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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2017年08月31日 06時11分06秒

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    やっと第一歩への道が開けた

    「人は人 我は我なり とにかくに
       我がゆく道を 我はゆくなり」  西田幾太郎

    腹筋がやっと少しずつ元に戻りつつあるようだ。
    まだまだかちこちに固まっている。
    繋がっているというよりか、繋げていると言った方がいいだろう。
    一年と一カ月前、N大に入院する朝だった。
    私は、いつもの日課のジョキングをした。
    毎朝、走れる時には4~5キロを走った。
    今、考えると、この朝のどの時間に走っていたのかと、思い出せない。

    そんなにも身体を日々鍛えていた私だった。
    休日にはLSDで、10キロの走りで、日和山の展望台だった。
    いつもいつもそこから朝の海と街並みを眺めていた。
    そんな日々が、あの日から一変した。
    激変だった。
    腹筋が戻るまでには少なくとも一年間はかかります。
    重い物は持ってはいけません。
    自転車に乗ることも無理です。

    さてさて、ジョキングと山とスキーに生きていた私が、
    その楽しみの全てを失った。
    どんなにか辛く、哀しく、欲求不満の日々であったかと思うと、
    全くそうではなかったことが不思議なんだ。

    できない。やれない。諦める。
    そこに、不満やどうして私がという想いが入ると、
    こうして静かにはこの状況を受け入れられなかったと今は、想う。

    まず、身体の現実とじっと向き合う。
    そしたら、その身体のままでできることだけを考え、実行する。
    身体は、身体でしっかりと蘇生に向かって日々を生きていた。
    心もその身体に寄り添いながら、生きることだ。
    「心身」という「身心」とも言う。
    実は、この二つは一体であり、同じものなのだと、私は行きついた。

    身心脱落と、道元が言う。
    身体だけではなく、心だけでなく、同時に、瞬時に、この二つなんだ。
    病になって身体が不自由になって、やっとそのことが少し分かった。
    もし、心が勝手に、「俺が、俺が」と分離して、
    身体と対立したらどうなってしまうだろうか。
    身体の日々の蘇生への努力を認めず、
    この突然に置かれた不自由なる状況に対して文句ばかり、不満ばかり言っていたら、
    今のような私の心境には至らなかっただろうなぁと、察する。

    不思議なんだが、やっぱり身体と心とは一体なんだ。
    決してそれを分けて、別々のものとしては考えられないし、
    そうやって分けて考えては、迷いが生まれ、分裂ができる。
    身心一如だ。

    そうすると、心は、走れなくなり、動けなくなった身体のことを、
    ちゃんと労わって生きられる。
    身体もまた、そのままに日々、刻々と、生きてくれる。回復してくれる。
    それは、そうしなさいと言われてからそうしているのではない。
    そういうものだから、自ずからそうしいるだけだ。
    心というものも、きっと身体と同じはたらきをするものだと、感じた。

    ならば、どんなことがあっても、信頼して、任せればいい。
    身心一如ならば、心は身体と同じはたらきをするはずだ。
    だから、余計な心配をせずに、時に委ねる。
    その心が本来もっている蘇生力を信じて、じっと待つ。
    これってとても大事な生き方だったと、私の身心から教えられた。

    「心身」でもあるが、私はやっぱり「身心」のような気がする。
    ある日、突然気が付いた。
    ああ、眠っていても、私は、生きているんだと。
    この心臓は、動き、胃が消化し、腸が便を造り出す。
    血はいつもいつも血管を流れ、細胞は分解され、あたらに創造される。
    何一つはたらきをやめていないから、
    今、ここに、私は、「親父たちよ」を書いていられる。
    どの一つとして、その役割を放棄して、無責任に仕事をやめない。

    心もそれと同じだ。
    きっと何もせずにほっておけば、その自ずからの役割を果たすはず。
    なのに、私が余計なことを考え、欲望にとらわれ、他を羨み、自己否定する。
    すると、その自ずからのはたらきが止められ、ゆがめられる。
    その時なんだな、ストップがかかり、痛みを覚え、よどんでしまうのは。

    ただし、心も身体と同じように蘇生力をもっていることは、信じられる。
    そんな意味では、「身心」は、何も余計なことをしなければ、
    何とか、そこそこ、あるがままで生きられるんだな。

    そうやって任せました。お願いします。何とかなりますねと、委ねると、
    「そうだよ。そのままでええんがな」と、笑顔で応えてくれることが、
    「身心脱落」なのではないだろうか。

    絶対的な受容の態度こそ、信心であると、大拙さんが言っている。
    なされるがままに、なされて、生きる。かな。

    そろそろ、走り出そうと想っている。
    そろそろ、低山ハイクから山にも復活しようと想っている。
    そろそろ、トレーニングジムに行こうかなぁと想っている。
    ここまで来るのに、1年と1カ月だ。

    でも、身体と心とは、今は、静かにそちらの方に向かい始めた。
    そのはたらきに、任せてみる、委ねてみる。
    そう想えるようにやっとなったなら、そうしてみようと、今は想う。
    やっと復活の第一歩が来たようだ。

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  • from: クマドンさん

    2017年08月30日 06時16分22秒

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    道のど真ん中を歩いている私

    「仏道を修業する者は、先ず須らく仏道を信ずべし。
     仏道を信ずる者は、須らく自己本より道中にあって、
     迷惑せず、妄想せず、顚倒せず、増減なく、誤謬無きことを信ずべし。
     是の如きの信を生じ、是の如くの道を明らめ、
     よってこれを行ず。乃ち学道の本基なり。」  
                            「学道用心集」 道元

    「仏道を信ずる者は、須らく本より道中に在る」とは、
    どう生きたって、どう生きていたって、道のど真ん中から離れられない、
    道のど真ん中の中に生かされているということだ。

