新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

親父たちよ

親父たちよ>掲示板

公開 メンバー数:62人

チャットに入る

サークルに参加する

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: クマさんさん

    2011年04月30日 06時26分09秒

    icon

    出て来い。わーけもん。

    昨夜、フィギアスケートの世界大会を妻と観ていた。
    その時、気づいた。
    次男が友達の家に泊まりに行ったということは、
    今夜は二人だけなのだと。
    私も妻も、少々酒を飲み、眠かったために、
    うつらうつらとしてテレビを観ていた。
    「ほら、まよちゃんらよ。起きれ。」
    二人には11時過ぎは、睡魔との闘いの時刻なのだ。

    その時、気づいた。
    そうか。いつか必ず二人だけでここで生きる日が来るのだと。
    父も母もいなくなり、長男も次男も就職して自立したら、
    この家には、私と妻とだけが残される。
    その時、二人は何の話をするのだろうか。
    その時、二人はちゃんと夫婦として向き合い、助け合って生活しているのだろうか。
    「その日は来る」
    二人でいることの幸せと、少しの不安とをスケートを観ながら感じていた。

    テレメンタリーで大阪の工業地帯に建つある集合住宅のドキュメンタリーを放送していた。
    高齢者率48%・独居老人率24%・老人の孤独死1115人?
    30年前には高度経済成長で活気のあるアパートが、
    今は寂れて、老人の住む町になってしまった。
    そして、階段だけのアパートでは、
    高い階の老人が引きこもりになってしまうこともよく分かった。
    冷たい扉の向こうで誰がどんな生活をしているのか全く分からない。
    その老人たちを食事を作り、ボランティアで助けていることたちも60代だ。

    一日14時間もテレビを観て過ごすこともあるというお爺さんがいた。
    奥さんは三年前に亡くなった。
    亡くなるまでの三年間は認知症の奥さんの介護の日々だったそうだ。
    子どもはいない。
    たった一つの楽しみの銭湯通いだったが、
    その銭湯の主夫妻が高齢と病気のため、突然閉店となってしまった。
    途方に暮れるお爺さんの横顔が寂しかった。

    コミュニティーの再生と言われる。
    それは、「助け合い・支え合える関係づくり」の再生だと思う。
    その時、やはり基本になる単位は夫婦や家族である。
    その小さな絆の中でまず支え合い、助け合える関係を築いて行くことなのだ。
    しかし、コミュニティーとして安心・安全に住める町づくりのためには、
    その人と人とをつなぎ、紡ぐための努力が求められている。
    それが地域におけるコーディネーターの役割なのだ。

    まず、知らない者同士が顔を合わせる仕組みが必要だ。
    次に、出会った人同士を知り合わせるつなぎ手が求められる。
    あそこに行けば、誰かに会える。
    あそこに行けば、誰かと話せる。
    人が気軽に自由に出入りできる「あそこ」が欲しい。
    また、黙っていても友達にはなれないので、
    共に何かの活動を行ったり、何か習いごとができるとつながることが早くなる。
    そんな講師や指導者がいてくれることはありがたい。
    そんなウェルカムの「あそこ」を各地域はもつべきなのだ。

    しかし、企業戦士で日夜労働に明け暮れし、
    子育てに奮闘努力の日々からは、
    そんなコミュニティーのことなんぞ考えるゆとりも余裕も無かったと思う。
    そして、いつの間にか80代の独居老人となってしまった。
    それが現状のはずだ。

    そう考えると、山ノ下には「あそこ」があり、
    いつか年寄り予備軍の若い者が、
    せっせと次の時代の人たちのために畑を耕し、種を捲いてくれている。
    私もコンサートを通じて、少しばかりの貢献をしているつもりだ。
    つまり、コミュニティーの再生のためには、
    そのコミュニティーを再生する必要感と切実感とを感じている40代〜50代の若者がどれだけ町にいるのか。
    それにかかっているのだと、この番組を観て気付いた。

    出て来い。わーけモン。一緒にやろてば。おもっしぇれ。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 2

    icon拍手者リスト

  • from: クマさんさん

    2011年04月29日 08時05分57秒

    icon

    僭越ながら自粛を考える

    昨日、山ノ下神社前をバスで通ったら、
    車道に凄い数の車が駐車していた。
    「何かあったんだかなぁ」と思って神社を通り過ぎると、
    山ノ下祭りのポッポ屋の灯りが見えた。
    「ああ、祭りか。」
    この祭り男が、祭りを忘れていたのだ。

