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親父たちよ

親父たちよ>掲示板

公開 メンバー数:62人

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  • from: クマドンさん

    2018年04月30日 07時57分02秒

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    太鼓、太鼓、太鼓。ああ、この日が来たな

    さてさて、太鼓の二日間だった。
    まず、私が考えて実行したことは、
    やっぱり下手なのだから、下手は下手なりに真剣に叩くことだった。
    師匠たちの厳しい耳は、やっぱり私の音をちゃんと聴いているのだから、
    褒められるのはずっとずっと先のことと諦めて、
    今、ここに、在る音をただ只管追究する。
    それで、いいと居直って叩けるようになった。

    だから、一番太鼓ではなく、子ども太鼓と一緒に歩いた。
    子どもたちの太鼓の音を褒めながら、
    自分もその間に思う存分に叩かせてもらえるからだった。

    トントントントンと簡単なリズムなのだが、
    そのリズムにそれぞれの叩き手の個性が顕れ、
    それなりに音楽としての響きとして聴かれる。
    そんな面白さを今年は感じるようになった。

    それは師匠の音の真似ではいけないのだし、
    その音とそっくり同じにする必要もない音だった。
    叩いている内に、自分なりの叩き方が顕れ、
    それが、私のスタイルとなっていく。
    その面白さに、いつの間にか夢中になっていた。

    そして、とうとうその日がやって来た。
    昨日、本部に遅くなって私が集結したら、
    待っていてくれたように、師匠が私の隣に座った。
    「うめなってね。昨日、おめさんの長男にも言っておいたれ」だった。
    私は、何だか本当に信じられない気持ちだった。
    太鼓を叩き始めてから10年余り、
    師匠から、いっぺんだって褒めてもらったことはなかった。
    それでころか、
    「いつまでたっても下手くそらな」と、酒の席ではこてんぱんだった。

    それでも、私が太鼓を叩きに行くのは、
    やっぱり私が太鼓の音が大好きだからだろう。
    一番を離れ、最後尾の太鼓を叩くようになったのは、
    重い重い一番太鼓を押せない身体になったことと、
    師匠たちから離れて、思う存分に太鼓を叩きたかったからだ。

    そんな私の太鼓の音を、
    やっぱり時には後ろまで来て、聴いていてくれた師匠だった。
    私は、ありがたくて、ありがたくて、
    ただただ頭が下がった。

    宮昇りで神社の境内で叩いている時だった。
    不思議な感覚に陥った。
    強弱を付けながら太鼓を叩き、そのうちにその音が、
    どうもあの新緑の大きなアカシアから聴こえてくるような気がした。
    確かに私がこうして叩いているのだが、
    その音は、向こうから私に向かって響く音であった。

    創ろうとはしていない。
    ある意味遊びのような自由自在の心境だった。
    だから、ちょっと間違っても、次にはリカバリーして、
    その音を、私は何だか聴き手のようにして楽しんでいた。
    だから、どう想われようとも、どうでもいいこと。
    徹底して、その音そのものに化していた。

    無心とは、どこかに静かに佇んでいること。
    無心とは、ここに身体がありながら、そこには居ないこと。
    撥と太鼓と私と、そして、音そのものとが一体となり、一如だった。

    本当はみんな一つなんだな。

    欲が出たり、迷いが出ると、そのリズムが微妙に乱れた。
    その音にだけ没入して、遊び心で叩き続けると、
    いつの間にか、自分が居なくなってしまう。
    その時だ、師匠が褒めてくれたのは。

    「リズムだて。気持ちいいリズムなんだがの」と。

    そのリズム、律動とは、教科書に書かれているものでは決してなかった。
    その律動を言葉に表現しても、
    その律動と律動の繋がりと隙間と間とを、
    どのような言葉でも表現できない味わいがある空間であり、間合いだった。

    律動が呼吸となる。
    私は、いつまでも叩いていたい気持ちになった。
    誰も聴いていなくても、
    私はずっとずっとこのまま叩き続けたい衝動に駆られ、夢中になって叩いた。

    我が家に帰って来たら、パタンと倒れた。
    もう動けない。目眩がした。全身から力が抜けた。

    これが、太鼓なんだと、やっと一歩そこに近づけた気がした。

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  • from: クマドンさん

    2018年04月29日 06時35分08秒

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    太鼓・太鼓・太鼓

    祭りで太鼓を叩いた。
    もう一番太鼓は若手に譲って、
    子どもたちと一緒に太鼓を叩いた。

    思い切り、自分なりのリズムで叩く。
    でも、やっぱり、へたくそだと言われる。
    それは、それで、いいと、今は、居直っている。
    トントントトントンと叩くと、
    それだけで無心になれる。

    20年余り聴いて来たリズムだ。
    時には、自分かが叩けもしないのに、
    子どもたちに教えた音だ。
    リズムだけは、門前の小僧で身体に沁みこんでいる。
    だから、その人のその人らしいリズムを感じる。

    実は、これが正しいと言う音が、
    この太鼓にはないような気もしている。
    基本的なリズムは確かに在ったが、
    その内に、長年叩き続けている内に、
    それぞれの叩く人の味わいのあるリズムと化する。