    人の迷いなんか、どうあってもたかが知れている。
    どんだけ迷っていても、ど真ん中。

    妄想に苦しみ、その欲に惑わされて、生きていたとしても、
    そんなこと絶対にたいしたことはない。
    どうあがいたって、どんなにみっともなく生きていたって、ど真ん中。

    迷っても、迷っても、この道を出ることはない。
    だから、どんなに失敗して、どんなに絶望して、どんなに死にたくなっても、
    その道を出ることはなく、ど真ん中だ。

    つまり、何をやっても、どうあっても、
    私たちは、この道のど真ん中を歩いているということ。

    そう気付けば、増減はなく、正邪もなく、正義もなく、悪もなしだ。
    どうあがいたってど真ん中なのだから、
    そのど真ん中を生かされている、その真実をただ信ずればいい。

    「大丈夫。大丈夫」と、言っている声無き声が聴こえないだろうか。
    ずっとずっと、その声は、私が生まれる前から、発せられている声である。
    その声に始まりはなく、その声には終わりがない。
    始まっていないものに、終わりはあるわけはないからだ。

    だから、道元は言う。
    その真っただ中の道というものが分かれば、
    その道しか歩けないんだと気付いたら、
    ただ、その道を行ずることだと。

    あるいは、ちゃんとその道があることを、
    私の生き方そのもので、ここに現すべきなのだと。
    それが、「修証」だった。

    道のど真ん中に生かされているからこそ、「発心」し、
    「求道」の心が生まれるのだと、鎌田さんは言っている。

    「道」のど真ん中にあって、「道」修証する。

    それが「信」なんだと、道元は言う。

    ああ、そうだった。そうなんだ。
    私は、どうあろうと「ど真ん中」を歩いているんだし、それしかないんだ。

    見ることは、現すことだ。
    これも深い深い気づきとなった。

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  • from: クマドンさん

    2017年08月29日 06時09分01秒

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    辛い、朝

    何だか、とても寂しい朝だ。
    よくよく自分の置かれている現実が分かった。
    それでいいし、そうであるしかない。
    まず、そこから少しずつ歩き出せれば、それでいい。

    何だかねぇ、と、少々辛い。
    そうだよねぇ。
    そうだったんだ。
    そこから始める。

    哀しいけれど、仕方ないさ。
    しばらくきっとこんな気分が続くのかもだ。
    ブラゴミを捨てに行こう。

    だった今、北朝鮮がミサイルを発射した。
    東北地方に飛来の可能性。
    緊急ニュースだ。
    この平和な日本に、どうしてミサイルなんだ。
    今、日本海上空をそのミサイルは飛んでいる。

    どこにも落ちずに、無事であることを祈っている。

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  • from: クマドンさん

    2017年08月28日 06時52分38秒

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    再誕。60歳の誕生日。ここから、始める。

    さて、8月28日。私の60歳の誕生日だ。
    よくぞここまで生きて来られたものだと、感謝している。
    再誕だ。
    でも、何も起こらず、何も変わらない。
    それでいいし、それしかないのだろう。

    昨日、悲しいことがあった。
    民生委員として私が担当している80代の女性が、
    7月の末に、熱中症で自宅の部屋で亡くなっていたそうだ。
    私は、何だか、とても、申し訳なく、何とも言えなくなってしまった。
    ちょうどお見舞いを届けるために訪問したら、
    ご長男の方がいらした。
    「今日は、母の49日なので家に居ました」とのこと。

    教会で、讃美歌を歌いながら、涙が溢れて、困った、困った。
    私は、二度くらいしかお会いしたことがなかった。
    いつも気にはしていたが、訪れてはいなかった。
    もう、その人とは会えないんだ。
    そして、たった独りでの死を迎えさせてしまったんだ。
    どんなに辛く、寂しかったことかと、ただ想う。

    人は、無力なものだった。
    でも、彼女は独りぼっちでも、生活が苦しくても、
    そうやって生きていた。生きて来た。
    何だかねぇ。何ができるか。何をしてやれるか。
    本当に、これからの人生は、これに尽きる。自分はいらない。

    この曇り空を見る。
    風はすでに秋の風。何だか肌寒く感ずる。
    ああ、季節はちゃんと廻っている。動いている。移り変わっている。
    変わらないものは何も無く、
    全てのものは変化する。
    そんな変化の中の私。
    私も、日々、私に与えられている時間が流れ、次々に消え去って行く。
    でも、私は、ここにまだ居る。
    だから、秋をこうして肌で感じる。

    どう生きたらいいのかねぇ。
    昨日、沼垂のラジオだった。
    亡くなった人たちからの言葉だった。
    山小屋の主人森田さんは、きっと今でも見守っていてくれるに違いない。
    居なくなった人は、きっとここに居てくれる人となっている。
    その声は、聴こうと心を傾ければ、
    自分自身の声として聴こえるのだと、想えるようになった。
    まさに、それは「無声呼人」だ。

    魂の中の私。
    私が何もしてあげられずに、独り逝ったかのTさんも、
    何だか、本当に、私のことを励ましてくれる声となった気がした。
    不思議なんだな。
    こうあらねばならないが、無くなってしまうと、
    ただ、今、ここの、素直な自分だけでいいという感じがする。
    そう思い込んできた私ではなく、
    そうであった、ずっとずっとそうであり続ける私とでも言うのだろうか。
    その私で居ると、この声無き声が聴こえるような気がするんだな。

    それは、私だ。
    何も違うものでもなく、個別に別々にあるものでもない。
    それも、私だし、それが、私なんだ。
    別々であるように見えるだけで、本当は一つなんだ。
    そう感ずると、あのアゲハ蝶の語りかけも聴こえるような気がした。
    不思議だなぁ、それがいい。
    あっ、そうか。そうだったんだ、それがいい。

    亡くなったTさんも、森田さんも、母も、父も、
    ちゃんと今、ここに、私の内に居てくれる。
    人は、どうしても独りにはなれないんだ。
    だから、私は、どんどん独りになっていったような気がする。
    独りで想うと、母にも、父にも、私は会えているような気持ちになる。
    その時の私は、何も考えていない素直な私だ。

