わってしまうのだろうか?

    年寄りが我々を見て「若いものは」というが、我々も年を取ったとき、我が家の息子達の世代を見て
    「今の若い者はまったく・・・。」などと言っているのだろうか?
    ちょっと考えさせられました。

    >果たして、彼らは今日の何時頃まで飲んでいたか・・・。
    >takiさんの報告を待っている。
    たぶん・・・きっと0時くらいだったと思うのですが・・・。
    会長と前会長はフラフラになりながら11時前に帰宅したように思いますが、tanakaさんとYさんと私の
    30代組みはもう少し飲んでいたような記憶が・・・。
    おかげで「家庭内ブルーチップ」を使い果たし、翌日よりブルーチップ集めが始まったのは
    申し上げるまでもございません。



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  • from: クマさんさん

    2006年09月24日 10時57分10秒

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    ビオトープのこと


    昨日福島潟文化祭でシンポジウムがあり、
    私はビュー福島潟で基調講演を行ってきた。
    潟の自然と文化を伝えようとという文化祭のテーマに合わせて、
    「自然と人をつなぐ人」と題しての講演だった。

    学校ビオトープ「太田の森」は、地域と子供たちとで
    5年間かけて造ったビオトープである。
    ミニ福島潟や蛍の水路、クヌギやコナラの森。
    広大なビオトープを8年前から造り始めた。

    一昨年の夏にゲンジボタルが乱舞し、
    感動的な光景であったそうだ。
    今年の夏は、私もこの目でその美しい光を確認できた。
    地域の人と共に自然を復元し、守り育てる活動。
    地域の自然とリンクしながら、動植物を保護する活動。
    人が自然のために知恵を出し、自然と共に生きるための生き方を学ぶ活動。
    親父たちが最高に輝く活動。

    実は、それが学校ビオトープの目標であるのだ。
    私は、何年も前から山ノ下小のPTAに
    子供たちのために学校ビオトープを造りませんかと働きかけてきた。
    その目的は、何よりも山ノ下の親父たちを集めるためである。
    それも単年行事ではなく、
    5年間くらいの構想で、毎年何かを創造していくのである。
    そのプロセスで培われるものは、
    親父たちの連帯なのである。

    そんな実践とプレゼンをもっている私に、
    山ノ下の親たちにビオトープのことを語れる機会を
    作ってはもらえないだろうか。

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  • from: クマさんさん

    2006年09月23日 05時56分32秒

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    ちょっとした飲み会


    携帯に不在着信が何件もあった。
    会長のSさんからだった。
    私の携帯は不携帯電話であるから、
    いろいろと迷惑をかけることが多かった。
    何か緊急の連絡かと思って電話すると、
    にぎやかな親父たちの声がする。

    「飲み来ねけ」
    「Cさんも、takiさんも召集かけたら集まったれ」
    おおーー。今夜は祭りのなおらいのため、
    みんなは集まれないはずであった。
    しかし、なおらいで酒が入った勢いで、
    親父たちの居場所・憩いのオアシスである割烹「よしはら」へ
    急遽集まることになったらしい。

    先週の日曜日のことだった。
    やはり電話がかかってきた。
    「ゆったりルームで飲んでっけ、来いて」
    とのこと。
    丁度夕食を食べている最中だったので、
    生寿司を少し分けてもらって、
    折をぶら下げて市場に向かった。

    小上がりの上には缶ビールが並び。
    親父たちがすっかり酩酊状態で座っていた。
    とにかく酒を飲んだら議論である。
    言いたいことは何でも腹を割って語る。
    だから、酒が上手くなり、団結が強くなる。

    かかわればかかわるほど好きになるものなのだ。
    期日を決めて飲む会もある。
    こうして、ちょっとした飲み会もある。
    そして、このちょっとした飲み会を地域で気軽にやれることが、
    親父の会の大きなメリットであり、目的であるのだ。
    かかわる機会を作る。

    飲み会ではとにかく我が会長の右に出る方は居ないはずだ。
    おかげで、お互いを知り合い、
    気心を知る親父たちの集まりになっているのだと思っている。

    果たして、彼らは今日の何時頃まで飲んでいたか・・・。
    takiさんの報告を待っている。

    これはある夜の山小屋の写真である。

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  • from: クマさんさん

    2006年09月21日 00時07分43秒

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    山小屋で飲む

    PTAの会合の後で、
    山小屋でちょっと飲もうと思っていたのに、
    ちょっとがこんな時刻になってしまった。

    以前から顔見知りのご夫婦と意気投合してしまい。
    いつの間にか11時を過ぎていた。
    人間の話は面白いなぁ。
    母親として子供といかに向き合い戦ってきたか。
    父親はそんな母親との葛藤を横目に、
    いかに出番を模索してきたか。