    十人居たら、十人のリズム。
    百人居たら、百人の呼吸。
    その響きの違いが、やっぱり太鼓の面白さではないだろうか。

    笛の音と合わせる。
    これはあ・うんの呼吸だ。
    太鼓のリズムが気持ちよく響かないと、
    笛を吹く人の気持ちも心地よく響かない。
    不思議なんだが、その二つが一つに融け合う瞬間は、
    不思議な喜びを感ずる瞬間だった。

    右手親指と人差し指の間に、豆がある。
    これは、撥の握りがまだ固いせいだった。
    撥のはねっかえりを上手く使う。
    すると、自然な力で、続けてどんどん叩けるようになる。
    ある意味、トランス状態に陥ることもある。
    その時は、下手も何もすっかり忘れて、
    まさに無心になって太鼓の音と一体となる。

    師匠は、厳しい眼差しで私の太鼓を見つめる。
    それでも、駄目は出さない。
    その響きだけを身体で感じて、じっと見守る。
    独り独りのスタイルでもある。
    と、私は、勝手に解釈して、それをやっているから、
    いつも師匠からは、ぼろくそだった。

    長男が宮昇りの途中から参加だった。
    「おっ」と、感じた。
    一番太鼓から懐かしい、心地よい響きだった。
    長男が、あの独特なスタイルで太鼓を叩いていた。
    彼の音は、正統な音であった。
    彼が、小学1年生の時から、
    彼と私とはこの太鼓にかかわることとなった。
    彼は、いつの間にか小学校高学年で名人の域に達した。
    その頃は、まだ私は、太鼓を教えていても、叩いてはいなかった。

    さてさて、今朝も素敵な天気になった。
    本宮で朝から午後3時頃まで太鼓を叩ける。
    またまた、師匠の渋い顔が眼には浮かぶ。
    それでも、やっぱり、好きだから、太鼓は、叩かせてもらう。

    昨日の不如意は、太鼓のおかげでいつの間にか消えていた。

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  • from: クマドンさん

    2018年04月28日 10時15分44秒

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    不如意

    昨日から不調だ。
    精神的にも体力的にも上手くない。
    こんな日が突然やって来る。
    そのままにする。
    そんな日もあると自分自身に言い聞かせる。

    何だか本を読んでも頭に入らない。
    思考停止とでも言うのだろうか、
    新鮮な驚きも感じられない。
    ぼーっとしている。疲れている。何かやろうとは想わない。

    その前日まであれだけ精力的に動き回っていたのに、
    突然エネルギーが切れたような状態に陥った。
    焦らないことにしている。
    この精神もまた自然なるもの。
    私自身でコントロールできるものは本当に少ないものだ。

    昨日の夕方ウォーキングをしたら、
    随分と疲れてしまった。
    また、いつもの低血糖状態でフラフラとした。
    何だか自分の身体をよその人の身体のように感じながら、
    ゆっくりゆっくり歩いて帰った。

    また、祭りの法被が無くなっていた。
    どうも私が10月頃仕舞ったようだ。
    ところが、その記憶すら私には無かった。
    何だか認知症になってしまったように、
    最近は、ことごとく大切にしていた物を失くしたり、終い忘れたりする。

    何事も徐々に変化するものだ。
    毎日、庭に面した縁側で本を読んだり、
    書を書いたりして過ごしている。
    日々、新たなりだった。
    カラスノエンドウがむくむくと茂り、立ち上がった。
    そして、昨日とうとう赤紫色の花を咲かせた。
    止まっているものは一つも存在していない。

    それは、私も同じなんだと、何だか分かった。
    だから、不調なる日々もあっていい。
    あれだけ、楽しみにしていた何もない生活そのものが、
    時には、こうして退屈で、アンニュイで、不如意な時となる。
    こんなにもすっかりと爽やかに晴れているのに、
    本日は宵宮だというのに、
    久しぶりに太鼓を叩けるというのに、
    私は、精神的に不調のままだ。

    その原因は、いろいろとあった。
    それは、人とかかわっているからでもある。
    返信をどれだけ求めても、何も音沙汰のないためでもある。
    またまた、よく言われず、悪く言われているためでもある。
    人とは、その人なりにしか動こうとしないものだということでもある。
    「生きるって、難しいなぁ」と、改めて想ったためでもある。

    それでも、そこに留まっていては、またまたどつぼにはまってしまうから、
    これから、スイミングに行くこととする。
    また、しこたま鼻から水を吸い、背泳ぎで沈没をしに行って来る。

    ここまで書いて、少しは、落ち着いた。
    本当に不如意に満ちた人生なんだな。

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  • from: クマドンさん

    2018年04月27日 08時44分39秒

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    映画「パリ・オペラ座」は凄い映画だ

    映画「パリ、オペラ座」
    平日の午後2時に映画を鑑賞できることの幸い。

    万代のバスセンターでカレーを食べていたら、
    隣の紳士に若い男性が声をかけていた。
    「読売テレビです、秘密の県民ショーの取材です。
     撮らせてもらってもいいですか」だった。
    「へぇ、ここにも来るのか」の驚きだった。
    ネクタイをしたビジネスマンに声をかけていたらしく、
    彼に断られたスタッフは、次のターゲットを探していたっけ。

    さてさて、映画の話だ。
    舞台は、舞台裏が面白い。
    舞台の袖や、スタッフの動きがスリリングだ。
    カメラは、舞台を正面からは撮らない。
    袖から、舞台で演ずる人たちの横顔や、後ろ姿をとらえる。
    そこには、表現する人たちの素の姿が顕れる。