    その私で、ここで生きると、不思議だなぁで、感ずるものばかりとなる。
    庭に居て、一日中いたとしても、私は飽きない。
    それは、向こうから不思議だなぁを、次々に感じさせてくれるから。
    昨日は、水をまきながら尻尾の青い小さなカナヘビと話をしていた。

    何だろうねぇ。
    この不思議だなぁを、信じられる。
    この不思議だなぁに、浸って生きられる。
    それが、きっと私の再誕の意味だったのかも知れないと今は、想う。

    どれだけ末那識の「俺が、俺が」と「ほしい、ほしい」で生きて来たことか。
    今でも、迷うし、苦しむし、怒るし、心を乱れるしだが、
    それでも、やっぱり、不思議だなぁに戻れることは、
    在り難い生き方だなぁと、そう生きられるようになったことを感謝している。
    不思議だなぁに、リセットする。
    不思議だなぁを、ベースに生きる。
    いや、不思議だなぁ、そのものとなる。そのものである。

    とにかく、泣くようになったな。
    すぐ涙が溢れる。
    涙で目を充血させ、瞼が腫れて、人に会うのが恥ずかしいこともある。
    昨日は、教会でHさんに祈ってもらいながら、声を出して泣いていたな。
    涙が自ずから出ている内は、
    私はきっと不思議だなぁを生きている証だと信じている。

    その声が、私に呼びかけている。
    「利他」と。
    「捨ててこそ」と。

    今日からも、きっととぼとぼと歩き続けるだけだろう。
    でも、いつも不思議だなぁの道を、歩きたいと、
    60歳の誕生日の朝に想った。

    「生きているって、不思議なことだったんだなぁ」

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  • from: クマドンさん

    2017年08月27日 07時36分09秒

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    不思議だなぁの働きに委ねよう

    不思議だなあ。本当に、この不思議だなぁしかなかったな。
    そんな話を、昨夜、アルビを観た後にSさんとした。
    そのことは、またゆっくりと書きたいと思うが、
    そこで語り合ったことは、
    私たちは、言葉を遺すことが大事なんだということだった。
    私たちが、お互いに体験したことは、
    そのように自ずからなるべきようなことばかりだった。

    確かに、その時は、意図し、選択し、決定し、実行したのは私たちでも、
    本当は、そうなりたいと願っていた大いなるものが、
    その時、私たちに呼びかけ、
    私たちをその気にさせ、何が何だか分からない内に、
    いつの間にかそのことを実現させていたのではないだろうか。
    そのような説明が、私たちには、とてもとても腑に落ちて感じられた。

    誰が創ったのでしょうね。だった。
    そして、もう二度と、あの瞬間はやって来ないでしょうねでもあった。
    そして、Sさんは、80歳の現在、20年間の森とのことを思い出している。
    私は、今日が50歳代最後の一日だ。
    だから、本当に罪深き、愚かなるこれまでの人生を振り返っている。
    その振り返っている二人が、「そうだねぇ」と、気付いたことが、
    「不思議だなぁ」だった。

    そして、何だか、この在り方や生き方や、ものの観方、感じ方に気付いてみたら、
    後は、これだけで生きられるし、余計なことはどうでもいいような気持ちになった。

    こんなことがあった。
    旧豊栄市の高森には、樹齢1300年の大欅が生きている。
    そこに、300年前から伝わっている「高森いざや神楽」がある。
    その神楽は保存会の人たちにより伝承され、
    春と秋の祭礼で奉納されるし、
    お正月には「砂丘館」で、一般の人たちにもお披露目される。

    この高森の丘には、「高森薬師様」が祀られてある。
    ところが、昭和48年の10月に、漏電によりこのお堂が火事になり、全焼した。
    薬師様や日光・月光菩薩等の仏像も消失し、
    何よりも高森の歴史を記録した貴重な古文書や資料も、
    全て消失してしまったのだった。

    そのことを憂えたOさんは、個人的にその失われた資料を再編纂するために、
    独りで動き出し、各家々や博物館や寺院を回って、
    失われたものと同じ資料を収集し、「高森の丘」という冊子に編纂したのだった。
    この独りの高齢な人の熱意と真摯なる故郷への想いとが、
    きっと彼のことを突き動かせたのだと、私は信じている。
    つまり、きっと、彼もまた、呼ばれた人だったのだ。
    その「不思議な」働きのおかげで、
    この地域には、持統天皇からの古い歴史が、記録として遺された。

    そして、忘れられていたその資料が、
    運命とでも言うのだろうか、私の元に届けられたのだ。
    高森の歴史を知りたいと願っていたら、
    向こうから、「こんな本があるんですよね」と、やって来てくれたのだ。
    そして、私は、その資料を元にして、一本の細やかな脚本を書いた。
    子どもたちにその本を、リーデングで発表してもらった。

    Oさんの夢が、ここに実現したようなものだった。
    Oさんが受け継ぎたかった「高森の歴史」を、
    3年生の子どもたちが地域の人たちに発信しているのだ。

    そんなこんなの後に、私は、もっと分かりやすい歴史の資料にしようと、
    「高森の丘新聞」を書きだした。
    誰が読んでも、すーっと理解できる簡易な文章表現で、
    その古文書等を書き直す作業だった。
    そして、6号を書いていたら、ある個所に出会い、どっきとした。

    今手元にないので、確かなことは言えないが、
    昭和54年?高森に北海道深川市からKさんというおじいさんが訪ねて来た。
    彼は、今は無くなってしまった音江町で、
    「高森いざや神楽」を舞っていた人たちが居たことを知らせに来てくれたのだ。
    50年間保存していた「神楽」と「太鼓」が発見されたこと。
    その神楽は、水原の業者が制作したこと。
    そして、その値段は当時農耕馬を七頭も買える高価なものであったことを。

