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親父たちよ

親父たちよ>掲示板

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  • from: クマさんさん

    2007年01月31日 06時02分01秒

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    大きな目標・小さな目標

    毎朝6時にはジョギングに出かけた。
    4kmのコースを25分で走る。
    今まではそのコースを2回歩いていたが、
    先週からは一気に走ることにした。
    今月は60km以上走ったり、歩いたりしている。
    それは、私にとって大きな目標が出来たためである。

    目標があると、人はやる気をもって取り組める。
    その目標を達成するために、日々の努力を積み重ねる。
    小さな目標でも、それは人に生きる張り合いを与え、
    生活の中で改善し、工夫しようという意欲を与える。
    どんな小さな目標でも、
    それを持つことは人に生き甲斐と心のエネルギーを与えてくれた。

    しかし、その目標を持たない子どもたちや大人たちが増えたのではないだろうか?
    目標とは今の自分の力では達成できないが、
    根気強く長い時間をかけて、努力することで達成できる範囲のものである。
    その設定には、「根気」「忍耐」「克己」「努力」という心の力が必要である。
    しかし、子どもたちを見ていると、その力の弱さを感じてしまうのだ。

    いろいろな親から受験生の話を聞くと、
    「勉強しないんだ」という話を多く聞く。
    子どもたちを見ていても、
    昔の私たちのように受験に対する悲壮感はないかもしれない。
    この時期に、推薦や私立の専願で合格している子どもは多かった。
    公立の受験でも、自分の力を考えて無難な学校を選んでいる。
    私たちの頃の狭き門と違い、
    今の子どもたちにとっては、行き先は無理をしなければあるのである。

    私自身恥ずかしい話だが、
    中三のこの時期が人生で一番勉強した時であるかもしれない。
    それは一つ上の高校に間際になって選択を変えたからだった。
    この早起きもその時からだし、必死になってしがみついたものだった。
    結果は、残念なものに終わり、この世の厳しさの洗礼を初めて受けた。

    上を目指している子どもたちには、日々が戦いであると思う。
    しかし、行ける高校を目指している子どもたちには、
    かってのような大きな壁も、困難も感じないのかもしれない。
    「ここならは大丈夫」と思い、
    「根気」「忍耐」「克己」「努力」を怠り、
    大きなリスクを受けるかもしれない賭けをしないから、
    子どもたちの心がいつまでも強くなっていかないのではないだろうか?

    そんな意味では、高校受験は人生における大きな試練であり、
    15の春の元服であったのかもしれないと思った。
    今は豊かな時代で、試練も元服もなくこの時代を通過することができるのだ。

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  • from: クマさんさん

    2007年01月29日 22時23分24秒

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    おかんと僕と東京タワーを皆観ているかい?

    東京タワーというドラマを観ているだろうか?
    毎回泣けて泣けて仕方が無い。
    どうしてこんなに泣けるかというと、
    私も学生時代4年間東京で暮らしたからである。
    それも、あの北九州から出てきたリリー・フランキーのように、
    何も知らず、田舎者で、金が無く、コロッケを食べて生きていたからである。

    それなりに夢はあった。
    とにかく映画が好きだったので、東京で映画の舞台を観たかったのだ。
    新宿・銀座・池袋・映画で観た世界がそこにあった。
    北都映劇でみた日活のギャング映画に、
    そのネオン街は舞台となっていた。
    そこに燦然と輝いていたのは、憧れの象徴である東京タワーなのだ。

    ここへ行けばきっと何か魂に響くものが存在するはずである。
    山ノ下ではなく、東京に行けば・・・。
    夢は山の彼方へ飛翔する。
    このドラマの主人公のように、
    安アパートの一室、そこには小さな台所がついていた。
    テレビも電話もなかった。
    用事があるときは、母が下の大家さんに電話を入れた。
    便所は共同で、風呂も無かった。
    風呂屋はすぐ隣で、テレビが観たい時には風呂屋か、仲間の家に出かけた。

    母からは時々不定期に送金はあった。
    あとは自分でアルバイトをして食っていた。
    本当にどうやって食っていこうかという感じだった。
    土日に金が無くなり、バス代だけ残し、
    目黒のおじさんの家に行って、ご飯を食べさせてもらい、
    こづかいをもらって帰ってきたことが何度もある。
    そのおじさんが昨年の暮れに亡くなったのだ。
    あの頃はややせていたはずである。
    とにかく何処でも歩いて出かけた。
    乗り物に乗るためには、乗車賃を払わねばならぬからである。