    舞台で笑顔で踊ったバレリーナが、
    舞台の袖に入ると倒れ込み、肩で大きく息をする。
    憧れのバリトン歌手の歌う姿を、
    舞台の袖からじっと見つめるロシアの田舎から来た新人歌手。
    デーバは歌った後、万雷の拍手の中で袖に入り、
    汗をふき、支度を整え、カーテンコールの中に進み出る。
    コーラスの男性たちが衣装を着て、本番直前まで振付を合わせている。
    舞台上のミキサー室で、合唱に合わせて歌っている女性スタッフ。

    舞台は、華やかな晴れの場所。
    しかし、その舞台が完成するまでは、
    どれほどの長い長い道程を経て来ることか。
    連日の稽古の繰り返しであり、ダメ出しの繰り返しでもある。
    指揮者は小さなテンポの違いにナーバスになり、
    それができるまでタクトを振るう。

    オペラ座の振付師が、年度途中での降板を希望する。
    150名ものダンサーたちをこれからどうするのか。
    それでも彼は、この職を辞して、自分の決めた道を進むことにする。
    主役級のテノール歌手が、体調不良を理由に出演できないと知らされた。
    本番三日前の出来事だった。
    オペラの幕を開けるためには、代わりの歌手を探さねばならない。
    それも、一流であり、ジークフリートを歌える人であり、
    そして、有名な人である。
    プロフェショナルのすごいところは、その歌手を世界中から探して出し、
    その歌手は、前日にオペラ座に入り、当日本番で、その歌を歌う。

    あの華やかなオペラは、創り手全ての人の苦悩の結晶であることだ。
    舞台を創ることの苦しみと切なさと忍耐とは、
    私も劇団をやっていた時に感じたものだ。
    私は、主役が降板することが決まり、
    急遽その代役に2回立ったことがある。
    脚本家の私が、その役を引き受けねばならなくなった。
    演出家の先生に、その役をやってもらうわけには行かなかったからだ。

    団員が多ければ多いほど、
    その個々の考え方や、劇団に対する想いの違いをよく感じた。
    時には、私に対する激しい批判も生まれ、
    酒席で私は、役者さんたちに土下座して謝ったこともあった。
    集団での創作には、意見の対立や、個と個とのぶつかり合いは当たり前だ。

    また、与えられた役を演じきることとは、
    とてつもなく果てしない努力と忍耐が求められる。
    必ずダメ出しが出され、時には、こてんぱんにやっつけられる。
    「そんなのでは、どうにもならない。帰れ」と言われても、
    さて、どうやったらいいのかは、役者である私が工夫して、顕すことだ。
    本当に本当に、一つの役を演じきることは、苦悩なんだよな。
    「これで、いい」は、どこにもないからだ。

    カーテンコールで涙を流すのは、
    それまでの苦悩と努力と忍耐と、
    つぶされてもつぶされても立ち上がってここに到ったその喜びがあるからだ。
    その瞬間の歓喜こそ、舞台の持つ魔力であり、魅力だった。
    出番を待つ、あの袖での緊張感。
    舞台監督とスタッフとのピリピリとした空気感。
    演ずる人たちの心が一つになり、
    ラストに近づくと、この時間を終わらせることを惜しんでいる自分たちを感ずる。

    舞台とは、不思議な世界なんだ。

    その感覚が、また蘇る映画であった。

    あの新人歌手は、2年間、パリで留学する機会を与えられた。
    フランス語を習い、歌、歌、歌の生活を続けている。
    コンテストに出て歌った。
    まるでできなかった自分自身に絶望して、頭を抱えて悔やんだ、悔やんだ。
    そして、彼は、ドン・キホーテを歌った。
    その哀切のある歌心に私は、熱い涙が溢れた。
    彼は、このオペラ座を舞台にして、歌手としてデビューした。

    創り手であり、演じ手であり、プロデューサーであり、大道具・小道具である。
    数多の人たちの汗と努力と忍耐と、そして夢の結晶であるのが、
    あの舞台なんだ。

    秘密の県民ショーのスタッフは、たった数秒のための映像を求めて、
    この新潟の万代までやって来た。
    報われるのは一瞬のこと。
    でも、その瞬間に全てを賭けることこそ、
    きっと何かを顕わにしようとする使命を与えられた人たちの、
    この世での役割ではないだろうか。

    裏方・創り手が面白い。
    そんな感覚を思い出させてくれるいい映画だったな。

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  • from: クマドンさん

    2018年04月26日 09時21分34秒

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    何よりもの恩返し

    さてさて、今朝はまだ酒が少々残っているようだ。
    昨日、叔母さんたちが、私の退職を祝ってくれた。
    その会で、どうやらしこたま日本酒を飲んだらしい。
    弱くなった。
    つくづく感じる。
    だから、本当に気をつけねばと反省している。

    Aさん、95歳だった。
    彼女は夫を癌で亡くしてから30年以上も独り暮らしだ。
    自分でできることは自分でやりたいと、
    ヘルパーさんたちの助けを断り、自立して生活している。

    Sさん、85歳。
    やはり30年前に夫を亡くした。
    私は、この旦那さんからスキーと山登りを教えてもらった。
    今は、独りで寂しさを感じながら頑張って暮らしている。

