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親父たちよ

親父たちよ>掲示板

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  • from: クマドンさん

    2016年02月28日 06時41分04秒

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    アルビレディースの会員になった

    昨日、昼からメディアシップだった。
    アルビの開幕戦のPVのためでなく、
    何とレディースの交流会のためだった。
    私の友だちのWさんのおかげで、
    昨年度からよくレディースの試合に行った。
    特に、新潟市の陸上競技場がお勧めだった。

    選手たちの声が響き、
    本当に集中してボールを奪い、戦う姿は可憐で健気なものだった。
    彼女たちは昼は働きながらの選手生活だ。
    それでもサッカーが大好きだから、夢中でサッカーに没頭している。
    私は小原さんと斎藤さん、佐山さんのファンでもある。
    小原さんは、昨シーズンは怪我のためにリハビリの年になってしまった。
    今年のリーグでは、きっとあのサイドを駆け上がる走りが見られるはずだ。

    交流会では、選手の皆さんが同じフロアーに立っての会だった。
    私は、次々と選手に話しかけて、ユニホームにサインしてもらった。
    小原さんとのツーショットは、まさに至極の宝物だ。
    笑顔が何とも言えず爽やかな彼女だ。

    私たち新潟のチームだ。
    試合会場に行くと、だんだん観客が増えて来たことも実感する。
    昨年度の皇后杯の準決勝のPKを、
    私は入院中の病室のベッドで観ていて興奮だった。
    決勝戦で澤さんのヘディング一発で敗れてしまったが、
    傷の回復を待っての退院の日取りが決まらない日々を、
    欝々としていた私を奮い立たせてくれたのは、
    このレディースの試合だった。

    闘い続ける姿。
    真摯に相手選手に向かい、ボールを奪って攻撃する姿。
    ピッチではとても大きく感じられる選手たちだ。
    私は、この選手たちを新潟の誇りだと感じている。
    昨年のホーム最終戦で五十公野競技場に行った時、
    最後の握手会ではファンによる長蛇の列だった。

    力をもらう。夢をもらう。
    そんなレディースの試合を今年も追っかけようと思っている。

    イベントから帰って、湘南戦だった。
    アルビの開幕勝利も嬉しかった。
    思わず「勝った」と、我が家で叫んでしまった。
    こんな感動と興奮とをサッカーの試合は私にプレゼントしてくれる。
    アルビもレディースも今年度の活躍を祈念している。

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  • from: クマドンさん

    2016年02月27日 07時20分54秒

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    仕事をする。家事をする。

    いつもなら出勤している時刻だ。
    昨日は、家の前の道路がばりばりに凍結していた。
    まだまだ寒い日が続いている。

    今日は、灰色の雲の下から、薄オレンジ色の朝日が見える。
    休日であることにほっとすることで、
    何だか毎日仕事があることのありがたさを感じている。

    昨日、叔母の施設に行った。
    午後6時前は夕食を食べている時間だ。
    叔母は黙って、本当に虚ろな眼差しで、箸を動かしていた。
    エプロンにはたくさんのご飯粒。
    私が来たことを知って、ぱっと顔が明るくなった。

    きっと一日、退屈して生活していたのだろう。
    今は、ベッドに入るとラジオだけが友達だ。
    テレビを観ることを勧めるが、目が悪いからと頑固に拒否をする。
    一人誰とも話さず、天井を見つめて生きる。
    その想いを私は知っている。

    もう治らないんだなぁ。
    ああ、みんなは何をしているのかなぁ。
    誰も今日も来てくれなかったなぁ。
    独りぼっちなんだなぁ。

    人は、何もすることがないと余計なことばかり考えるものだ。
    幕作妄想「妄想するな」とは分かっていても、その妄想が止むことはない。
    それも人は楽しいことを考えずに、ついつい不安や心配事ばかりを妄想しやすい。
    私は、入院中のベッドで嫌と言うほど孤独を味わった。
    家族と社会生活から隔離され、忘れられたようにぽつんとした独りとして、
    ああ、やっぱり人は独りで生きているんだなぁと、つくづく感じた。