    町内会が、この震災のために祭りの参加を自粛した。
    「こんな時に、祭りをやっている場合らねぇろ」というのがその理由だ。
    連合の自治会のお偉方の意見だそうだ。
    そうではないと思っていても、黙って上の意見に従うのがお年寄りだ。
    「祭り、参加しねとさ」とは聞いていた。
    「太鼓、叩けねなぁ」と寂しくもあった。

    私だったら、自粛なんぞしないで、「祈 震災復興」の上りを立て、
    募金箱を持って各町内を回る。
    今こそ元気を届けるために、これぞとばかりに太鼓を叩き続ける。
    神輿を担ぎながら、「わっしょい、わっしょい、震災復興」と声をを合わせて声援を送る。
    しかし、自粛した今。その募金や応援の声すら上げられないのだ。

    さて、ある町内会が祭り参加を自粛した。
    何か褒められることがあるのだろうか。
    そのことで誰かが感謝するのだろうか。
    その想像力が無い人が、自粛なんぞするのだろう。
    誰誰さんが自粛している何て、世間の誰も気にはしない。

    他の町内会は、復興のために祭りに参加し、太鼓を叩いている。
    よっぽどその方が震災の被害にあった人たちのためになると私は思う。

    とにかく祭りの会場は人通りが少なかった。
    寂れた感が、否めない。
    この祭り事態をテコ入れしていかなければ、
    衰退の道を辿ることも目に見えている。
    しかし、これまた若い者の意見何ぞ物ともせぬ一部の年寄りたちに、
    この祭りは握られている。
    「そんげ意見聞く耳もたねて」で、全ては終わりだ。
    世の中で年寄りを相手にすると「はーーっ」と思うことが多くなる。

    自粛したことに対する反省・評価と、
    今後の祭りに対する若い者の意見を取り入れるシステムを作ることと、
    いつまでも健康で長生きできないことを、
    一度関係者一同で考える時期がきているのではないかと、私は僭越ながら思っている。

    町の将来を、そろそろ町を引き継ぐ若者が決める時代が
    来ているはずだ。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 2

    icon拍手者リスト

  • from: クマさんさん

    2011年04月28日 05時50分46秒

    icon

    チャレンジド

    人は、死に行く人から勇気をもらう。
    人は、死んだ人から勇気をもらう。
    人は、己を捨てて人のために生きている人から勇気をもらう。
    その勇気が、人を人として生かしてくれる。
    勇気をもらえる人との出会いは、ありがたい。
    その勇気のおかげで、この道を独りでも真っ直ぐに歩けるかもしれない。

    人は、弱いものだ。
    人は、愚かなものだ。
    人は、だから自分がやらないことへの理由をつける。
    人は、諦める。
    人は、忘れようと努力する。
    そんな時、勇気を与えてくれた人が蘇る。
    その人の生き方が、人に本当の勇気を教えてくれる。

    勇気とは、人が行かない道を行くことだ。
    勇気とは、みんなが反対しても、独り信じて歩くことだ。
    勇気とは、己を信じ、人を信じることだ。
    勇気とは、独りであっていいということだ。

    そうやって生きて来た人に何人も出会った。
    それは、物語の中の登場人物であったり、
    実在の先人であったり、
    すぐ近くに生きている友であったり、
    家族であったりする。

    勇気は、そんな人との出会いから、
    熱い涙を通して、私の内に蘇るいのちだった。
    人には、勇気は生まれながらに与えられている。
    それは全ての人にだ。
    こんな私にも、それはある。
    ただ、その力の存在を信ずるか否かだ。

    人には、その人が耐えられない試練を神様はけっして与えない。
    それは、聖書にちゃんと書かれてある。
    試練が大きければ大きいほど、
    その人に与えられた勇気は偉大なはずだ。
    それは、神様からの人への約束なのだ。
    だから、「かかってこい」でやっていける。

    チャレンジドという言葉がある。
    この言葉は、近年アメリカで障がいのある人たちを現す言葉として広がっている。
    「神から使命や課題、あるいはチャンスを与えられた人」という意味だ。
    その根底には、全ての人にはちゃんと試練と向き合い、
    その試練を克服する力はちゃんと神様から与えられているという信念がある。