    Tさん、81歳。
    最近身体が弱って来たと言う。
    やっぱり独り暮らしの寂しさだ。
    足が悪くなってから、外に出ることも辛くなっているとのこと。
    近所に住む私のことを頼りにしている。

    Kさん、87歳。
    その美しさは昔のまま。
    銀行で勤めたバリバリのキャリアをもっている。
    この叔母たちのまとめ役、司令塔でもある。

    Hさん、Kさんの旦那さん。86歳。
    生きていたら父も同じ歳になっている。
    いつもダンディーで元気だった彼も、
    すっかりと足が細くなり、弱ってしまったそうだ。
    あれだれ頑張って続けていた1時間の散歩を辞めたそうだ。

    そんな叔母たちに囲まれて、
    私は、時の立つことの速さを感じた。
    まだまだ、私が幼かった頃、
    叔母たちはまだお嫁に行かず、
    実家のハル婆ちゃんの家で、私のことを可愛がってくれた。

    それぞれが出勤する前に、交代で私の世話をしてくれたそうだ。
    S家にとって初めての男の孫の私。
    ハルさんは、それはそれは大事にしてくれていた。
    みんな優しく、朗らかで、温かな人たちばかりだった。
    私は、そんなS家に生まれてよかったと、改めて感じた。

    やっぱり人は、人の中で育てられるもの。
    もし、叔母たちがそうした人たちでなく、
    強欲で、金に汚く、人を罵り、人を馬鹿にして生きた人だとしたら、
    私たちその子どもたちは、どんな人になっただろうか。
    私は、父や母の子であるということは、
    その父や母に似て育った子であるということだ。

    その性格や、ものの考え方、生き方の基本。
    それは、きっと親から子に自然に伝えられるものだった。
    何を言おうと、どんな立派な説教を垂れようが、
    その親の生き方・生き様は、ちゃんとそこにあり、
    子どもたちは感受性豊かに、それを感じ、そのものに化して行く。

    確かに、反発し、親とは違う自分自身を主張し、形成はするが、
    幼い頃から思春期まで、共に暮らした親の影響を全く受けない子は、
    どこにもいないものだと思う。
    だから、善い子に育つためには、親自身が善い親でなければならない。
    生き方のお手本は、やっぱり親の生き方そのものだからだ。

    そんなことを考えると、私の父や母は亡くなってしまったが、
    私は、父と母の子であって善かったと、今も想っている。
    人に嫌なことをしたり、人を騙したり、人を困らせる人ではなかったし、
    本当に当たり前のように人に対して「施す」「尽くす」人でもあったからだ。

    それは、競馬で莫大な借金を作り、酒でどれだけ武勇伝のある父であったが、
    叔母たちはみんなで「Sさんは、本当にいい人らったよね」と、褒めてくれる。
    そんな父であったことを、私は誇りにも想っている。

    その父と母とが心から待ち望んだことが、私の定年退職だった。
    「兄ちゃんの定年の日まで、生きていたいよ」とは、母のいつもの口癖だった。
    私も、今日を父と母とに祝って欲しくもあった。
    そんな気持ちをも察して、叔母たちがこのお祝いをしてくれた。

    子どもは親を選べない。
    本当に定めの中でこの世に生を受ける。
    ここまで育ったのは、やっぱり親の恩だ。
    つくづくそうした親や叔母たちへの恩を感じた。
    温かな家庭で育てられたからの今、ここの、私だ。

    叔母と叔父たちをおくる。
    それが、私の叔母や叔父への恩返しだ。
    これから益々老いて行き、死へ近づく人たちだ。
    最期は責任をもって私が見とろう。
    それが、私からの何よりもの恩返しだと、改めて想った。

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  • from: クマドンさん

    2018年04月25日 09時19分28秒

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    身体のリアルな物語

    昨日、小千谷のSさんと新潟駅前の居酒屋で会った。
    緑百年の総会の帰りだった。
    午後4時。
    私が勤務している間は、この時刻の飲み会の設定はできなかった。
    無色人となったことの楽しみの一つが、これだった。

    まず、物語という話だった。
    物語は、どこから生まれて来るのかだ。
    先日、松崎さんの演技だった。
    白昼の亡霊を彼女が見事に、鬼気迫って演じた話だった。
    昼間に亡霊が顕れてもいい。
    何故なら、亡霊に出勤時刻は決まっていないからだ。

    だから、今、ここにも、いてもおかしくないし、
    きっと、ここにもちゃんとその霊なる存在は居てくれるはず。
    その存在や、その気配を感じられる人には、
    そのことは、リアルな事実として感じられる。
    松崎さんは、そのまんまに感じたままに動き、歩き、語り、呟き、涙を流した。
    昼間っから妖怪話ですか・・・ではなく、
    やっぱり、そうした霊的な存在をいつも肌で感じられる感性が大事なんだ。

    物語とは、その感じたままにある。
    つまり、人が考えて創ったものは、作り物でしかない。
    本当の物語とは、私が考える前から、
    私が生まれるずっとずっと前から、
    ここに存在しているものなんだ。
    物語は、そうしう意味では、向こうから訪れて来るもの。
    だから、今は、その訪れを待っている。

    次に、身体と向き合うと言うお話し。
    途中の会の同志Wさんから、何の返信も届かなくなった。
    あれだけ発信していた彼なのに、
    ある日を境に、パタッと音信が途絶えた。
    こちらからのメッセージは送り続けても、彼からの返信は皆無だった。
    「どうしたもんだろうなぁ」の話だった。