    ただし、酒を飲む金は別であった。
    渋谷の屋台ですっからぴんまで飲んでしまい。
    祐天寺の我がぼろアパートまで何度も歩いて帰った。
    夜中にとぼとぼと歩くことは苦にもならなかった。
    金も無いことも苦にもならなかった。
    アルバイト代が入ると、
    土曜日の昼に蕎麦屋で天丼を食べることだけを唯一のご馳走としていた。

    そんな田舎者の私には、東京タワーは憧れの象徴だったのである。
    なぜこのドラマの題名が「東京タワー・・・」であるか、
    今夜よく分かった。
    あの時代、あの東京に生きていた私と同じ思いで
    東京タワーを見つめていた人が無数にいたのである。

    東京は、冷たかった。
    東京は、孤独だった。
    東京は、突き放した。
    だけど、東京で生きることを決めた。

    だから、故郷からの母親の電話が懐かしく、暖かく、切なかった。
    ドラマの母は、そんな電話をかけたくて、
    ガンに侵された甲状腺だけを取る手術を選択した。
    声帯を取られたら、マー君と話せないからである。
    徹頭徹尾子どもを愛する。
    親ばかでいいではないか。親ばかになれる親ほど尊いものはないのである。

    東京タワーの映像と、
    息子の初めてのイラストが掲載されている雑誌を買い占める母の姿と、
    電話での母の声に、涙が止まらなくなってしまった。

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  • from: クマさんさん

    2007年01月28日 10時34分35秒

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    桃小・山小同盟成立する

    Cさんの熱意が教育委員会を動かしたと思います。
    実現するまで働き掛け続ける根気と根性。
    それはやろう会をここまで育てたプロセスでも発揮されています。
    昨夜は(今日は)盛大に盛り上がりましたね。

    発展的に進化する会は、次々に新たな方向へと増殖していく。
    後ろ向きではなく、絶えず前向きに行動している。
    次は何をすべきかを察知して、
    そのすべきことを実現するための努力を惜しまない。
    そのために仲間が必要ならば、仲間が集まる。
    その仲間たちはやる気にあふれ、アイデアにあふれていた。

    新潟市の教育ビジョンが発表された。
    その中で「学・社・民の融合による人づくり、地域づくり、学校づくり」が
    基本構想に上げられている。
    特に「地域と学校パートナーシップ事業」では、
    ○学校が地域にとって、もっと身近な学びの拠点となるために
     ・学校の中に地域コミュニティ室を作り地域の人たちの交流の場とする。
     ・学びの場としての子育て情報交換や、サークル活動を行う
    ○学校が地域住民が特技を活かし、自己実現する場となる。
    ○地域の大人と子どもとの交流、ふれあいを盛んにする。
    「学校は地域の一部」「地域全体が学校」という発想から、
    地域と学校が手をつないだ、地域ぐるみの教育が行われるとされている。

    この構想が面白いのは、
    学校と公民館等の社会教育とだけの融合ではなく、
    民として自治会・PTA・民生委員・コミュニティ協議会・
    そして、我ら「やろう会」「おやG会」のような自主的な団体も含まれることである。
    この三者をつなげるために、
    地域コーディネータを地域から人選し、活動を推進するとのことである。

    その構想が具体化されるとどんな活動になるかというと、
    私たちがこれから取り組もうしている「冬のにぎやか広場」であると言えるのだ。

    実は、各小学校・公民館・PTAと親父会の融合は、
    新潟市のこれから目指す教育の先進的な取組であると言えると思う。
    昨夜は桃小・山小の両PTAが結集した記念すべき日であった。
    総勢20名はいただろうか。
    意識のある親たちがこれだけ集まり、顔つなぎが出来れば、
    山ノ下地区でどんな問題が起ころうとも、
    お互いに連携を取り合って対処できると信じている。

    学校や地域を支えるためには、この連携はとても大切な役割を果たすと思っている。
    山ノ下のための海援隊「やろう会」は、
    桃小PTAと山小PTAとの薩長同盟を成立させる橋渡しが出来た。