    私も、チャレンジドの一人だ。
    いや、人は全てチャレンジドなのではないだろうか。
    私に勇気を与えてくれた人たち全ては、
    やっぱりチャレンジドだった。
    だから、私も一人のチャレンジドとして、
    この無常な人生の試練の中で、
    独り黙々と行く勇気をもって、生きたいと願っている。

    実は、私には日々勇気をチャージしてくれる小さなチャレンジドが存在している。
    彼と彼女は、本当に生きる勇気を私にくれる。
    「みんなが生きているから、こんなことでへこたれられないね」と想い、
    「みんなのためだったら、どんなことでもかかってこいや」と小さな勇気を奮い起こす。
    無邪気なるチャレンジドのみんなは、
    その大いなる試練の中でも笑顔なのだ。

    勇気をもらったら、独り信ずる道を真っ直ぐに歩こう。
    全てのチャレンジドのために。
    一人のチャレンジドとして。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 4

    icon拍手者リスト

  • from: クマさんさん

    2011年04月27日 06時05分26秒

    icon

    人の世は無常なり

    何か体の疲れが抜けない。
    いつも睡眠不足状態で、車を運転していても危うい。
    体が重くて、しんどい気がする。
    それでもやっぱり5時には起きて、こうしてパソコンに向かい、
    これから6キロのランに出かける。
    休むということは、出来ない人なのだ。

    次男が、毎日部活のサッカーをして来るために、
    帰宅が8時近くになっている。
    妻と私は、その次男の帰宅を待ちながら夕食を食べているから、
    食事の量と酒の量が自然と増えた。
    夜、やらねばならないことがあっても、
    こんな体の状態だから、10時近くには睡魔に襲われる。
    昨夜もソファーで寝てしまったようだ。
    床に私の歯ブラシが落ちていた。
    それにしても、次男はすごい。高校のサッカーをやっている。

    あれだけ私に毎朝起こされても起きなかった長男が、
    自活したら、自分で朝起きて、朝食まで作って食べている。
    この前コンビニで見つけた簡単料理の本を彼に贈った。
    そんな料理の本で、彼に「父さんありがとう。こういう本を探していたんだ」と大喜びされた。
    あれだけ言っても、朝食を食べずに予備校に行った男がだ。
    とにかく彼は、簡単レシピで自活を続け、大学生活を謳歌している。

    時代は、変わった。
    机の上に小学生だった頃の、二人の幼い写真を飾っている。
    時々、その写真の二人に向かって語りかけている親父だった。
    あの頃が懐かしいなぁ。と
    「父さん、父さん」と呼ばれて遊んだ頃を思い出す。
    「もっともっとこうしてやればよかったなぁ」と、後悔することも多い。
    「今ならば、こんなこともしてやれるのになぁ」と、勝手に想ったりする。
    しかし、余計なことなのかもしれない。

    父と母は、私を育て、今は夜も昼も炬燵の中で丸くなって眠っている。
    そのかけがえのない人生と言う時間は、どれだけ残されているのだろう。
    二人は、この長男と次男とを本当に深い愛で育ててくれた。

    親父の私は、今年の夏で54歳になる。
    いつの間にかこんなに頭が白くなり、疲れが残る体となった。
    しかし、挑戦することは止めず、
    常に何か大きな目標に向かって自分を追い立てている。
    体は年を確実に取っているが、心と想いは変わらない。

    人生は、無常だ。
    その危うさと、その悲しみの中に、全ての人は生きている。
    子どもは大きくなり、親は年を取り、年寄りは最期を想う。
    その無常の世の中で、人として何を為すか。
    それしかないのだとこの年になってやっと思えるようになった。

    ヨクハナク ケッシテイカラズ イツモシズカニワラッテイル
    宮沢賢治さんの「雨ニモマケズ」
    やっと言葉の意味が分かり掛けて来たような気がする。
    これもシニソウナヒトを見て、自分でも年を取ったおかけだと思う。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 3

    icon拍手者リスト

  • from: クマさんさん

    2011年04月26日 05時59分14秒

    icon

    強く強く心を打たれた

    キャンディーズの田中好子さんが亡くなった。
    乳癌だったそうだ。55歳。まだまだこれからの人だった。
    癌には、やはり勝てないのだろうか。
    それは人事ではなく、私にとってもいつ起こるかも知れない病だ。