    80歳のSさんと、60歳の私とが、彼の気持ちを想像してみた。
    「分からない」これが、二人の結論だった。
    しかし、一つだけ想像できることは、
    彼がきっと毎日、毎時間、毎分、毎秒と、
    刻々と変わって行く身体と向き合い、
    その身体の発する言葉を聴きながら生活しているということだった。

    身体からは、私たちは決して逃げられないもの。
    身体がおかしくなったからと言って、取り換えることはできない。
    パーツを別の新品のパーツと交換することもできない。
    総体としてのこの身体が、病み、衰え、朽ちていくならば、
    そのことをあるがままに受け入れて生きねばならない。
    それが、やっぱり身体のリアルだった。

    あの激烈な坐骨神経痛の痛みに耐えかね、呻き、嘆いていた頃、
    私は、本当にそのことを悟った。
    身体が、私だった。
    だから、痛みで立つことすらできなくなってしまった時、
    本当にこれからどう生きて行ったらよいのかと、途方に暮れた。
    生活とは、食べること、動くこと、排泄すること、片づけること等等。
    そうしたいろいろな活動を、意識せずともこなせることが、
    自力で生活できることだと、改めてその時、私は理解した。

    身体が不自由であり、思い通りに動かず、出来ない時には、
    やっぱりその出来ないことがもどかしく、いらいらとし、怒りにも達する。
    そんな状況に陥り、医師からの診断を受け、
    薬を飲んでも、治療を受けても、一向に回復しない現実に、
    私は、やっぱり怒りを感じ、何かに当たりたい衝動を感じた。

    彼は、まさに、今、そんな状況ではないだろうか。

    人は、当たり前に当たり前のようにして生きている。
    そのことの在り難さや、希なことを想いもよらないまま、
    指が動き、腕が動き、足が動き、目が見えて、耳が聴こえ、声を出せる。
    しかし、そうした動きや機能を突然失ってしまった人は、
    どれだけ多い居ることか。
    身体的な不自由を感じている障害のある人たちとは、
    明日の、いや、今日の私なのかもしれないということ。

    指が動く。ありがたい。
    眼が見える。感謝だな。
    歩いて移動できる。ありがとう。
    とは、私もそうだったように、人は想わないものだった。

    今、きっと、彼は、そのリアルな変化と向き合っている。
    今、この時も、職場で勤務している。
    腕が重い。立っていると腿が痺れる。指先が震える。歩くと倒れそうになる。
    さて、そうした弱り、衰える自分の身体と向き合うことの切なさ、哀しさ。
    それは、私には、痛いほどよく分かる。
    3年間、私は腹筋が繋がらなかったために、
    走ることも、自転車に乗ることもできない生活を続けたからだ。

    80歳のSさんも、日々自身の身体と向き合っている。
    それは、老いであり、衰えであり、弱さでもあった。
    出来る、出来ないという比較ではないと思う。
    今、ここに、あるもので、何ができるかと言う、明らめであると思う。
    私は、大手術を経て、この身体となっている。
    Sさんは、老いによって、その身体となっている。
    今、二人して始めていることは、
    そうした身体との対話だった。

    そのことを、彼にもしてもらいたい。
    怒りであり、いらいらであり、失意であり、落ち込みでもあろう。
    でも、身体は、彼自身なんだし、
    身体は、身体として少しでも回復し、蘇生しようと休みなく努力している。
    身体は、生きようと強い意志で刻々とはたらき、止まない。
    そのことを信じて。
    そのはたらきを信頼して。
    身体と共に歩むこと。
    つまり、身体との御同行であること。
    仕方ない。明らめよう。そして、リアルをそのまま受け入れよう。

    Sさんも、私も、そうやって日々を生きている。生かされている。

    さてさて、とは言っても、この境地に至るまで数多の試練、数多の苦しみ。
    そのどん底からしか、この境地は理解できないこともよくよく分かっている。

    今、もし、そうならば、ずっと向き合い、静かに底に着くまで沈むことだ。
    それ以外に、助かる道はないようだ。

    だから、身体と真摯に向き合ったならば、
    その身体の物語を丹念に聴き、誠実に書き留める。
    今は、そんな身体の物語の語り部になる時ではないかと、
    私は、そう感じている。

    亡霊は、今、ここに、ちゃんと存在しているように、
    身体のリアルも、今、ここにあるのだから。

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  • from: クマドンさん

    2018年04月24日 11時43分59秒

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    習い事のラインアップ

    何だか、疲れている。
    朝、目が覚めなかった。
    昨夜「武士の献立」を11時まで観ていたのが敗因だ。
    それから、山の疲れがどっと来た。
    そして、遅くまでワインを飲んで、柿の種を食べていた。
    この怠さと疲れとには、必ず原因がある。

    さっき、吐いてしまった。
    太田遺産を2回も飲んだ。
    胸やけ・胃のもたれ・むかむか感だな。
    それもやっぱり原因のあることだ。

    身体は、本当に素直に反応してくれる。
    私の生活にどこかに無理がある場合、
    警告のサインが必ず出される。
    若い頃は、そんなサインを無視して、ついつい突っ走ってしまう。
    でも、それは若い身体限定のこと。
    もう、よく言う「無理の効かない身体」になっている。
    だから、素直にその言葉を聴く。
    横になっている。
    身体を動かさずに、じっとしている。