    ギターで昔のフォークを歌いながら、
    いつの間にか日曜日になっていたのには驚いた。

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  • from: ピエモンテさん

    2007年01月27日 13時30分02秒

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    中学生・福祉について

    なんとかうちの長男 も山ノ下中学の情緒クラスに決まりました。ようは情緒クラスつくりました。今まで先輩たちが何度申請してもできなかっらのが、時代の流れかできました。小・中の校長の応援を取り付け、学校指導課の了承は得ていたが、ようはお金の問題といわれてました。クラスを新しいクラスを作ること・先生を新しく入れなければいけないのだ。はじめ中学の先生にはあき教室がないとのことと、申請が1人では・・
    3人いなければ難しいでした。それから同じ学校の親でこころあたりのある人に話すと
    その親も同調してもらい2人に。あとはいろいろありましたが、きょう通知がきました。地域を大事に考えてたのでうれしい限りだ。これで制服が買えますわ。

    ワーキングプアですが、先日の新聞で在宅知的障害者41万人の記事をみた。いろんな
    アンケートの数字かきます。去年より27%在宅の人が増えた。この背景には福祉サービスの利用増で把握できたためだ。また生活の場は家が85%でグループホームが6.6%だ。作業所で仕事してる人の7割が月給1万未満だ。
    これから福祉サービスは伸びるし、利用者も増えるが行政に金がない・・・・
    仕事したい若者も臨時ですこしの募集があるだけ。
    力がほしいです。

    きょうのおやG会との交流が楽しみだ。

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  • from: クマさんさん

    2007年01月25日 22時16分00秒

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    親父たちは「七人の侍」を観たことがあるでしょうか?

    侍七人集まったら村は守れる。
    黒澤明の名画「七人の侍」は、
    私たちが行おうとしている街づくりのバイブルであると以前書いたことがある。

    月曜日の夜、私たち親父八人は新潟駅前の「とん八」に結集した。
    それは、イケ面板さんのYさんと一緒に皆が呑むためだった。
    彼は、この映画で言えば木村功演ずる若侍であろう。
    日頃彼のお店でお世話になりっぱなして、
    ゆっくり彼と飲む機会ができなかった。
    そんな意味でtakiさんが設定した会だった。

    当初会場を沼垂四つ角の山小屋と考えたようだが、
    Cさんの「あの店さーーめかったて」の一言でここに決まった。
    誰が集まるか分からぬまま、この店を訪れると、
    何とそこには五人の侍たちが呑んでいた。
    この店の名物「越後餅豚」を肴にして、愉快に語り合う侍たちであった。
    そこに遅れて、仕事を済ませたCさんと、Oさんとが駆けつけた。
    このメンバーを見ているだけで嬉しくなった。
    2年前の今頃は、何の接点もなかった親父たちが、
    今は何かのために集まって、わいわいと胸襟を開いて語り合う仲間となったのだ。

    話題はもっぱら、takiさんの禁煙の話と、
    これから我ら親父たちが目指そうとする新潟マラソンの話であった。
    takiさんからはね禁煙パッチの効能と禁煙の苦労話を聞き、
    Cさんからはトンネルでトレーニングをやろうというお誘いがあった。
    名づけて「親父ランナーズ」である。
    絶対に参加拒否の三人の親父たちをみんなで説得していた。

    仕事でもない、ただの親父たちの集まりである。
    何のしがらみも、義理も無く、ただ縁あって集まった親父たちである。
    年代は幅広く、出身小学校も三校に分かれていた。
    共通の知り合いも無く、仕事上の接点も無い八人である。
    あの映画で集められた侍たちもそうであった。
    初めはただ偶然通りかかった侍たちであった。
    しかし、老侍と出会い、百姓の話を聴いて、
    何かを感じ、参加した侍たちであった。

    私は卓を囲んで談笑している親父たちを観ていて、
    あの「七人の侍」のワンシーンを思い出していた。
    そして、この侍たちの活躍が2月11日に迫っていた。

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  • from: クマさんさん

    2007年01月24日 21時51分50秒

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    音の無い世界は

    次男との算数の勉強は続いている。
    今夜は私の部屋で、彼は小数の掛け算の復習をした。
    やらされることには、反発を感じるタイプである。
    それでもやらせることに意味がある。
    上の教科書で、掛け算の筆算を復習した。
    思い出したようである。
    あれだけやりたがらなかった彼が、どんどん筆算を解いていた。
    私はその横の机に向かって本を読んでいた。
    「○付けしようか?」と電卓を出したら、
    「僕がやるよ」と自分で○付けを始めた。