    その記述は、それで終わっている。
    私は、どきっとした。
    どうしてもその事実を知りたくなった。
    そして、その保存されていた神楽と太鼓に出会いたくなった。
    そこに渡った人たちとは、きっと明治時代、
    干拓のために屯田兵として渡った人たちに違いないと想った。
    酷寒で荒れ果てた大地を飢えと寒さとに耐え忍び、干拓した高森の先人たちが、
    故郷を懐かしんで、踊っていた「高森いざや神楽」だ。
    どんな想いで、その神楽を舞っていたことか・・・・。

    その人たちの魂が、今、ここに蘇って、私のことを呼んだ気がした。
    不思議に、そう感じた。
    それは、その記録を再編纂したOさんの願いでもある。
    何だかねぇ。人は、ねぇ。
    「死者の想いの物語を生きいる」んだとは、池田晶子さんだ。

    そこで、徹底的にインターネットを使って、言葉の検索を始めた。
    「深川「「音江」「沖里鉱泉」「屯田兵」「神楽」等々。
    とにかく探すものに行きつきたかった。
    その一念は、あの時のOさんが乗り移ったのかもしれないと感じた。

    そして、金曜日、「あった」だった。
    深川市の郷土資料館のホームページを開いたら、
    そこに掲載されていた写真の真ん中に、「神楽」と「太鼓」が展示されていたのだ。
    「えっ、おんなじだ」
    「神楽」の表情は写真が鮮明でないために、よくは分からなかったが、
    その横に置かれている「大太鼓」と「小太鼓」は、全く同じ太鼓だった。
    「あったぞ。見つけたぞ」と、独り深い深い感動だった。

    すぐに資料館に電話して、事情を話し、調査の協力を依頼した。
    そして、手紙と私が創った新聞と、「高森いざや神楽」の資料とを送付した。
    後は、向こうの返信を待つばかりだ。

    こんなことがある。
    不思議だなぁ。
    本当に、人生とは、不思議しかないのだ。

    そして、想った。
    言葉を遺すことの大切さ、大事さを。

    「Sさん、私たちは、言葉を遺して、次の人たに渡していかねばですね」と。

    Oさんの遺してくれた言葉が、この北海道の「神楽」の発見につながった。
    Oさんは、10年前に亡くなっている。
    しかし、この言葉によって、歴史が再び蘇った。

    それは、全て、不思議だなぁの働きに他ならないと、私は信じている。

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  • from: クマドンさん

    2017年08月26日 06時32分36秒

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    独りだと想っている人へ

    昨日のハートネットTVで「いじめ」についての番組だった。
    中学生のグループでラインを使っての実験だった。

    一人の男子が、打つ速度が遅く、
    なかなかその話題の速さについていけなくなってしまった。
    すると、他の女子が、イライラとして腹を立てて、攻撃モードになった。
    すると、その強い女子に対して、周りの子も何も言えなくなった。
    少しでも批判的な言葉を書くと、「あんたは味方、それとも敵」と、
    どっちかの立場に立たされる。
    「味方でも、敵でもないし、ただ、あの子が可哀想だよ」と言えば、
    「あんたは、私の敵なんだね」
    そこからは、はっきりと色分けされ、その言った子も攻撃の対象となる。

    そんな会話を読みながら、他のメンバーもビビッてしまう。
    忖度して、攻撃している女子の気に入るように言葉を使う。
    または、その会話に入らずに、目立たなくする。
    その内に、力関係が拮抗している二人の女子で、バトルが起きる。
    ここでは次に問題となるのは、「勝った。負けた」であり、
    「私が正しい。あんたが間違っている」である。

    ああ、0か1なんだよなぁと、そんな会話を聴くといつも感ずる。
    百人いたら、百人違っていていい。
    千人いたら、千人違っているのは当たり前。
    なのに、「こうするのが正しい」「みんなはそうしている」「あいつはおかしい」
    そんな一方的な決めつけが、ここで行われる。
    自分とは違い、自分では理解できない価値観で生きている人を、
    人は、「分かろとする」前に、異質なものとして攻撃する。無視する。
    そして、必ず、同調し、同意する仲間を集める。
    そこいら辺が、いじめをする人たちは、巧妙で、人の心理をよく知っている。

    独りになることが怖い。
    仲間はずれにされたくない。
    だから、この強い、怖い人の言うことを聴いて、肯いておこう。
    自分でもそんなこと嫌だなぁと想っても、否定はできない。黙っている。
    そんな空気の中でも、
    「みんなおかしいよ。あんたたち酷いことしているね。可哀想だよ」
    「やめな。やめな」と、言える人がいて欲しい。
    この人こそ、本物の勇気のある人だ。

    私は、60歳になるまで後三日となった人として、想うことがある。
    「独りでいいよ。独りがいいよ。独りが楽だよ。独りでいたら」と。
    いじめを受けて、自殺を考えた子たちの話があった。
    みんな自分の苦しかった体験を話すだけで、涙が溢れて、止まらない。
    「学校になんか行きたくない」
    「また、行けば、死ねと言われたり、無視をされたりする」
    「死ねば、そんな苦しみは、なくなるんだ」
    そう想って、今、ここを、切羽詰まって生きて来た人だった。

    私も、いじめを受けたことがある。
    それも、大人になってからも、大人たちからのいじめだった。
    あることないことを言いふらし、
    あいつはこうだ。あいつは駄目なんだと、決めつける。
    そんなこと独りで想っていたらいいのに、
    この手合いは、必ずこうしたストレーシープを作って、仲間とつるむ。
    飲んだ時に、人の悪口ばっかり言う大人もいる。
    私は、黙っている。腹も立つし、こんちきしょうとも想うが、
    仕方ない。
    そうせざるを得ない人たちが、大人の中にもちゃんと居るんだ。こんな人が。