    寂しかったし、辛かった。
    でも、どんなに妄想したところで、この独りの辛さと哀しさとは変わらない。
    だから、昨日は叔母には語った。

    「駄目ら、駄目らと思うだけらと、本当に悲しくなるばかりらよ。」
    「身体は健康なんだから、ありがたく思わねと。」
    「叔母ちゃんの年で、もっともっと病院で苦しんでいる人いっぱいらよ。」
    「後は、立ったり、歩けたりすれば帰れるんだから、頑張れて。」

    それは、私が入院中に私自身に言い聞かせた言葉だった。
    私は、退院してからも40日余りの自宅療養だった。
    そこには病院とは違った意味での深い深い孤独があった。
    それでも、家族の声を聴けて、家族と食事を共にできた。
    ただし、私は仕事と、生き甲斐のようなものを失っていることに変わりなかった。

    人生とは、どう1日を生きるかということなんだなぁと、
    単調で平凡な時間の流れの中で、私は妄想しながら生きていたものだ。

    今は、ヘルニアを抱えながらでも、仕事をすることができる。
    仕事中は臨機応変に対応しながら、無心で一つ一つを解決していく。
    夕方、はたと疲れを感じつつも、残された仕事や明日の準備にせっせと向かう。
    妄想している暇もゆとりも全くない。
    でも、これってとてもありがたいことなのだと、今は想う。

    仕事をする。
    家事をする。
    活動する。
    身体を動かす。

    それが全くできなくなってしまった叔母。
    それがまたできるようになった私。

    当たり前な生活とは、やっぱりつくづくありがたい生活なんだなぁ。

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  • from: クマドンさん

    2016年02月26日 05時45分58秒

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    ちっちゃくなる。

    日々、感謝しながら生きる。

    毎朝、朝食を食べた後、7時には出勤する。
    まだ渋滞にはならないが、交通量の多い道でストレスはある。
    泰平橋では、いつもノロノロ運転だ。
    でも、時には朝日が美しく輝くこともある。
    今日もこうして職場に向かえる。
    それは感謝だった。

    仕事ができること、それだけでも感謝だ。
    昨日はヘルニアのせいか、昼頃ひどくお腹が痛くなった。
    ぱんぱんに膨れて、お腹が破れるのではないかとも感じた。
    横になりたかったけれど、それもできなかった。
    それでもやっぱり感謝だった。
    このヘルニアのおかげで、どんだけ私はちっぽけ人になることができたから。

    夕食の時、私が言った。
    「ああ、このヘルニアのおかげで、今年は何もできないなぁ」と、
    私は、走ることも、山に登ることも諦めた。
    だから、妻に今年は一緒にアルビに行こうと誘った。すると、
    「お父さんは、何も私の気持ちが分からないね。」と、強い口調で言われた。
    彼女は、長男を産んだ24年前から、リュウマチを発症した。
    手足のわけの分からない麻痺に悩んだ。
    それがリュウマチだと分かったからも、次男を出産した。
    そして、入院。

    手の骨が変形し動かせなくなってしまったので、二度の手術だった。
    彼女は、自分の身体の健康と引き換えに子どもを産んだ。
    一度目の手術の失敗のために、再度手術をしなければならなくなった。
    とうの昔から走ることも、山に登ることもできなくなっていた。
    そんな彼女の辛さと苦しみを分かっていないと、はっきり言われた。

    本当に想う。
    天は、この分からんちんの愚かな親父に、
    彼女の気持ちを分からせるために、
    あのまさかの腹膜炎の大手術を私に与えた。
    全く身体を動かせない無力な状態での一カ月近くの生活は、
    私に手術の後の痛みと苦しみと辛さとを教えるためのものだった。

    そして、まさかの手術失敗によるこのヘルニアも、
    再度手術を受けねばならなかった彼女の悲しさと、
    心の辛さとを味わわせるためのヘルニアだった。

    与えられたもの全てに意味はある。

    私は、このおかげで、欲を無くした。
    時々、そうして通勤途中の朝日や、飯豊連山の真っ白な輝きを観て、
    「ああ、生きているだけで、それだけでいいな」と、想うことにしている。

    そうやって、あれもこれもあったであろう「やりたいこと」を捨てることで、
    「ああだ」「こうだ」とそうなりたかったことを捨てることで、
    私は、日々のこのちっぽけで取るに足りない生活も、
    「ありがとうございました」と、感謝できる人となった。