    その後は、恒例となった筋トレが始まる。
    腹筋・スクワット・腕立て伏せ・ストレッチ。
    私も一緒に体を鍛える。
    「筋肉つくかなぁ」サッカーが上手くなりたい一心だった。
    「牛乳飲んでくるよ」と台所に降りて行った。
    そして、今は布団の中に入っている。

    昨日、参観日に行ったおかげで、私は彼に対する見方が変わった。
    やっぱりどこかで手をかけて、自信を育ててあげねばならぬのだ。
    長男は、実は5年生頃の学習には親は必要なかった。
    その認識が、次男を苦しませてしまったようである。
    兄弟は違うのだ。
    そんな当たり前のことが、分からない親であったと反省している。
    彼には、一緒に勉強してやり、
    勉強の習慣をつけてやるべきなのだ。

    そして、勉強の相手をしている間は、彼とは二人で会話しているのだった。
    遅くて一緒にいることができない日が多いが、
    今度は、彼に嫌がられながらも、
    この部屋で静かに勉強することを誘うことにする。

    テレビの音の無い世界は、とても静かな世界である。
    その時、家族はお互いの存在を確認し、
    思いや気持ちを伝えるために言葉を交わす。

    会話を成立させるためには、
    テレビの映像と音声の無い状況を成立させるべきなのだ。
    何だか次男と二人でいるこの音の無い世界が楽しみになってきた。

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  • from: クマさんさん

    2007年01月23日 20時58分04秒

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    参観日と講演会

    今日は次男の参観日があったので、午後から山小に行った。
    父親として子どもの学習する姿を見るのも勉強になものである。
    他の子と比較しながら自分の子のことを客観的に観られるからだ。

    算数の学習では、円の面積の公式を発見する授業だった。
    パソコンを駆使し、円が長方形に変わることが分かりやすく理解できる工夫に驚いた。
    難しい学習も、こうした工夫で実に興味深いものになった。
    公式を覚えるだけの授業ではなく、公式を発見するプロセスをたどる学習は、
    参観する保護者にとっても面白かった。

    しかし、我が子は手も挙げず、答えることも無く、黙々とノートを書くばかりであった。
    次に、例題を出されて、終わった人から先生に円付けをしてもらうのだが、
    我が子はいっこうに立ち上がる気配は無かった。
    「ほらAさんが終わったぞ」「おいおいNさんも先生の所に並んでいるぞ」
    「もうすぐ授業時間がおわってしまうぞ」
    だんだん親の私が焦ってきてしまったのだ。

    とうとう我が子は、間に合わずに算数の時間は終了となってしまった。
    私は、彼に気付かれないようにそっと教室を後にした。

    その後の講演会は、感動ものであった。
    文化教養部の部長さんは、我がやろう会のOさんである。
    新潟日報にエッセーを連載していた藤田市男さんが講師だった。
    実は、私はこの「家族っていいなぁ」のファンであった。
    親父が家族のことを語っていいではないか。
    親父が親父の弱音を吐いてもいいではないか。
    親父が家族のことが大好きでいいではないか。
    父親が家族を温かく語るその語り口が新鮮だったから好きだった。
    何よりも「やろう会」の立ち上げと同時進行であったから、
    なおさら共感的に理解された。

    家族の原点とは何か。
    「子どもは生きていてくれて」「ただそこにいてくれて」それだけでいいではないか。
    「生まれてきてくれて、ありがとう」
    そんな気持ちをもって誕生した子どもを家族は迎えたはずだ。
    「そのうちに過剰な欲求が生まれる」
    しかし、「子どものことで悩めることは幸せ」という
    子どもを小児ガンで失った親の言葉がある。
    私は不覚にも泣きそうになったが、ぐっと堪えた。
    ここで十分講演内容を伝えられず申し訳ないが、
    とてもとても単純で大切なことを私たちは改めて気付かせられた気がした。

    例えば、算数が苦手な子どもがいたとする。
    「何とかしなければ」と焦った親がいたとする。
    しかし、その焦りは子どものためなのか、
    親自身のためなのか問うてみるとよいと思う。
    「よい高校へ入ってもらいたい」と子どもを叱咤激励したとする。
    しかし、その本気は子どものためなのか、親自身の見栄のためなのか。
    そうではなく、子どもにしてやれることは、
    子どもが未熟ながらに選んだ道をまっとうできるように、
    本人にも分からないようにそっと影から手助けしてやることだけではないだろうか?