    アイドル時代、私はまだ学生だった。
    熱狂的ではなかったが、ファンでもあった。
    引退直前に大ブレークした当時をよく覚えている。
    確かにキャンディーズは、一つの時代の象徴だった。

    その人が、残した言葉。
    女優と言う仕事を愛し、もっともっと演じたかった想いをもち、
    闘病した日々。
    そんな中で東北での大震災があり、
    被災した人たちや震災で命を落とした人たちへ涙し、励ましのエールを送る。
    困っている誰かのためにもっと生きたい。
    天国に行っても、その人たちのために役に立ちたい。
    病床にありながらも、そんな献身的な想いが強く強く心を打った。

    ランちゃんと、ミキちゃんと、親友として共に生きた長い時間。
    それは三人にとってはかけがえのない時間だったはずだ。
    しっかりとお互いの絆を大切に、友として困った時は支え合い、励まし合って生きてきた姿。
    「幸せでした。」と、その二人の友との出会いを心から感謝しているスーちゃん。
    「愛しています」友は、遺影の友に向かって、そう言った。
    この愛とは、愛する人を強く育てる愛なのではないだろうか。
    アガペーの愛。
    私は久しく聴いていなかった深くて広くて気高い「愛」という言葉に、
    またまた強く強く心を打たれた。

    自分の死を悟り、苦しみの中で、最期の田中好子を演じ切った。
    それは、彼女の人生の第2章であり、
    その収録は、彼女の女優魂の集大成であり、
    新たなステージに向けた決意表明でもあった。
    人は、死ぬ。
    しかし、死んでも終わらなものがある。
    「一粒の麦、もし地に落ちて死なずば・・・」である。
    彼女の生き様と、最期の演技は、人間としての尊厳を聴く者すべてに感じさせた。
    これが、演技と言うものではないだろうか。
    私の生き方を、変えてくれた女優さんだ。
    その役者魂に、強く強く心を打たれた。

    彼女は、愛された人だった。
    それもとても深く、広く、熱心に、優しく。
    そんな愛に包まれた人生は、やはりとてもとても幸せな人生だったと思う。
    旦那さんへの最後の言葉には、泣けた。
    生きている間に、きちんと感謝の言葉を伝え、
    別れの言葉を言い、そして、再会を約束した。
    「カット」と叫ぶ彼の、魂の号涙。
    ああ、この人は本当に「自分」を亡くしてしまったのだなぁと、強く強く心を打った。

    たった3分余りの映像だった。
    しかし、こんなにこんなに人生で何が一番大切なものか、
    そして、人は人としてどう生きるべきかを教えてくれる3分は凄すぎると、
    私は強く強く強く心に残す。

    スーちゃんのメッセージに匹敵する舞台はないかもしれない。
    でも、そんな舞台を人は人生や生活の中に持つべきだと、
    脚本を書く一人として、改めて強く強く心に想った。

    偉かったね。
    ご冥福を心からお祈りします。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 4

    icon拍手者リスト

  • from: クマさんさん

    2011年04月25日 05時59分27秒

    icon

    世の中の声とは?

    長男は、日曜日の夜中までクラブの先輩たちと飲んでいたようだ。
    缶ビールでクラブの部屋での酒盛りだったそうだ。
    私は、彼が酒を飲めるようになる日が来ようとは想わなかった。
    それは親としては、嬉しくもあり、心配でもあった。
    私は、酒での失敗は数知れずある。
    よく生還できたなぁという時もある。
    酒は、人の気を大きくし、馬鹿にさせる。
    怖いものだと思いながらも、実は私がアルコール漬けだったりする。

    10月の東区文化ホールの杮落としに、
    東区市民劇団「座・未来」へのオファーが来ている。
    りゅうとでの公演の後での、凱旋公演だ。
    東区にこの劇団ありと、感動と賞賛とをもってこの劇団の存在感を示したい。
    それが大きな劇団の目標となった。