    これも「無色人」のおかげさまだ。
    この「無色人」変換の間違えではない。
    「無職人」より「無色人」のほうが何だかしっくりするのでこれにした。
    だから、私の色は、無色透明。
    これからの生き方で、その色が顕れ、染められていく。
    その楽しみと期待感をこめての「無色人たそがれ呑兵衛」だな。

    生活費の話となった。
    本当にね。
    今は、私は妻によって養ってもらう扶養家族となっている。
    我が家では、長男も次男も働いているので、
    たった独りの無職人だ。
    まあ、不要家族と呼ばれないだけは、救われている。
    それは、私が毎日、せっせと家事をしているからだ。

    今朝も台所の流しとテーブルの上はすっきりと片付いている。
    洗った食器も、乾燥機から取り出して片づけた。
    いつもは晩飯の逸品を作っておく。
    だから、疲れて帰って来た妻には、余計な家事をさせないようにしている。
    洗濯物を洗濯機から取り出し、ベランダで干す。
    その前に、乾いた洗濯物を取り込んでおく。
    乾いた衣服は、ちゃんとたたみ、籠にいれておく。
    その先の仕事は、妻に任せる。

    料理については、いつも冷蔵庫にある食材から考える。
    基本的なコースは、簡単だ。
    和食・洋食・中華・アジア系・イタリアンだな。
    具材である野菜は決まっているのだから、
    後は、調味料やソース、出汁による味付けの工夫なんだな。
    本格的に習ったこともない。
    いつも我流の見様見真似。
    だから、ほどほどのものしか作れない。

    先日、万代のテナントを歩いていたら、
    美しいキッチンで、若い女性たちが料理を習っている真っ最中だった。
    立ち止まって見ている私の所に、
    係の若い女性が飛んできて、料理教室の説明をしてくれた。
    6回で3万円。
    そんなら、そのお金で呑んだ方がいいし、
    食材をどんだけ買えることか分からない。

    ただ、本格的に料理については、機会があったら習いたいと想っている。
    それは、あの背泳ぎと同じことなんだな。
    我流ではやれる。
    でも、基礎基本がなっていないので、そこそこの域を出ない。
    何よりも進歩を望めない。
    てんでばらばら、専門家から見たら、
    「困ったもんだ」と、いう代物だ。

    でも、経験によって蓄積されたものがある。
    だから、初心に還って先生に習うと、
    本当に目から鱗のことばかりだった。
    やっぱり、先生に習うものなんだな。
    習い事という言葉が、そのことをよくよく表している。

    と、言うことで、私は、習い事を一つ増やした。
    本格的なヨガである。
    元ノイズムの人、とても素敵な若い女性の先生だ。
    習い事の必須は、先生が美しく魅力的であることかも・・・・。
    昨日、その体験コースだった。
    「きつ」身体のあっちこっちがつりそうだった。
    60歳の老体を酷使して、本格的なヨガへの挑戦だった。
    その時の先生の一言一言が眼から鱗となっていた。

    「初心忘するるべからず」だな。

    本日は、「シェークスピア」の講義を情報大学で受講する。
    明日は、中地区公民館で「ヨガ同好会」
    木曜日の夜は、「東区ボーイズ」合唱団
    金曜日は、午前に書道を習う。
    土曜日は、スイミングでまた背泳ぎで溺れることになるだろう。
    そして、土日で「山ノ下祭り」だった。
    ここでは、下手な太鼓を叩き、また大先輩からの叱咤激励だ。

    どうだろうか、このラインナップ。
    やっぱり幾つになっても己自身にブレーキをかけられない性分だと呆れている。

    「武士の献立」には、感動だった。
    上戸彩さんの「はる」が素晴らしかったな。
    料理とは、人を幸せにする力があるものだ。
    そして、どこまでも深いものなので、追究にはここまではなかった。
    そこが、いい。
    このラインナップの中に、「クッキング」を入れられないかと、
    只今、思案中である。

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  • from: クマドンさん

    2018年04月23日 14時55分06秒

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    高坪山への大縦走

    今日は、半日、家でじっとしている。
    何もしていないわけではないが、
    それでも何だかじっとしたまま、この時刻まで過ごした。
    天気がいいので、ウォーキングでもしようと思うが、
    やっぱり昨日の山の疲れが少々残っているようだ。

    リハビリのために山を再開した。
    これが、先日の弥彦山に続いての2回目の山登りだ。
    胎内観音の手前から尾根に取り付き、
    黒山城跡を過ぎ、
    高坪山に至るコースだった。
    1時間半から、2時間くらいだなの言葉に安心して登り始めた。

    まず、道を見失ってしまった。
    鉄塔の整備のための登山道に入ってしまった。
    そこから先には登山道はない。
    藪山を登るわけにもいかず、引き返すことにした。
    正規のルートは分岐の左手だった。
    道しるべの看板が、反対の右手の道に落ちていた。
    まず、この看板を正しく設置しなおした。

    急登の連続。
    ロープをしっかりと張っている。
    落ち葉を踏みしめ、滑る足にブレーキをかけながら踏ん張って登る。
    さすがに山城だ。
    この急坂を槍をもって攻め上るのは至難の業と感じた。
    倒木がやけに多かったので、
    Yさんと二人で、せっせとその倒木をどけて歩いた。