    私は親として迷いながら、日々子どもに教えられつつ修正して生きている。
    藤田さんは、エッセイの中でそんな自分の生き方をさらりと伝えてくれていた。
    そして、どんな親であれ、子どもが可愛いそれだけで十分であり、
    子どもはどんなに親に反抗しても、
    けなげに親のことを慕っているということなのである。

    この世の中で血がつながっているのは、親子だけなのである。
    この事実は、実は親子の真実を物語っているのである。


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    2007年01月21日 20時00分53秒

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    日曜日

    長男は本日新潟県統一模試であったそうだ。
    万代シティーまで送ってくれと言われたが、昨日却下した。
    しかし、本日友達のお父さんが送ってくれるとのことで、
    その家まで母に送ってもらって出かけていった。
    やっぱり我が家は過保護から脱出できないようである。

    次男は秘密基地を作るのだと、今週は放課後にある場所に入り浸っている。
    通船川の橋のたもとだそうだ。
    危ない所だったら大変だよと妻に言われ、
    私は4キロ走ったついでに偵察に行った。
    橋の上から声をかけると、
    友達と二人で顔を出した。
    いやはや本格的な秘密基地なのだ。
    梯子をかけ、ロープの登り綱を設置し、
    本日は一日かけて、居住スペースをこさえるのだそうだ。
    材料はそこいら辺の廃材を使っている。
    私も仲間に入れてもらいたいぐらいだったが、
    迷惑だけはかけるなよと言って、そのまま放っておいた。
    彼は、昼にも帰って来なかった。

    真冬だと言うのに、素晴らしい快晴であった。
    遊び相手は誰もいなかった。
    つい何年前かは、子供たちと大山台で野球やサッカーをしていたのに・・・。
    もはや子どもは子どもの世界に入り、
    親父とは遊ぶ暇はなくなったようである。
    父が退院してきた。
    まだ本調子ではないが、今回も生還できた。

    パソコンの情報のバックアップを取るために、外付けのHDを設置した。
    未だにそのコピーが終わらない。
    じっとしていられない性分なので、
    自転車で万代島を一周することにした。
    トンネルをくぐり、護国神社・関屋浜・関屋分水・やすらぎ堤・万代橋・柳都大橋そして、
    「せきとり」である。ここまで一時間のサイクリング。
    ここの唐揚は新潟一である。
    唐揚を三つ買ってお土産にした。

    帰ってみると次男はまだ帰宅していなかった。
    5時をとっくに過ぎていた。
    まだ基地作りに夢中なようである。
    自転車のついでと呼びに行ったら、
    Oさんのお父さんも心配して来ていた。
    ブランコができていた。
    板で囲んだダンボールのお座敷もできていた。
    なんだか懐かしく、心がときめいた。
    5名の小学5年生である。
    「おい、みんな心配しているぞ」
    子供たちと一緒に帰ってきた。

    ああ、遊び相手を求めているのは父のほうかもしれないと、
    ふと、子供たちの楽しそうな顔を見て思ってしまった。

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    2007年01月20日 10時56分40秒

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    失敗の大切さ

    最近長男がやけにおとなしく、落ち着いているのでほっとしている。
    何か心の中でふっきれたものがあるのか、
    自分なりに答えを見つけたからであるかもしれない。
    いろいろと人は壁にぶち当たる。
    この年になると、出切ることと出来ないことを見極めて、
    自分の領域ではない無理なことには挑戦しなくなる。
    大きな壁は、こちらの方で設定しない狡さも身に付けている。
    それは、経験知から導き出される答えであった。

    しかし、子供たちにはこの経験知は皆無であった。
    何故ならば、出会うことが言ってみれば未知な体験ばかりであるからだ。
    高校受験のために友達と試験会場へでかける。
    会場に着くと初めての高校の教室と見知らぬ受験生の雰囲気に緊張する。
    みんな黙々と参考書を読んでいる。
    これから始まることへの期待と不安。
    初めてであるから、緊張し何をすべきか考えるのである。
    そして、うまくいくことは少なく、失敗と後悔の連続が始まる。

    そこで初めて世の中と向き合い、世の中と出会い。
    痛い授業料を払って、少しずつ世の中の経験知を身に付けていくのだった。
    これは、親がいくら口をすっぱく教えても駄目なのである。
    親の伝えたかった言葉は、
    失敗の苦さと後悔の痛みとの中で始めて子の中で体得されるものである。

    そんな意味で、子どもに社会体験をさせていなかったなぁと後悔している。
    学校の勉強も大切であるが、学校の勉強だけで生きている人はいないのである。
    学力向上と学校教育と平均点にだけ目が行くような時代になったが、
    とても危うく、人間の成長の本筋を見間違ってしまうかもしれないという危惧がある。
    大切なのはいかに生きるかということであり、
    どんな人間として成長するかということではないだろうか?
    勉強が出来たら安心。成績がよかったらよい子であるのか?