    そのために、新作の脚本を書かねばならなかった。
    「王瀬の長者」でありながらも、エピソード2の脚本を。
    私は、あまのじゃくな性格なため、同じことはやりたくなかった。
    そして、時代に即して、語るべきことを語りたいと願っている。
    演劇はオンタイム。時代をライブで表現できる魔法の技だ。
    その時代を生きている人たちの心の声を、演ずる人たちが代弁する。
    心の痛み、辛さ、悲しさ、怒りを、演ずる人たちが表現する。
    それができる場が、この演劇であり音楽なのではないだろうか。

    では、今の時代の声とは何だろうか。
    やはり「反原発」ではないだろうか。
    日本中でこの声を上げることで、
    初めて企業も政府も本気になって取り組むと思うが、
    そんな市民レベルの抗議集会もデモも目立たないのが現状だ。
    「黙っている日本人」
    それは私をも含めてだが、
    この黙っていることがこんなにも原発を推進してきた理由の一つだと私は想う。

    昨年度、政府は今後14〜15基の原発を建設する方針を出した。
    それは、高濃度の原子力廃棄物であるプルトニュームを再利用するための原発が必要であるからだ。
    日本は、未だに増え続ける放射能廃棄物の処理方法を確定していない。
    どう捨てるか決まらない内に、高濃度の放射性物質だけが原発により増産されている。

    日本には、54基の原発がある。これは世界第3位の数である。
    柏崎・刈羽には、日本最大級の7基の原発があり、4基が稼働中である。
    原発のコストは、廃炉まで入れると膨大な国家的な予算を必要とする。
    放射能汚染の心配のある廃棄物を処理する方法すら見つかっていない。

    放射能の人体に及ぼす恐ろしい影響について知らされていない。

    さてさて、これが「水力」「風力」の自然エネルギーならばどうだろう。
    水力も「揚水式発電?」という方法で、一定の水を使って無尽蔵に発電する方法がある。

    「風力」も、海上にプロペラを設置し、その数を増やせば、原発1基分の電力はたやすく発電ができる。
    しかし、なぜ日本の政府と企業はこの方法を採用しなかったのか。

    そんな現実を江戸時代を背景にした劇にする。
    出来るわけがないではないか。
    もちろんその通りだ。
    だから、私の酒量は増し、日曜日は一日脚本と向かい合っていた。

    世の中の人たちの声が聴こえる劇にしたい。
    これからが苦闘・苦悶の日々となる。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 2

    icon拍手者リスト

  • from: クマさんさん

    2011年04月24日 07時15分12秒

    icon

    三つの感動

    昨日は、いろいろと感動し考えた一日だった。
    そして、その体験の中から、
    私が書かねばならないことがより明確になったように感じた。
    今、言うべきことがある。
    今、伝えるべきことがある。
    そのテーマが、書くと言うことの使命になる。

    「人は、神様のよき道具となる」と、映画のヤコブ牧師の台詞だ。
    本来生かされている人の命とは、一人一人にその人しかできない使命を担っているのだと思う。
    こんな私にも、やるべきことは与えられているはずだ。
    その沈黙の声を魂の奥底で聴くためには、
    悲しみと絶望と孤独と闇とが必要なのかもしれない。

    シネウィンドで上映中のフィンランド映画「ヤコブへの手紙」は、
    私にとって「ダンシングダーク」での衝撃に匹敵する映画になった。
    盲目の老牧師ヤコブさんと、殺人罪で12年間服役し恩赦になった女性レーラと、
    ヤコブさんに手紙を届ける郵便配達人の三人しか出演しない映画だ。
    魂が震える。体が震える。
    どうしてこんなに静かな映画が、こんなにも激しく私を揺さぶってしまうのか。
    私の中の何かが、この真実に感じ、動いている。
    詳しくは、ここには書かない。いや、場面一つ一つが涙だった。
    必見の映画だ。

    次に、「チェルノブイリから20年」というNHKの番組をUTUBで視聴した。
    まず、チェルノブイリの爆発後、
    復旧工事に参加させられたリクビダートル(後始末する人)の20年後を紹介した。
    12万人もの人たちが放射能の中で作業し、国家を救った英雄として勲章ももらっていた。
    現在は、次々に癌を発症し、原発近くで暮らしていた妻までも癌を発症した。
    この元リクビダートルの住む集合住宅では、葬儀がよく出される。
    「50歳まで生きられないのよ」と、その妻は泣きながら訴えていた。