    今は、少しは彼女の気持ちが分かるつもりだ。
    あのICUの痛みと孤独の中で、ただ祈ることしかできなかった私。
    その私のような駄目親父をも見捨てずに、心配して通ってくれた彼女。
    きっとこんな想いで天井を見つめて涙を流していたのだろう。

    7月にヘルニアの再手術をする予定。
    また全身麻酔での腹切りだ。
    私は、何だ刑の執行を待つ人のような気持ちでここに居る。
    そのことは決して逃れられない宿命だった。
    ただそのことに従容として、何も言わずに、従いたい。
    諦めをもって、従い、受け入れる。
    その時、この試練は、私にとって深い深い人生の訓練となる。

    今は、分かるよ。
    そう彼女には、心の中でつぶやいた。

    日々感謝して生きる。
    そのためには、人はずいぶん潰されて、ちっちゃくならねばならないものだ。
    そのことも、この経験からよく分かった。

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  • from: クマドンさん

    2016年02月25日 05時39分19秒

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    答えはある。

    昨夜は、新潟日報の「がっこうの森」の素敵な記事に感動して、
    Sさんと電話で話した。
    想いを語り、想いを分かつ。
    そんな共感から、自分たちが本当にしたいことが、
    だんだんぼんやりと見えてくる。

    分かっているということは不思議なことで、
    語っるうちに、「そうだ、そうだよね」と、
    その輪郭がぼんやりと感じられる。
    どう話したらいいのだろう。
    こうだよねぇと、言葉を選び選び語り合う。

    まるで道に迷った二人が、その森を抜けるために、
    あっちかなぁ、こっちかなぁと、探し求めているようなものだった。
    道は確かに存在している。
    だから、こうして探し求めている。
    答えはある。
    ただ、見失っているだけ。

    「がっこう」をみんなは求めているのではないかという話に至った。
    学校の概念をとっぱらって、自由に学校の外に出ることではないか。
    そこには、森や川や山や空の自然にあふれている。
    そこには、その自然と共に生活する知恵と技とをもった人がいる。
    「がっこう」は、人が幸せに生きる生き方を学ぶところ。
    ならば、太古の昔から受け継がれ、持続している命にこそ学ばねばならない。

    競争ではなく、共生。
    優劣ではなく、個性。
    勝ち負けでなく、助け合い。
    それぞれがそれぞれのままで認められ、育てる社会。
    それは自然の中にその生き方のお手本があるような気がする。

    そのことに気付こう。
    そのことに気付いたら、その自然の姿にただ学ぼう。
    それが本来の「がっこう」だから。

    私たちが語りながら改めて発見した答えは、これだった。
    では、そんな「がっこう」がどこにも存在しなかったらどうするか。
    そしたら、自然の真っただ中にそんな「がっこう」を創ればいい。

    そんな時代が今なのではないだろうか。
    いつもいつもSさんには教えられる。
    答えはもうここにある。
    ただし、そのことを明らかにし、具体的にする誰かが求められている。
    それはぃったい誰なのか。
    その答えは、私に生き方を問うている。

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  • from: クマドンさん

    2016年02月23日 05時40分43秒

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    従容として、従容として

    朝は、4時に起きていた。
    それから、こうして親父たちよを書き、走ったものだ。
    4~6キロを走り、ストレッチしてシャワーを浴びた。
    出勤時刻が早いので、独りで朝食を作って食べていたこともある。
    そんなストイックな生活が、とうの昔になってしまったと、ふと思った。

    走らなくなったせいではないが、体重が増えている。
    それはやっぱり食事と酒とが原因なのに、
    そこを気付いていながら改善しないからだ。
    意識して生きる。
    これってとても大切な生き方だと思っている。

    昨夜、友人のGさんと電話で話した。
    現場だから、生きている実感を感じられるんだと、そんな話に共感だった。
    彼はよくよく私のことを心配してメールや手紙をくれる。
    時には、厳しく叱られたこともある。
    私がどん底に陥ったら、やっぱりとても心配してくれた。
    そんな友の存在は何よりもの力となった。