    それは、とてもとても哀しいことだった。
    「これって、立派ないじめだよ」と、私は想っても、
    彼等、彼女等にとっては、「これって、正義なんだ」だった。
    私は、だから私は、01の人とは、付き合わないことにしている。
    独りのほうがいいし。
    そんなラインなんかにも入りたくないし、
    どんどん友達がいなくなったのは、そのためでもあったな。

    違っていい。
    違うことが、大事なんだ。
    絶対に同じにはなれない。
    独りで生きられる人ほど、強い人なんだ。
    友達に気を使うくらいなら、独りがいい。
    人を馬鹿にしたり、否定したりする、そんな人には絶対になりたくない。
    独りで生きていると、きっといつかいいことと出会えるよ。
    独りって、楽しいよ。
    独りで、いいよ。
    独りで、自分の好きなことすればいい。
    学校には、行かなくていいよ。
    生き続けることが、大事、大事。
    私もいじめられた。
    でも、そんなのしばらくのこと。
    独りで居られるそれは修業だったな。

    私をいじめた人のことは、私は絶対に忘れない。
    大嫌いだ。でも、仕方ない。その人は、そうする人として生きているから。
    一時は、そんな人とも一緒に居なくてはならなかったりする。
    でも、今は、その人とは、会わなくてもいい。
    例え、会ったとしても、私は、何も言わない。何も想わない。
    いい歳をして、その程度しか成長できない、何だか哀れな人だった。

    みんなは、ちゃんと知っている。感じている。
    あの人がやっていることは酷いことだと。
    あの人に攻撃され悪口を言われているあの人が可哀想、助けたいと。
    また、逆に攻撃的に、ただ私の言うことをききなさいといっている人には、
    誰も本気では付き合おうとしない。
    おっかないから、うわべだけ合わせている。
    だから、本当の孤独を死ぬまで味わわねばならないのは、
    「あの人って、いじめっ子だったよね」と、言われている人だろう。

    人は、人にしたことは、自分がされることなんだ。
    人に対してしたように、ちゃんと自分に対してその答えが返って来る。
    それは、60年生きてみて、よく分かった。真実だったな。

    自分の体験を語りながら、泣いているその子の周りにいる子たちも、
    涙を流し、泣いていた。
    「独りだよ」と想っている人の周りには、
    こんなにたくさんの心の哀しみを共感し、共有できる友が居る。
    抱き合い、励まし合っているその姿は、
    いじめている人たちの側の人たちには、絶対に無い姿だ。
    何故なら、いじめているその子のことが、みんな好きでないから。
    その子と居たくないから。
    いつか必ず、その子と離れたいと想っているから。

    独りであることで、独りと出会える。
    哀しみを深く深くで感ずることで、人の哀しみを深くで共感できる。
    痛みを知ることで、痛んでいる人の痛みを自分のこととして感ずることができる。
    それって、とてもとても人間的に豊かで、深いことなんだ。
    哀しみの根っこが深く深くなればなるほど、
    その人の人生の幹は逞しく成長し、枝葉を伸ばして、大きな樹木になるはずだ。

    だから、そんな人としてどうしょうもない人のために、負けないで欲しい。
    誰かに、必ず相談してほしい。
    話てほしい。大丈夫。大丈夫。みんなそうやって生きて来たんだから。
    お父さんも、お母さんも、きっといじめを体験している。
    その辛さは、よくよく分かってくれるはず。
    そして、苦しかったら、休めばいい。
    大人になってみたら、ああ、人生って何とかなるなと、
    想う日が絶対にやって来る。

    私は、涙が止まらなかった。そのまま泣いていた。
    そして、こんなことを想い、語りかけていた。

    本当は、私のように応援したい人たちばかりなんではないだろうか。
    いじめているその人たちこそ、少数の孤立した人たちなんだ。
    その人たちのことは、忘れないこと。
    そして、自分は絶対にあんな人にはならないぞと、想うこと。
    そうしたら、きっとその人は、心豊かで、勇気のある、素敵な人になることだろう。

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  • from: クマドンさん

    2017年08月24日 06時32分48秒

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    諸先輩たちの「言葉」を聴く

    飲み過ぎは、身体に応える。
    本当に胃腸が弱くなっているようだ。
    昨日の朝は、少々応えた。
    むかむかとして、気分がどうもすっきりとしなかった。
    前夜に盆踊りに向けて、飲み過ぎたせいらしい。
    いや、そんなには飲んでいなかったのだが、
    やっぱり体調は、正直だ。

    老人ホームの人たちだった。
    踊る私たちのことを、車椅子に座って、じっと見ていた。
    その眼差しの深さに、何だか心を正されるような気がした。
    どんな人生を生きて来られた人たちなのだろう。
    きっと多くの試練や哀しみや、苦しみを経てここに到っているはずだ。

    みんな人には言えない何かを必ずもっている。
    そのことに気付いてから、私は生きることが楽になった。
    私だけがということは、一つもなかった。
    みんなではなくとも、誰かが同じ悩みをもって生きている。

    悩みの無い人は居ない。
    苦しみの無い人は居ない。
    哀しみの無い人は居ない。
    それが、この世で生きるということだ。

    だから、聴いてみたい。
    教えてほしい。
    どのようにして生き抜いて来られましたかと。
    どんな哀しみを受け、どうやってそのことを受け入れ、乗り越えて来ましたかと。
    どんな罪を犯し、そのことはどうやって赦されましたかと。
    今、ここで、何を信じて生きていますかと。

    本当は、生きることの偉大な先生が、この人たちなんだな。
    「人生フルーツ」を観て、津端さんご夫妻に出会って、
    私は、改めて、そのことに気付かされた。
    生き抜いて来るには、やっぱり生き抜くだけの知恵がある。
    その状況に置かれたら、置かれたなりの心構えや、
    きっとベタァな生き方の選択があるはずだ。
    それを、もっともっと若い人たちは、聴くべきなんだ。