    400㎞離れたプレストでは、小児甲状腺癌になる子どもが増えていた。
    ヨウ素は甲状腺に集まり、そこで癌を作るのだそうだ。
    また、食物を通じて放射性物質を体内に取り込むことで、
    体内ではいつでも放射線をだしているわけだから、
    癌になる確率も格段に高くなるという事実があった。
    これを「内部被曝」という。
    しかし、IAEAの発表では、
    この事故で癌になって死亡した人は、50名しかいないそうだ。

    40歳の彼は、急性白血病を発症し、無菌室で治療を受けていた。
    彼は、高校時代に放射能のことを何も知らされず、
    屋外でサッカーをしたり、友達と遊んだりと、ごくごく普通の生活をしていただけだった。
    甲状腺もそうだが、この骨髄も成長期には細胞分裂を繰り返すことから、
    放射線の影響を受けやすいとのことだった。
    例えばセシウムは、300年間も放射線を出し続けるそうだ。
    それが土壌を汚染し、その土壌で育った食物を食べ、内部被曝したらどうなるか。

    ミンクスという町では、遺伝的な染色体異常の子どもの発症率が高くなっている。
    放射線はの恐ろしさは、生物の体を作る情報であるDNAに影響を与え、
    30億の文字記号の中に間違った情報を作ってしまうことにあるのだそうだ。
    つまり、間違った情報から、自分ではない細胞が体内で作られる。
    それはとめどなく増殖し、人の健康を破壊していく。

    癌とチェルノブイリの放射能との因果関係を、
    未だにIAEAは調査中として認めてはいなかった。
    当時のソ連政府は、放射能の人体に及ぼす恐ろしい影響を知らせることなく、
    リクビダートルを高濃度の放射線に犯された現地に送り、作業させた。
    その家族たちや、周りの市町村の人たちは、何も知らされずにそのままの生活を送った。
    子どもたちは学校へ通い、農家は農作物を収穫し、親たちは仕事を続け、赤ちゃんは生まれ、夫婦は新しい命を授かった。

    「当面は、健康の被害はありません。」
    この政府の発表には嘘は無い。
    放射能に当たっても、痛くもかゆくもなく、何にも自覚症状を感じないからだ。
    内部被曝しても、全く気付かないで生活できる。
    だから、当面はなのである。

    しかし、どうしてこのような状況が起きているのか、
    私は、昨日一冊の文庫本と出会って、愕然としてしまった。
    「そうだったのか。そんなに恐ろしいことを、私たちは教えられていなかったんだな」と。
    そして、癌と放射能との因果関係がよく分かった。

    「いのちと放射能」 柳澤桂子 ちくま文庫 560円
    この本は、独りの生命科学者が、チェルノブイリの事故に衝撃を受け、
    どうしても「放射能の恐ろしさを書かねばならない」と想い、
    何と昭和63年10月に上梓した本だった。
    まさに、原発への警告。
    2度とこのような悲惨な事故を起こさないことと、
    放射能が人体に及ぼす恐るべき力を科学的な根拠に基づき、
    私のような者にも分かりやすく解説している必読の書物だ。

    「いまや原子力発電のおそろしさは歴然としています。この事故が起こったことは大変不幸なことでしたが、それを不幸なできごとに終わらせないために、今私は何をすべきかということを真剣に考えました。」

    「ただひとつ、わたしは生命科学を研究してきたものとして、はっきり言えることがあります。それは、「放射能は生き物にとって非常におそろしいものである」ということです。そのことをひとりでも多くの方に理解していただくように努めることが「わたしのいま、なすべきことである」と思います。

    「これから生まれて来るたくさんの子孫に、美しい地球を残すには、快楽のために無制限に放射性物質を使ってはならないことだけはあきらかなことです。」

    見事な予言の書でした。
    独りの生命科学者としてのチェルノブイリの事故に出会い、
    日本の杜撰な原子力政策を目の当たりにして、
    言わずにはおれないと渾身の思いでこの書は書かれている。

    とにかくすごすぎる。
    私も次の10月の劇での脚本では、
    今、言うべきこと。
    今、伝えるべきことを書きたいと願っている。
    それをミッションと捉えて、人として生きたいと改めて想った。

    三つある。
    フィンランド映画「ヤコブの手紙」 inシネウィンド
    Utub「20年後のチェルノブイリ」
    文庫本「いのちと放射能」 柳澤桂子 紀伊国屋書店で売っている。