    こしあぶらがたくさん茂っていた。
    それを一つ一つ採りながらYさんは、登った。
    まだまだ若いワラビも、ひょこひょこと生えてはいたが、
    私にはかかわりないことでございした。
    私にとって、この登山は、リハビリ登山。
    とにかく、身体の声を聴きながら、最後尾をゆっくりとゆっくりと歩いた。

    3年間のブランクは大きかった。
    やっと腹筋がつながり、少し負荷のかかる運動もできるようになった。
    しかし、無理をしては、また裂けてしまうリスクがまだある。
    だから、身体を労わりながら、慎重に登った。
    2時間たった。
    まだ、コースの半分の距離だった。
    「うん?」と思って地図を見せてもらった。
    何とルートは延々と高坪山まで伸びていた。

    そして、誰一人他の登山者に出会っていないことにも気づいた。
    深い深い山なんだ。
    それも、やせ尾根で、両側はすっぱりと切り立っている。
    落ちたら、木にひっかからない限り、下まで転げ落ちるだろうなぁだった。
    足場をしっかりと確かめつつ、慎重に歩を進めた。

    そして、私は出会った。
    深い深いその山の途中に、
    神様のような雄大で、枝をぐんと伸ばしてそそり立っているブナたちに。
    きっと、これは蔵王権現の神木でもあったのだろう。
    他のブナたちは切られて薪にされても、
    この広い台地に立つブナたちは、
    その時代を生き抜き、今も神々しい輝きで立っていた。

    息を飲む。
    言葉が出ない。
    まさか、ここで、神様に出会うとは。
    やっぱり来てみるものだと感じた。
    そこまで3時間余りの行程だった。
    高坪山からは1時間だ。
    つまり、この深さと距離とが、このブナたちを生き延びさせていたのだった。
    そして、そのブナの姿を見た人は、
    きっと少ないと感じた。

    私は、そんな神様のようなブナの幹に手のひらをのせ、
    その気を感じるようにうつむいて、祈った。

    さてさて、二つの分岐を過ぎてやっと山頂にたどり着いた。
    何と4時間の行程だった。
    リハビリにしては・・・・。でも、自信はついた。
    「やれる」その手ごたえは大きかったな。

    山頂で、菊水一番搾り。帰りは、電車だ。
    本当に至福の時だった。
    山を再開する。
    その記念に、あの神々たちは私と出会ってくれた。
    あの幻のようなブナ林のことは、一生忘れないと今も感じている。

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  • from: クマドンさん

    2018年04月22日 04時23分35秒

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    できない人

    無色人になってから、書かないことが多くなった。
    時間があるから後にしようとすると、
    その後がなく、いつのまにかいろいろなことで忘れてしまう。
    それは、それでいいかと、こだわらない。
    そのこだわりがなく、どうでもいいをできることが、
    何だか精神の自由なんだなと、独り勝手に思っている。

    土曜日の午前はスイミングだった。
    背泳ぎ。
    本格的に教えてもらったことはなかったので、
    自己流で、見よう見まねで泳いできた泳法だった。
    だから、基本がなっていない。
    つまり、でたらめ。
    全てが自己流。

    腕をまっすぐに伸ばして、背泳ぎをする。
    沈む。
    息ができない。
    鼻の中に水が入る。
    どんどん沈む。苦しい。苦しい。酸欠だ。

    他の人たちが一つ一つ腕の動きの課題を練習する間、
    私はフロートを胸に抱え、状態を浮かせる稽古だった。
    ただ、黙々と、浮いて泳ぐだけの地道な稽古。
    「力を抜いて」「顎を引いて」「胸に息をためて」と、コーチの指示が来る。
    その通りまったくできない私が居た。
    まさに、できの悪い生徒の心境だ。
    みんなと同じようにできないことって、
    こんなにも何だかいたたまれず、辛く、寂しいことなんだな。

    プールの中で、自分の泳ぐ番を待ちながら、萎える自分を感じていた。
    コーチに背中を支えられながら、泳ぐ私。
    他の4名は背泳ぎの完成形を目指して奮闘している。
    一人だけ別メニューの落ちこぼれの私。
    その気持ちは、そうなったことのある人しか分からない。
    「できないって、こういう気持ちなんだな」
    「みんなと同じことができない自分って、寂しいもんだな」と、
    私は、背泳ぎの稽古をしながら、
    できない生徒の気持ちを深く深く味わっていた。

    そして、コーチは、そのできない生徒の気持ちを察して、
    どうやって励まし、自信を持たせつつ、根気よくできるようになるかを、
    ちゃんとできる人であることが肝心なんだと、体を通して感ずることができた。
    私の女性のコーチSさんは、そういう優しい人だった。
    どんどん沈み、溺れかかっている私の背中を支えて歩き、
    適切な声掛けをしてくれる。
    いつもいつも笑顔を忘れず、ポイントを明確にしてくれる。
    そうした優しいコーチとは、できないわたしにとっては、
    やはり信頼できる、頼りになる先生だった。

    きっと子供たちも、教室でこんな気持ちで勉強していたんだろうなぁ。
    ふと、何人かの子供たちの顔が、心に浮かんだ。
    私は、その子たちに、優しい先生であったかな。
    訊いてみたくなった。