    彼は、座禅の修業をもう30年以上?している。
    水泳では、マスターの大会で入賞するタイムで泳ぐ。
    10キロを40分台で走る。
    夜9時からプールに行って泳ぐ男だ。
    私は、彼から泳ぎを教わった。

    そんな彼のまっすぐな生き方には、いつも何かを教えられるばかりだ。
    彼は山形の小国町の出身で、
    20代でたまたま職場が同じだったから、付き合いが始まった。
    その頃から、やっぱりストイックな生き方を貫いていた。
    驚異の57歳だった。

    さてさて、しょせん人は、生き方なのだろうと、彼を見ていて想うことがある。
    彼のように生きている人を、私は知らない、見たこともない。
    時々、その場に応じて、彼から公案のような言葉が届く。
    「無学」が分かる。
    たった数分の電話の会話でも、お互いに言いたいことが言える気がする。
    彼とは、そうした「自分」の話ができる。
    彼の自分と私の自分。
    「そうだよねぇ。」それがやっぱり嬉しかった。

    しかし、私はこのヘルニアにより、走ることも泳ぐこともできなくなった。
    私は、そうして打ち込んできたものを手放さなくてはならなくなった。
    そのことがとても悔しく、辛かった時もあった。
    でも、それも生き方の1つなんだと、今は静かに諦めてこれを書いている。

    さて、やりたかったことを次々と手放すことで、
    やっと私が分かることも多かった。
    だから、私は、今、私ができることで、自分になろうと思っている。

    人は、いかに生きるかを問うことも大切だが、
    いかに生きているかと、小さな小さな生き方一つの選択こそ、
    生きるに値する生き方なのだと、
    諦めた生活の中で、私は想えるようになってきた。

    今日も、従容として自分のままに生きたいと願う。

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  • from: クマドンさん

    2016年02月22日 21時40分07秒

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    自分でありたい

    さてさて、どうにもにらない私だ。
    しかし、最近分かってきたことがある。
    それは、私にも自分が存在しているということだった。

    私は、突っ走ってあっちにぶつかり、こっちにぶつかり、
    こけてばっかりの私だった。
    そんな私なのに、そのどうにもならない私の中に、
    ちゃんとした自分がいてくれたという発見でもある。

    せめぎ合って、目が見えなくなり、猪突猛進に突っ走っていた時も、
    やっぱりそれでも自分はいてくれた。
    思い返せば、その自分が確かに愚かな私にささやいてくれていたはずだ。

    そんな声を聴いていらられないと、その声に耳をふさぎ、
    私の欲するままの道を只管走った、走った。
    その道がぃったいどこへ行くかはどうでもいいこと。
    とにかくこうだと想ったら、走り続けなければならない。
    そうだったなぁと、ふと今は想う。

    「自分」だなぁ。
    「自分」なんだなぁと、やっと少しは想えるようになった。
    その自分は何だか私をどんどん削ぎ落とさないと現れては来ない自分のようだ。
    潰されてなんぼ。
    ちっぽけになってなんぼの自分だ。

    何か全てを失ったとしても、この自分はいつまでも自分である。
    それは、私の自分ではなく、私は自分の私だった。
    もういいよ。もういいんだ。私はもういらん。
    その時、やっと自分が姿を現し、私に対して語りだす。

    どうにもならない私でも、自分はここにいてくれる。
    それは、どんな誰にも同じこと。
    同じ自分がみんなには生きている。
    そう思うし、そう思うより他にない。
    いつも紙一重なのに、全く遠い遠いところに居るような自分である気もする。

    私なのに、私が勝つと自分は消える。
    いや、私が私を捨てるまで、じっと耐えて、待っていてくれる。
    そう。自分の話を素直に聴ける私になるまで。
    自分は、私を諦めない。
    自分は、私を決して見捨てない。

    私が世間からも、友からも見捨てられ、呆れられようとも、
    この自分は、私を信じて見守ってくれている。
    もう、私が語るのではなく、自分に語ってもらいたい。
    もう、私が生きるのではなく、この自分が私の身体を使って生きて欲しい。
    そのためには、もっともっと私を削ぎ落とすための試練が必要なのだろう。

    ここに生きていることも、私にとっては厳しい試練だ。
    日々をこの道でしっかりと歩くこともまた、私にとっての試練でもある。
    何事もない日常なのに、そのささやかな一つ一つが自分で自分になるための、
    大切な鍛錬となっている。
    不思議だけれど、それは本当だ。