    飲み会で、畑の作物の話になった。
    すると、やっぱり諸先輩は、経験知で語ってくれる。
    何年間も実地で実験し、何度も失敗し、あれやこれやを試した結果、
    その経験知は何をどうしたらよいのかを物語ってくれる。
    まさに、不動なる真実の「言葉」だった。

    生きるとは、考えることであり、工夫することである。
    どうしたらよいのだろうかの連続が、この生きることなのかもしれない。
    そんな場数を諸先輩たちは、どれだけ踏んで来たことだろう。
    そして、いろいろと考え、工夫して、その課題を克服して、乗り切って来た。
    その生き延びて来た体験こそが、肥やしとなって、
    その人たちの人間性を輝かせている。
    語る言葉のある人は、しっかりと自分を見つめて生きて来た人だ。

    あのホームの人たちは、まさに私にとっての人生の先輩であり、
    いかに生きるかの師でもある。
    だから、踊りながら、何だか、とても、話を聴きたくなった。
    話を聴くだけでいい。
    ほんの些細な話でも、そこにはその人の生き様や、人生観が滲むはずだ。

    「生きてみないと、分かりませんね」と、90歳の女性二人の会話だった。
    「年をとると、人生がもっと美しくなる」とは、津端英子さんの言葉だ。

    みんな諸先輩たちは、自分の人生を生きてみて、
    もうすぐその役目を終えようとしてみて、
    つくづく語れる「言葉」が必ずあるはずだと、私は信じている。
    私自身、このどうにもならない生涯を終えようとするとき、
    「ああ、生きるって、こういうことだったなぁ」と、
    何かにやっと深く気付き、そのことに思い至り、
    やっと発見できた喜びに満たされながら、
    一つの「言葉」を呟きたいものだと想っている。

    その「言葉」に出会うために、今、ここに、生きているようなものかもしれない。

    だから、その「言葉」に気付き、
    その「言葉」を深く日々味わっている諸先輩たちに、
    その「言葉」の意味を教えてもらいたなぁと、
    そう想っている。

    私が出来ることは、その「言葉」と出会い、
    その「言葉」をこうして記録に遺すことだけだ。
    そのことなら、私でもやれるのではないかと、考えている。

    胃腸だけが弱っているのではない。
    私は、来週の月曜日で60歳となる。
    いよいよなんだ。
    ゼロにリセットされる。
    そこから始まる自分の人生は、始めから意識的に生きられる自分らしい人生だ。
    そこからどんな円環運動が始まるか。
    知るのは、神のみである。

    ただ、「任せよう」「委ねよう」「受け身であろう」「信じよう」は、
    日々の修業として続けようと想っている。

    どうやって諸先輩たちの「言葉」と出会おうか、
    只今、思案をしているところだ。

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  • from: クマドンさん

    2017年08月22日 06時29分25秒

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    生き継ぐ

    さてさて、50歳代もあと6日間となった。
    よくまぁ、この日が来れたものだと、
    吾ながらの感動だった。

    昨日は、プチ電車の旅だ。
    東新津の「花水」まで出かけた。
    平日の温泉は、ゆっとりしていて実に気持ちよかったな。
    平日に休むことはなかった。
    ところが、引退すれば、毎日が日曜日となる。
    湯上り処で、ごろんと横になってい団塊のおじいちゃん、おばあちゃん。
    それが、いつかの私の姿だ。

    ただ、生きている。
    いや、ただ生かされているだろうか。
    人は、何の為に生きているのかではなく、
    生きるとは、何かの問いなんだな。
    その問いに、どう生き方そのもので答えて行くのか。
    ある日の研修ではっと気づいた「応答」だった。

    そうなんだな。
    私は、その内なる声に呼ばれてここまで生かされて来た。
    その内なる声は、どんなことを私に語ってくれているだろうか。
    その声に、耳を澄ます。
    その声に、ただ静かに心を傾ける。
    いつか、きっと、その声が、声として聴こえる日が来るはずだ。
    そんな、いつかを信じている。
    それって、とてもありがたいことではないだろうかと、
    ふと、気付いた。

    不思議だなぁと、よくSさんと話をする。
    この不思議だなぁで、全部が治まる。
    この不思議だなぁで、振り返って見ると、みんな繋がる。
    ばらばらだったことが、一つの物語になる。
    ああ、そうか。そうだったのか。
    あのことは、このために、このことに気付くためにあったんだなぁ。

    人は、自分の思いで生きているとばかり思っている。
    本当は、全然違っていることに気付かないままだ。
    私が、想って行ってきたことは、本当にたかが知れている。
    ろくでもないことばかりだし、どうにもならないことばかりだ。
    あれもやった。これもやった。
    それを覚えているは、私独りだ。
    だから、そんなことはもうとっくに、どうでもいいことなんだ。

    「今、ここ」に、きっと何かがあるはずだ。
    「おいおい、クマさん、クマさん、あのね・・・・」だろう。きっと。
    そう呼ばれたら、ただ「はい」と返事して、
    その言葉のままに生きられるか否か。それだろうな。きっと。

    露天風呂でじっとしていた。
    サウナでもじっと耐えた。
    瞑想風呂でも、泡の影をずっと見ていた。
    黙って、何も言わず、独りで、そこに居ただけ。
    言葉は、聴こえてはこなかった。
    でも、不思議に、何かを信じている自分がそこに息をしていた。

    信じられたら、それはとてもとてもすごいことなんだ。
    私は、60歳を手前にして、
    「信じています」と、はっきりと言える。
    それは、向こうの方から、まだまだと言う声は聴こえるが、
    不思議なのだが、信ずることができることに、感謝、感謝だ。

    全ての命は、衰え、老いて、死に向かう。
    でも、信ずることで、そこで終わりではないことを信じられる。
    死は、途中なんだ。
    死は、あるプロセスに過ぎない。
    その、不生不滅なるものに、今、ここで、還ることが、生死事大 見性成仏だ。