    水をいっぱいいっぱい吸い込んだおかげで、今朝は鼻水が止まらない。

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  • from: クマドンさん

    2018年04月19日 12時07分22秒

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    篠田桃江さんのギャラリーが、何と学校町にある

    やっと、ここに座ることができた。
    勤めている時は、朝の6時にはこれを書いていた。
    シャワー・朝食・支度・出勤。
    その忙しない時間の中でも、これを書き続けた。
    何の為に?
    それは、私にも分からない。
    でも、これからも、きっと死ぬまで、ここに「今、ここ」を書き続けることだろう。

    無職人の生活がこれで3週間目になる。
    何もお仕事がないようで、これでいてなかなか忙しい日々だ。
    一日一つ。一日一善。そんなことでよくたからずに暮らしている。
    毎日、妻に「余計なことをするな」と、怒鳴られながらも、
    台所の流しと棚と、床下収納の整理が終わった。
    家事には、終わりがなく、これでいいもない。
    そんな果てしない道程を、今日もゆっくりとした歩みで歩いている。

    ちょっとした息抜きには、縁側でぼっとしながら、庭を観る。
    本当に日々新たな草花たちだ。
    カラスノエンドウが立ち上がって来た。
    ヒメオドリコソウも春を盛りにあちらこちらに咲いている。
    ほったらかしに、そのままにしておく場所には、
    オランダミミナグサ等の野草たちが、幅をきかせてはびこっている。
    この野草たちも、私の友達だった。

    昨日、Mさんの学校町のお宅へ、自転車で出かけた。
    何と、そこには、あの篠田桃江さんのギャラリーがあるのだった。
    彼の奥様が、自宅を古民家風に改築して、素晴らしいギャラリーを造っていた。
    その大きな木製の引き戸を開けて驚いた。
    何とその広石畳みの玄関に大きな作品が、3つも飾られてあった。
    玄関を入った途端に、その異空間に度肝を抜かれた。

    念ずれば通ずるだ。
    私が、篠田さんの本を読み感銘を受けたその夜。
    Mさんから、私は退職記念で、額に入った彼女のはがき大の作品を頂いた。
    何と言う必然だろう。
    そしたら、Mさんの奥様が篠田さんに熱烈に師事をして、
    40年前から彼女の作品を収蔵しているとのことだった。
    4年前に古町のギャラリーをたたみ、
    この地に、作品たちの新天地を求め、このギャラリーを開かれた。

    私は、会いたいと願っていた人の作品。
    それも、本物とまみえることが出来たのだった。
    だから、生きてみないと分からない。
    これだから、人生って、楽しいんだと、今回のことでも不思議を感じた。

    スポットライトの光の強さや当て方で、
    その作品から感じられる想いやささやきや、語りかけが変わって行く。
    不思議なんだが、本当にシンプルがとても深く、豊かで、はかり知れなかった。
    まるで、篠田さんがそこに佇んでいるような気もした。
    作品と向かい合うとは、篠田さんと向かう合うということだった。
    私は、幸せを感じた。
    こんなに傍に、それも知っている人の御宅に、
    こんなに素敵な作品が飾られているとは、
    やっぱり人は縁の中に生かされていると感じた。

    コーヒーをいただきながら、奥様のお話しをお聴きした。
    彼女は、書家で、彼女もまた素敵な作品を描き、
    階段の脇に、どかんとその作品を飾ってあった。
    この家の細部にわたっての心遣い、心づくしと、
    家そのものを生き方の作品としている彼女の凛とした生き方は、
    何だか、顕れだなぁと、つくづく感じた。

    感じた人だけが、その顕れを現せる。
    ここにあるものは、顕れそのもの。
    それを、私は案内してしただきながら、ずっと感じていたことだった。
    それは、作品がそこに息付き、語りかけ、感じられるもだけでなく、
    この建物、内装、柱、白壁、無垢材の床等々、
    ここに在るもの全てから感じられるサムシングだった。

    彼女は、それを感じ、それをここに表現している。
    生き様が、住まいそのもののしつらえとなっている。
    階段の手すりの肌触りにも、
    彼女の意志を私は感じた。
    作品を造るとは、こういうことなのかと、心腹した。

    さてさて、話については、いつか書きたいが、
    私にとっては、その語られるものとは、
    ここにある顕れとしての共通な、いや、きっと同一な何かなのだろうと、
    本当に初対面の奥様に対しては失礼なことだが、
    何だかずっと以前から知っていた人のように感じられた。

    そんな不思議と出会えるのは、
    やっぱり無職人たそがれ呑兵衛だからだった。
    自転車での帰りに、人情横丁の「あき乃」で山菜天ざる大盛だった。
    それから、自転車を飛ばして、中地区公民館。
    「ヨガ同好会」の定例会だった。

    篠田さんの作品・秋のの山菜天ざる・ヨガの修業。
    みんなやり切った後に、夕方、ありもので土鍋を使ってトン汁をこさえた。
    一番出しと二番出しを、コンブと鰹節でとってからだ。
    そして、4キロのウォーキング。
    どっと疲れて、最後は、へろへろとなって我が家に帰った。

    そんな日もあっていいよね、と、自分に言い聞かせた。

    本日は、ずっとずっとさっきまで、家事に勤しみ勤しんだ。
    きっとまた、妻の機嫌をそこねてしまうのだろうなぁと、恐れつつもだ。

    さてさて、午後からは、花を買って来て、プランタに植えることにする。
    それが、私の作品のようなものだ。

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