    自分と親しくなるためには、孤独でいい。
    孤独であることは、自分を訪ねる道である。
    さてさて、その自分は、やっぱり近いようで遠く、遠いようでここに居る。
    どうしたらいいのだろうか。
    その問いをもってしまった私は、その問いを捨てられない。
    その問いに対するサムシンググレートを求める旅が、
    これからのちっぽけな私の人生となるようだ。

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  • from: クマドンさん

    2016年02月22日 05時39分50秒

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    共感親父になろう

    親父としては、どうすればよいのか。
    時々、分からなくなってしまうことがある。
    私の父は、ただの競馬好きののん兵衛親父だった。
    人が良く、優しい人だったが、酒が入ると豹変した。
    そんな親父だから、いつも酔っぱらって帰って来ては、暴れる思い出が多い。
    それでも、私は父が好きだった。

    父は、親父としての役割なんか、全く考えていなかったような気がする。
    自分の大好きな競馬のためには、給料すら全部使ってしまう人だった。
    でも、それでも親父だった。
    介護の施設で一年間お世話になり、半年の入院で去って行った。
    私は、そんな親父のところに毎晩通った。

    私も思い返せば、好き勝手をして生きた来たようだ。
    きっと妻も子どもたちも自分勝手な親父だと想い、呆れている。
    この親父たちよを書きながら、親父としての生き様を、もっと追究すればよかった。
    今はすっかりと、後の祭りだ。

    長男が就職に対する壁にぶち当たっている。
    どうしたらよいのか自分でも分からずに、迷いの中。
    ここが親父の出番と思いつつも、信頼のない親父の言葉は響かない。
    本当に普段の何気ない生活が家族にとっては大切だった。
    私は、何をしてきたのだろうか・・・・・。

    ただ思う。
    今更やってしまったことを後悔しても仕方ないから、
    ちょっと前向きに考えて、行動しようと。
    こんなちっぽけでどうにもならない親父をもってしまったのは不運だろう。
    親は自分では選べない。
    それでも、今、ここ、自分がここに居る。
    ここが親としての出番ならば、その役をしっかりと覚悟して演じたい。

    ふと、今朝、目覚める瞬間に、気付いたことがある。
    「そうなんだ。新しい世界に不安を感じているんだ」と。
    私もいつもそうだけれど、このまだ見えない世界に対してのプレッシャーは、
    こんな時には、どんどんと勝手に膨らんで行く。
    それに対して私ができることは、その不安を認め、共感することだろう。

    それだけで、人は救われることもある。
    私が、今、ここ、自分であっても抱えている不安は多い。
    しかし、「大変だね」「大丈夫」という言葉で、
    すっとその不安が消えることもある。

    ああだ、こうだと、言っていないで。
    「大変だなぁ」「大丈夫、大丈夫」と、私が言うことだ。
    本日、今、ここから、シフトを変える。
    共感親父に変身だ。
    本当にこうして子どもはいつもいつも私のことを鍛えてくれる。

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  • from: クマドンさん

    2016年02月20日 10時00分52秒

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    優しさを忘れない

    さてさて、たった今書いていたものがすっ飛んだ。
    消えたあの文章はいったいどこへ飛んで行ってしまったのか。

    社会復帰一週間だ。
    ありがたかった。
    温かく迎えていただき、そして優しい言葉をいつくもかけてもらえた。
    その気持ちと想いとが言葉を通して伝わって来た。
    久しぶりの仕事場にどきどきだったが、
    その優しさのおかげで、私はありがたさを感ずるばかりだった。

    今朝の新潟日報のコラムに書いてあった。
    限界集落で農業を始めた若い女性が、
    いろいろと失敗を繰り返しながら、
    村の人たちに助けられて成長した想いが書かれていた。
    その中で彼女の主人の言葉にこんな言葉が書いてあった。

    「生きているということは、誰かに迷惑をかけているということだよ。」
    「だから、今度は自分が誰かを助けるんだと思えばいいんだよ。」
    そうだなぁと、こうして長期療養から復帰した私は考える。