    そして、一緒に考えてもらいたい。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 3

    icon拍手者リスト

  • from: クマさんさん

    2011年04月23日 06時31分10秒

    icon

    命てんでんこを伝えよう

    テレメンタリーで、「命てんでんこ」というドキュメンタリーをやっていた。
    田畑さんという86歳のお婆さんの物語だった。

    彼女は明治にこの田老町を襲った三陸津波の目撃者であった。
    その津波に愛する母の命を奪われた。
    どれだけこの故郷の海に向かって「馬鹿野郎」と叫んだことかと、語っていた。
    何百年に一度は、10m以上の津波が襲う町だった。
    そのために田老には高さ10mの防潮堤が作られた。
    それは、平成の万里の長城だった。

    町の人たちは、この堤が出来たことで安心していた。
    以前起きたチリ地震の津波をこの堤は防いでくれたからだった。
    しかし、彼女は明治の大津波の語り部となり、
    自作の紙芝居を使って、この大津波の恐ろしさを子どもたちに知らせ続けてきた。
    それは、彼女自身の命を救った、祖父から教わった言葉を伝えなければならないと思ったからだ。

    「命てんでんこ」
    それは、「命は銘銘のものだから、自分で自分の命を守れ」という非情な教えだった。
    時速130㎞以上のスピードで、全ての物を破壊尽くし、
    運び去って行くその津波のパワーに勝てるものは存在しないのだ。
    それは、津波に襲われた町の光景を思い出すだけで十分だった。
    人間は、この大自然の猛威に対しては無力なのだ。
    だから、この非情な教えが言い伝えられているのだと私は思った。

    「お婆ちゃんが家にいる。」
    「まだ遊びに行った子どもが帰って来ない。」
    「大切な預金通帳と印鑑を取りに行かないと。」
    「まだ大丈夫。位牌だけでも持って行こう。」
    その瞬間、山に登るか、町にとどまるかで、命の明暗ははっきり別れた。
    しかし、この「命てんでんこ」を津波の町の人たちに忘れさせてしまったのは、
    人間が作った「安全神話」なのではないだろうか。

    「あの堤があれば、絶対大丈夫らて。」
    「だって、町のしょが言ってたねっけ。」
    「これがありばどんげ津波が来ても、この町だけは守られるて。」
    「津波何か心配すんな。」
    さて、この万里の長城ができたおかげで、心に油断が生まれたとしたら、
    田畑さんが紙芝居を使って語り続けて来たメッセージは、
    何も役に立たないものとなってしまうだろうと、私は残念だ。

    大自然と立ち向かっても絶対に勝てないのが人間なのだ。
    天気一つ思い通りに出来ないのだから、
    もっともっと謙虚に自然から学び、
    自然と共に生きた先人たちの知恵の言葉に学びたいものだと、私は思った。
    想像を絶するものが、大自然だ。
    そして、大自然は、非情なものだ。

    15mの防潮堤を作るから安心です。
    非常用の電源車と消防車を高台に配置するから安全です。
    冷却用の水を確保するプールを作るから安全です。
    そう言っている本人たちが、安全だと信じていないことを、
    あたかもこれで絶対大丈夫だと勝手な安全神話を撒き散らし、
    地域住民の人たちを信じさせ、油断させる。
    この企業の手口は、いつまでも変わらない。

    そんなことに膨大な無駄金を使うよりも、
    事故をまだ起こしていない内に、廃炉に向けた一歩を踏み出すべきなのだ。
    この原発がなくなりますから、絶対に安全です。
    安全とは、それしかないだろうと思う。
    大自然の猛威は非情にも無くなることはない。
    それは歴史が証明している事実だ。
    そして、それは全て想定外なのだ。
    まだそのことが分からないのだろうか。

    「命てんでんこ」だけが、大自然の事実なのだ。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 5

    icon拍手者リスト

  • from: クマさんさん

    2011年04月22日 06時00分36秒

    icon

    やるせない想い

    放射能に汚染される。
    だから、立ち入り禁止である。
    入ったら罰金をとる。
    警察が厳重に警備している。
    自分の家なのに。何も被害を受けていないのに。帰れない。