    親子は永遠に悩み続けるのである。
    息子さんと娘さんとは年子である。
    今は二人とも大学生である。
    父も母も高卒で知らない世界。

    あれだけ戦い、学校を介しながらどのように生きるかを、
    親子で向きあい、議論した時代は終わった。
    今は娘さんは父親と一緒に旅行をし、
    息子さんは、母親に進路の悩みを相談していた。

    そんな親子関係は、激動の時代の後にやってくるのだ。
    タイでクーデターがあったそうだ。
    父親を転覆させる革命が息子の本分である。
    その後に、平安な関係作りができたら本望である。

    私は、息子たちが大好きだ。
    だから、野暮でも言い続けたいことは言い続けるつもりである。
    嫌われてもいいではないか。
    真実は、必ず心の中に種として残るのである。

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  • from: クマさんさん

    2006年09月20日 07時29分35秒

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    何だか考える

    ボランティアで参加した。
    祭りはそううものだと思った。
    若い者が来たら、いろいろと教えればよい。
    何も威張りくさって、
    指図ばっかりすることもあるまい。

    お年寄りたちは、祭りとはそういうものだと思っている。
    勝手なことはするな。
    俺の思ったとおりどおして段取りができねんだ。
    そんな怒りの声も聞こえる。

    だから、若い者は何も言わない。
    ある面では諦めている。
    言っても仕方ないのだ。
    声高に空威張りしている我がまま者の意見が通る。
    逆らうと後が怖いからだ。

    やっぱり一番太鼓は、意図的に外されていた。
    誹謗中傷。人権侵害である。
    これだけ太鼓の練習の世話をしてきたのに、
    変な男の一言のまま、私は一番太鼓を外された。
    情けなかった。

    ボランティアで参加しているつもりだった。
    しかし、今回のことは何だかいろいろと考えさせられた。
    祭りには、若い者は参加しなくなるだろうな・・・。
    威張っている年寄りたちは、10年後の自分のことを知っているのだろうか。

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  • from: クマさんさん

    2006年09月18日 09時21分05秒

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    祭りの後


    二日間の激動の日は終わった。
    激しければ激しいほど、
    終わった後は空しさを感ずるものだった。
    体の疲れだけが、祭りの存在感であった。

    さて、昨夜の慰労会の後、
    いろいろな立場考えの人達が集まり、
    ちょっともめていた。
    長年の祭りの責任者や推進者たちである。
    20年前は40代であった人達である。
    変わり目が来ているのだ。
    しかし、それを長年やっている役員たちは、
    どれほど自覚していることだろうか。

    若い者がついて来ないは、当たり前の体質であった。
    乾杯の後、実行委員長が挨拶して、
    反省点が合った・・・と皆に求めると、
    町内会長のお偉方からは、「そんなのやめろ」
    「酒がまずくなる」とのことだった。
    「楽しく飲めよ」とのことだった。

    いろいろと言いたい事をもっている人がいた。
    大人であるから、野暮な感じではそれを出さない。
    そんな空気があるから、
    若い者は何も言えずに小さくなっている。
    49歳の私も、この場では新参者の立場なのだ。

    古い組織を変えるのは、その組織にいた重鎮ではなく、
    新たに参加した新人の視点だった。
    私が初めて太鼓の担当になったとき、
    怒られた、怒られた。
    「何やってんだ、違うろが」
    「こっちらて」
    「どうして太鼓をそっちに向けんだ」
    ボランティアで参加した私は、腹を立てながら動きを覚えた。

    昨日は、私から申し出て、一番太鼓に復帰した。
    担当責任者から、「一番太鼓はやっぱりクマさんだ」と言われた。
    たかが太鼓、されど太鼓なのである。
    これも10年近い修行の賜物かもしれない。

    さて、話を戻すが、
    そろそろ若者たちが入りやすく、
    分かりやすい組織を目指すべきではないだろうか。
    経験則だけで、物事を進めるのではなく、
    祭り全体を統括した計画書を作成し、
    細部にわたって段取りを明記し、
    各担当の仕事を明確にし、いつどこで何を誰がやるのかを、
    ニ〜三人の役員だけが分かっている状態ではよくないのだと思っている。

    また、役員も現場になると、
    ああだこうだとめいめいが言い出すのもよくないと思う。
    判断は実行委員長がするのだ。
    意見や助言はやぶさかではないが、
    せめて行動しながら勝手な判断で、
    周りからごちゃごちゃと言わないで欲しいのである。

    意思決定は、最高責任者が統括して行う。
    各部の担当主任は、よその仕事にはあまり口は出さず、
    お互いの分を守りながら、
    のりしろをしっかりとして、手伝いをしていくべきなのだ。

    こうすると分かり難い祭りの全体像が、
    おぼれながらも若者たちに見えてくるはずだった。
    太鼓の練習のために、
    トントンと太鼓のリズムを書いたプリントが出た。
    そこで、太鼓を習いに来た低学年の子供たちの練習が進んだのである

    持続可能な祭りにするためには、
    そろそろ10年後の在り様を考えて、
    祭りの組織を変える時代が来たのではないだろうか?