    そうした一元的な子どもの捉えが、
    子どもの人間としての成長を阻害しているのではないだろうか?
    勉強もあるが、もっと大切なことが、
    この社会で生きるためにはたくさんあるのではないだろうか?
    長男を見ていて、その大切なことを、
    しっかりと大人としての私が伝えていないことに気付き、
    今は反省の日々なのである。

    ある日から、私は長男を起こさなくなった。
    彼はそれ以来、いつの間にか早起きになった。
    朝、「行って来ます」と握手して頭をそっとなでる。
    最近、笑顔が見られるようになった。
    ある意味では「放っておく」「干渉しない」「距離を置く」
    それは、「任せる」ということであり、
    「自分で考えさせる」ということであり、
    「失敗させる」ということであった。
    彼はこれからたくさん未知の領域に踏み込んでいくことになる。
    げつばたと上手くいかないことばかりであろう。
    その時も、距離を置いて、彼が自分で答えを出すまで見守っていく。

    「口を出しすぎ」「手を出しすぎた」過干渉の親であったかもしれない。
    今は、そんな自分に対しても「距離」を置いて、
    親ばかである自分のことを少しは冷静に見つめられるようになった。

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  • from: クマさんさん

    2007年01月18日 21時14分32秒

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    父の再入院・90000名突破

    父が昨日再入院した。
    家に居ると何もやることがなく、炬燵の中に入ったきり動こうとしなかった。
    酒が呑みたくなると、台所に立ちお勝手口でワンカップを飲んでいた。
    無気力とでもいうのだろうか、何事も手をつけようとしないのだ。
    テレビのリモコンを握ったまま眠っている。
    私がそっとテレビを消すと、むくっと起きだしてまたスイッチを入れる。
    老人性のうつになるのではないかと心配している。

    この年になって弱っていくのは、日に日に目に見えていた。
    あれだけ元気で、動いていた人が、ぱったりと動かなくなる。
    毎年年末にはあれだけ動いた人が、
    神棚のお札を替えることすらしようとはしなかった。
    玄関と門までのたたきを掃いたのは私だった。
    新年を迎えるために心して家中を大掃除していたあの父の姿が懐かしい。

    私の顔を見ると文句ばかりである。
    私も聞き流せばよいのであるが、
    やっぱり何度も何度も言われると腹が立ってしまうのだ。
    入院する朝も、やっぱりやってしまった。
    こんな父と私の姿を見ているから、
    長男も私に辛らつに口答えするのかもしれない。

    昨年の秋、東京のおじさんの見舞いと葬儀とで2回新幹線で東京に出かけた。
    その写真を見るたびに、行って来てよかったなあと思う。
    実は父とは2回二人だけで東京に出かけたことがあった。
    いつも日帰りであったが、これも私にとっては大切な思い出となっている。
    あの頃の父はまだまだ若かった。
    都庁の展望台に上がり、東京見物したことが懐かしい。
    1回目は私がオリンピックセンターで「ビオトープ」について講演をするときだった。
    2回目は新宿でトヨタ財団の研究助成金の授賞式だった。
    父の眼差しが温かかった。

    しかし、今は病気のせいか、老いたせいか、
    瞳には輝きがなく、生きる力が感じられない寂しさがある。
    年を取るとは、もう二度とあの日には戻れぬと言うことなのだ。

    今父は病院のベットで眠っているだろう。
    これが6回目の入院である。
    そういう意味では脳梗塞を5回も起こして生還していだけ不死身であるといえるだろう。
    ただし、無常には勝てぬのである。
    残された月日は数えるばかりであろう・・・。

    二人の息子たちは、父と母との老いの姿を見つめて育っている。
    そして、いつの間にか私がかって反抗していた父の年代になっていたのだ。

    ただ今アクセス90334件となった。ありがたいことである。

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