    おいおい、それより大事なことは、この世にはないんだよ。
    それが、私の内から呼びかけてる声であるのかもしれなかった。
    生き死にを明らかにすること。
    そこに、落ち着くこと。
    そうあるなら、そうあるがままに生きること。
    それって、とてもとても大事な生き方なんだと、
    この歳になって、改めて分かった気がした。

    ただし、明徳に成り切れないんだなぁ。
    いつも、わさわさと欲があり、わさわさと煩悩が生まれ、
    どうにもならない恥ずかしい自分自身が姿を現す。
    そうなんだなぁ。そこに、何だかねぇとの想いが生まれる。
    でも、でもだ。
    それでも、「大丈夫」という声が聴こえる。

    こんなどうにもならない私であっても、
    どうにもならないから始めれば、
    きっと大丈夫な生き方もあるはずなんだな。

    今朝、読んだ紀野さんの「いのち」に書いてあった。

    「我不愛身命 但惜無上道」法華経 勧持品

    「我、身命を愛せず ただ無上道を惜しむ」と、読む。

    そんな生き方を、「生き継ぐ」のだと、紀野さんは呼びかけてくれた。
    「無上道を生き継ぐ」
    まず、私が、どう生きるかなんだなぁと、
    この言葉との出会いを感謝している。

    言葉とは、生き方そのもののことなんだなぁと、改めて感じた。

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  • from: クマドンさん

    2017年08月21日 06時30分54秒

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    「心」は「魂」。声は無き声。

    さてさて、雨がしとしとと降りだした。
    残暑とはいえ、夏真っ盛りのこの時節に、雨は続く、続く。
    東京では、毎日雨が降り続いていると言う。
    作物の成長が心配だが、どうにでもなるものでもなく、
    ただ、人は、それを、受け入れるのみ。

    Sさんと、電話で語った。
    「心」と「魂」の違いについてだった。
    紀野さんの本を読んで、はたと気付いたことがあった。
    「心」とは、生まれてから本日までの私の経験から創られるものだそうだ。
    「魂」とは、私の父母が生まれる前から、太古の昔から手渡されているものだそうだ。
    それは、無意識の世界の話であり、私がどうあろうとも「ここに」在るものだ。
    私は、いろいろな人生の経験を通して、私なりの「心」を生きている。
    それは、個別な私らしい心できっとあるだろう。

    しかし、私が、いかなる私であろうとも、
    私が、どんなに罪を犯したり、哀しみのどん底にあったり、絶望したり、
    死にたいと想ったり、どんなに世間から酷いやつだと言われても、
    何にも変わらず。
    その深い深いその「魂」においては、
    その表面に現れた私ではなく、本来の「私」とての私は、
    全く変わらず、不動で、確かで、迷わず、ぶれずに、
    もし生まれた始まりがあるとしたら、
    その瞬間から、今、ここまで、
    全くそのままで、私は、それを父や母からいただいて生きている。

    そのことを、私は、信じられる「私」になったようなのだ。

    かって沼垂四つ角に在った焼き鳥屋「山小屋」には、
    カウンター脇の柱に、
    墨字で色紙に書かれた、次の言葉が飾られてあった。
    「無声呼人」「むせいこじん」と、それを読む。
    「声なき声が、人を呼ぶ」
    私は、20年間以上この店に通い、店に入ると必ずこの書を見るのだった。
    「確かに、本日も、私は、呼ばれて来たなぁ」と。
    森田さんと言う哲学者のような店主の魅力に、
    このカウンターに毎夕集っている常連さんたちは、
    呼ばれて、ここに座って、今世司を飲んでいるんだなぁとばかり思っていた。

    しかし、実は、そうではなかったのではないかと、やっと気付くことができたのだ。
    何が言いたいかと言うと、呼んだのは森田さんではない、ということだ。
    人は、みんな、魂からの声無き声に呼ばれているということだ。
    その深い深い普遍的無意識からの声を聴いたら、
    その声に従い、その声の命ずるままに生きろとのことだった。

    「心」には「我執」がべとべとに張り付いている。
    「俺が、俺が」だ。
    自分さえ良ければいい。人のことなんぞどうでもいい。欲しいものは、手に入れる。
    これもまたまた人間らしい、人間臭い生き方そのものだ。
    でも、その「心」には、揺るがなく永遠から受け継がれている「魂」がある。

    ここが、この世に生きることの救いでもあるんだなぁ。
    「明」があれば「暗」がある。
    「真」があれば「偽」がある。
    「美」があれば「醜」がある。
    「聖」があれば「穢」がある。
    そうして相対的に一見対立するような価値であるが、
    よくよく見れば、それは、対立した存在ではなく、一つの存在なんだ。
    それは、私の「心」の瞬時、瞬時の姿でしか過ぎないからだ。

    この時もあれば、あの時もある。
    こうしている時もあれば、ああしている時もある。
    その相対をふらふらと漂っている、あっちこっち歩きまわっている。
    それって、「心」そのものの在り方なのではないだろうか。

    だから、それを認めればいい。
    本当にどうしょうもない、どうにもならない自分がここに生きている。
    それで、いいと、私は、想った。

    ただし、そんなどうにもならない私には、
    ちゃんと「魂」が存在している。
    その「魂」は、実は、とてもとてもリアルに、ここにあり、
    その深い深いところにずっとずっと眠っていたりする。
    しかし、「心」に惑わされ、「心」が乱れ、どうにもならなくなると、
    すーと現れ、「声なき声」で、私の「心」=「煩悩」に呼びかける。

    その声は、父の声であるかもしれない。
    母の声であるかも知れない。
    私を可愛がってくれた祖母の声かもしれない。
    それは、きっと「仏の声」である。
    でも、その声からは、絶対に、どうしても、どうあろうと、
    「私」は、離れられない。
    何故なら、その声こそ、「自分自身」だからだ。