    これも一人の新参者の意見であるが・・・。

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  • from: クマさんさん

    2006年09月17日 07時04分17秒

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    祭りだ祭りだ


    心配された雨も降らなかった。
    出発式を終えて、神輿と一番太鼓とが本部を出て行った。
    私は、突然二番太鼓と命じられた。
    私はこれまで8年間、一番太鼓を押し続けてきた。

    訳の分からぬまま、やぼこきのAさんに従った。
    さびしかったなぁ。
    しかし、サッカー部の子供たちの面倒を見る為には、
    それがベストなのだと気を取り直した。

    一番と神輿とはペアで町内のあちらこちらをまわってご祝儀を頂いてくる。
    この時、山ノ下木遣りが歌われ、
    合いの手を入れて、気合を上げる。
    そのたびに神輿は担ぎ上げられ、
    その家の家内安全を祈るのである。

    宵宮の時刻になると、小さな子たちがお母さんと一緒に集まってきた。
    中学生もぞくぞくと参加。
    我が中三の息子もいつの間にかやってきていた。
    彼は大きい兄ちゃんと一番太鼓の担当である。
    彼が来ると、一番太鼓の叩き手は決まる。

    二番でよかったなぁ。
    そのときはそう思った。
    私が一番だったら、彼はきっと一番では叩かないからだ。
    この祭りを通して、彼の成長がよく分かった。

    黙っていた。
    にらんでいた。
    格好をつけていた。
    戯れてはいなかった。
    それが少しは気にかかるが。

    とにかく祭りは始まったのだ。
    結集場でtakiさんに会った。
    まだ酔いが回っていない状態だった。

    これから本宮となる。
    体はくたくただが、心が「祭りだ祭りだ」と騒がしい。

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  • from: クマさんさん

    2006年09月14日 20時45分41秒

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    男は祭りだった

    Cさんから、明日から始まる祭りについてTELがあった。
    太鼓に我が自治会から誰が参加するかという問い合わせだった。
    ここ8年間、私と我が宿敵Eさんの二人が参加だった。
    連合でやりながら、
    肩身の狭い思いをしてきたものだった。

    ただし、長男・次男と太鼓を叩き続けてきた。
    親子で春も秋も目一杯太鼓で活躍させてもらっている。
    宵宮の帰りの一番太鼓は、長男の出番だった。
    飲み屋街を祝儀をもらうために、
    店から店へと渡り歩く太鼓の音色。
    それを叩いていたのが小学生の我が長男だった。

    長男の太鼓は筋が良いと、長老に褒められた。
    一番太鼓を押しながら、
    得意満面で夢中になって太鼓を叩いていた長男の顔が目に浮かぶ。
    「この子の太鼓、いいねぇ」
    「俺の子です」
    「そうかね、筋がいいよ」
    「ありがとうございます」
    親父は、長男の太鼓を聞きながら、酒によって夢見心地であった。

    懐かしいなぁ・・・。
    できれば・・・そんなことはありえないか・・・。

    本部に集結すると、男たちは一升瓶とビール瓶を片手に、
    お互いに注ぎあい、語り合い、和やかに談笑するものだった。
    はっぴと鉢巻とがいなせに光る。
    「久しぶりらね」
    「元気らってけ」
    「ほれほれ飲みなせや」
    世代を越えたそんな会話があっちこっちで交わされる。

    小学生だった我が長男は、
    子供たちと一緒におにぎりを頬張り、
    唐揚に手をかけている。
    今夜は男の子たちも無礼講である。
    そんな中で、野暮こき親父がやってきて、
    「おめぇの兄ちゃん、ゆうこときかんすけ、おこっといたれ」
    とぐてんぐてんの酔っ払い状態だった。
    「はー、ありがとうございます」

    「ほれ、出発の時間られ。」
    「何してんだ。はよ酒止めて、準備しろて。」
    いよいよ本宮の宮のぼりの時刻になった。
    気合が入り、男たちはまた太鼓と神輿の周りに集結する。
    空はピー感の青空の日もあれば、
    台風直前のすさまじい年もあった。

    その一こま一こまが忘れられない思い出である。

    男は、祭りに集つまった。
    祭りは、男だった。
    そんな地域には、親父の会はこの祭りの場に確かに存在していたのである。

    明日の晩は、町内のふれ太鼓である。
    土日は、祭りで飲み続け。

    この時期、山ノ下に生まれて本当によかったと感じる。

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