    避難した人たちは、復興への見通しが何も立たない。
    原発は、未だに高温のままで、燃料棒が溶けている。
    高濃度に汚染された水がタンクに溢れ、日々何万トン増え続けている。
    汚染された水は、どんどん海に垂れ流されている。
    原発を冷すための装置を工夫したというが、
    その工事を行うために建て屋には入ることができない状況だ。

    現在どのくらい放射能が拡散し、
    どの地域がどれだけの数値で汚染されているのか、
    現在地が明確ではない不安。
    定点観測で瞬時にアメダスのようにして放射能数値を知らせるシステムを百何十億円かけて開発しておきながら、
    それを活用することを拒んでいる力は何なのか。

    チェルノブイリは、未だに終わっていない。
    コンクリートの劣化によって、世界中から資金援助をもらい、
    また建て屋を立て直す必要があるそうだ。
    廃炉にしてからも十五兆円の資金が必要なのだそうだ。
    国家予算がこんな無駄なものに使われて消えて行く。
    しかし、福島の原発は、未だに廃炉に向けたスタートすら立っていない。
    これから何百年の間、この放射線の汚染のために何兆円も使わなければならない。

    生活が、年金が、医療が、介護が、子供手当が、
    税金は人の幸福のために有効に活用されるべきものなのに、
    日本ではこれから毎年国家的な予算が、
    この原発の処理のために無駄に使われるのだ。
    それがとても無念に想う。
    コストが安い。環境に優しいエネルギーだ。と言った人たちは、
    やっぱり懺悔し、この膨大な被害に対して道義的な責任を取るべきだろう。

    こんな状況でも、まだ日本中の原発は稼働している。
    それほど電力が少なくなることを日本人は恐れているからなのだろうか。
    一年前の日本を考えて欲しい。
    もう、その平和的な状況には決して戻られないのだ。
    たった原発のために、どれだけの人たちの幸せと夢と命とが奪われたことだろうか。

    報道を見るにつけて、やるせない想いになるのは私だけなのか。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 2

    icon拍手者リスト

  • from: クマさんさん

    2011年04月21日 05時54分17秒

    icon

    ホリステイックな気づきを

    どうしたらよいのか困っている。
    そんな状況に立った時、人はどのようなことを考え、どのように行動するだろうか。

    私は、まずいろいろな人に相談することにしている。
    話すことで少しは気が楽になるからだ。
    時には解決に向けた素晴らしいヒントを得ることもある。
    しかし、やっぱり自分が納得するためには、
    実践を通しての解決しかないような気がする。

    よく私は「歩きながら考えよう」とアドバイスした。
    それは、「ああだ」「こうだ」と考えるばかりで一向に行動に出ない場合、
    まず「一歩踏み出す」、
    そして、「次はどこへに向かうか」歩きながら考えればよいと思うからだ。
    猪突猛進傾向のある私は、そうしてこれまで突っ走ってきた。
    この即行動も躊躇し、迷っている自分には効果的な方法だったようだ。

    本を読むことも、視点を変えるためには役だっている。
    何よりも本に没頭している間は、
    余計な妄想を考えなくてすむからだ。
    本当は考えても始まらないことは、考えなければいいのだが・・・。

    只今、我が師から贈られた「ホリスティックな気づきと学び」という本を毎晩読んでいる。
    その中で特別支援学級の担任だった教師の論文にあった言葉
    「今ここにいる目の前の子どもたちと、今ここにいる私にできること」
    何だかこの言葉に尽きるような気がした。

    もう一つは、学校の森づくりの師である山之内義一郎氏の言葉
    「できる喜び・わかる喜び・心を決める喜び」に出会ったことだった。
    そうだったなぁ。その通りだよなぁ。と深く感じた。
    実は、悩んでいる時は、とても単純な原点を忘れている時なのだ。
    当たり前のことを、当たり前にやればいい。
    しかし、欲が出たり、よいところを見せようとしたり、感心されたいと思うから、
    変に悩んでしまうのだ。

    単純素朴。
    そこに全体の命の生きる方向があるはずだ。
    やっぱり先人の魂のこもった言葉こそ、
    迷った私の道しるべであったと改めて気づくことができた。

    ホリスティック。もっと深くかかわり、もっと深く気づきたい。

    祝 130万人突破

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 1

    icon拍手者リスト

もっと見る icon