    その「声」とは、「言葉」である。
    それを「真言」と呼んでいる。
    この「真言」は消えることなく、滅することなく、
    生まれてもいないし、死んでもいない。
    そこに、思い至る。
    その「声無き声」を聴きとる。
    いや、その声は、私に対してだけの「声」であると信ずる。
    ここから先は、「信ずる」しかないのだが、
    「無声呼人だ」と、感じたら、従容として、それに従う、黙って歩く。

    その声に対する、絶対的に受動する。
    だから、人は、信頼できると、私は信ずる。

    ふわふわとした「心」に頼り、「心」に翻弄されているうちは、
    闇の中を、煩悩の苦悩の炎の中を、歩くだけの人生となるだろう。
    だから、「おい、クマさん、声無き声が、呼んでるよ」だった。
    この「魂」は、絶対に裏切らない。
    この声が「行け」という道は、たとえどんな困難な道であり、試練の道であろうとも、
    やっぱり、従容として、その声の赴くままに、生きることなんだな。

    雨が、すっとやんでいる。
    屋根の瓦も、乾き始めた。
    小鳥が遠くで鳴き始めた。

    龍山は煙雨  浙江は潮

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  • from: クマドンさん

    2017年08月20日 20時53分55秒

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    相互扶助は、町内会の目標だ

    さてさて、地域暮らしについてだ。
    昨夕、我が家のビアガーデンで、Mさんとの懇親会だった。
    不思議だなぁだ。
    佐渡出身のMさんとは、出会うはずのないシュチュエーションだった。
    町内会の活動を通して、こうして出会い、意気投合して語り合える。
    私よりも6つも先輩。
    それでも、こうして話してもらえる。
    在り難いことだと、いつもいつも感謝だった。

    地域で暮らす。
    それってとてもとても大事なことだったと、やっと分かった。
    どのようにして最期を迎えたいか。
    その答えが、この地域社会にあるということだ。

    退職をする。
    現役を終わる。
    実は、そこからが人生は長い、長い。
    老化は普遍的な出来事だから、年を追うごとに不具合が起きる。
    若い頃は、何でもなかったことが、年をとるとできなくなることが多い。

    平日の日中も、ここで暮らしている。
    なのに、やることや、することがない。
    知り合いも居ないし、隣近所とも疎遠な仲だ。
    挨拶もしないで自分の家にだけ閉じこもって暮らしている。
    それでいいのか。だと想う。

    現役を引退したら、自分の自宅のある地域社会に生きる人となる。
    なのに、誰一人として、知り合いがいない。
    声をかけたり、挨拶したりする人もいない。
    現役時代の会社関係の人とは、もうお付き合いはできるはずもない。
    そちらは、既にあなとのことを忘れているはず。
    では、どこで、何をしたらいいのか。

    その時が、町内会の出番だった。
    地域社会に居場所を作ると同時に、
    まだまだ若いのだから、そこで果たす役割を自分から担っていく。
    町内会の役員であったり、イベントのお手伝いであったり、
    祭りであったり、飲み会であったり。
    そこに参加して、そこに仲間を作る。
    これって、とてもとても大事な生き方だ。

    最期がここならば、いかにここで気持ちよく最期を迎えることができるかだ。
    そのためのシステムを、繋がりを、今の内から構築していく。
    団塊の世代の人たちは、声を出さない。
    弱音を吐かない。人の面倒にはなりたくはなかった。
    だから、じっと独りで耐えていたりする。

    でも、本当は、相互扶助。お互いに声をかけ、支え合える関係を作っていく。
    そうすれば、私が支援できなくとも、
    支援できる機関や人とつなげられる。
    ケアマネと繋がれば、介護保険や自立支援の手助けを得ることもできる。
    「困っています」「助けてください」それを当たり前に言い合える関係作りだ。

    福祉を中心にして町内会を再編成する。
    町内会なんかと、かかわりをもとうとしない人も多いようだ。
    でも、遠くの家族より、近くの他人は本当だ。
    お年寄りや、障害のある人、子どもたち等、
    社会的な弱者と呼ばれる人たちが、安心して生きられる町内会ならば、
    今は健康な高齢者も、いつかその日を想定しても、
    この地域社会なら任せて生きられると想うと想う。

    そのために、町内会はある。
    そんな発想は、未だかって、どこにも無いのかもしれないと、
    Iさんと話ながら、想っていた。

    実は、町内会が、セーフティーネットなんだ。
    人は、老いる。
    人は、孤独だ。
    人は、独りでは生きられない。
    人は、明日、障害のある人になるかもしれない。
    人は、誰かの助けや、声掛けが必要だ。

    そうした、この現代を生きる高齢者たちの願いや想いに、
    ちゃんと応答できるシステムを、
    町内会はもつべきではないかということが、
    昨夕の、二人の共通理解だった。

    私が、ずっと呼びかけている「親父たちよ」が、
    今は、60歳代以降となっている。
    もうすぐ還暦を迎える、親父たちよの独りであるこのクマさんは、
    自治会の存在の意味に深く深く気付いてしまった。

    町内会に、飲み仲間がいる。
    町内会に、共感理解する同志がいる。
    町内会に、果たすべき役割がある。
    町内会に、生業が在り、イベントでの活躍の場が用意されている。
    町内会に、頼れる場や人がある。
    町内会に、集える場や機会がある。
    町内会に、生活に困った時に支援を求められる場や人がある。

    そんな町内会を目指したらいいのではないかなぁと、
    大いに飲んで、語り合うことできた。
    孤立しない。
    孤立させない。
    みんなの中の一員として、考える。手助けをする。声をかける。

    そんな町内会を作りたいなぁ。
    決してこれは時代錯誤ではなく、
    超時代であり、各人が各人で所属している町内会で、
    やるべき仕事はこれなのだという、
    ある意味の先行事例になるのでしないかと、ときめいている。

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