    迷惑ばかりかけてきたなぁ。申し訳なかったなぁと。
    なのに、そんな私に対して、やっぱりみんなは優しく接してくれる。
    私の身体を気遣って言葉をかけてくれる。
    「無理をしないでくださいね」と、ありがたい言葉だ。
    それも、想いが伝わってくるから、なお嬉しい。
    そんな想いを、私は伝える人になっているだろうか。

    身体にヘルニアの障害を持つことで、
    生きづらさを感じる毎日となった。
    身体に不自由があるということは、こういうことだったのか。
    それは今更ながらの気付きだった。
    その不自由さのおかげで、私はしたいことを相当な部分制限されている。
    そのことを想うと、少し悔しく、腹立たしい気持ちにもなる。

    でも、そこからしか何事も始まらない。
    だから、できることを想い、
    そうして生きることで誰かにこうして優しくされた恩を返そう。
    今は、そう想うことにして、だいぶいろいろなことを諦めた。
    そしたら、すっきりとした自分がここに生きていた。

    病室のベッドでは、看護師のみなさんにどれだけ優しくお世話してもらったことか。
    家族には、多くの心配をかけながら、心の支えをしてもらった。
    80代の叔母たちは、私の回復を待ち、祈っていてくれた。
    私は、そんな想いによって助けられてここにある。

    さてさて、すっ飛んでしまった文章のように、
    その時の、今こうしている時の、優しさに対する感謝は忘れてはいけない。
    「私の弱さは、私の強さのためでした」という聖書の言葉がある。
    いつも私が辛い想いをしたり、挫折したりすると、
    そうして傍に居る人からの優しい手助けや、温かい言葉があった。
    そのおかげで立ち直り、回復することができてきた。

    だからこれからは、私は、傍に居る人のために、その人になる。
    ただ生きているだけの人となった私は、
    その想いを伝えられる人となることで、
    生きる意味を見出すことができるのではないかと思っている。

    社会復帰の意味は、私が「よきサマリア人」ななることにある。

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  • from: クマドンさん

    2016年02月19日 05時46分05秒

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    表と裏だよ

    さてさて、うまくいかないことが多い。
    そんな生きづらさを感じながら生きているひとも多いと思う。
    思うに任せないのが人生だ。
    日々の苦しみの中で、どうしたらよいのかと悩みつつも今日を生きる。
    いや、生きなければならない。
    生きることとは、その真実を受け入れること。
    そうなのかもしれないと、この年になって想うようになった。

    それは、明るい話もあるし、日々楽しいことにも出会っている。
    ほんのささいなことでの喜びだが、それがとても嬉しく感ずる。
    昨日は昼頃からお日様が輝き、春のような陽気だった。
    飯豊連峰と二王子岳が真っ白に輝いていた。
    胸がすくというのだろうか。
    そんな山々の美しさを見ているだけで心が和む、ほっとする。

    それはそれでいい。
    でも、お腹からは腸が飛び出し、抱えながらの仕事。
    腸の調子が思わしくなく、ガスは溜まるし、思わぬところで便意をもよおす。
    走ることもままならず、重い物も持てない生活。
    何でこんな身体になってしまったのかと嘆いても、
    この身体は身体のまま、何も変わらない。
    私は、その嘆いても何も変わらないということが、真実なんだと、
    諦めの悪い私に教えるために、このヘルニアが与えられたと思っている。

    弱さを諦める。愚かさを諦める。この身体の障害を諦める。
    何だかこれからは、諦めることの達人にならねばならないようだ。

    叔母は、昨日医者にかかった。
    自宅からの往復は福祉タクシーで、車椅子。
    もう自分の足で立って、歩くことは無理な身体となってしまった。
    幸い熱が下がり、平熱になったので、今日からディサービスに行けるそうだ。
    叔母は、発熱をしてディサービスに行くことを拒んだのに、
    そんな叔母の願いと抵抗も空しく、今日から十日間の施設暮らし。
    何ともならず、どうにもならず、哀しくても行かねばならない。

    叔母は、「死にたい」と言っている。
    そうだろうなぁと、私も想う。
    まだ何事かを諦めきれない叔母にとって、今の真実は過酷で、不幸だ。
    ただできない自分を嘆いている。それでは、なおさら寂しくもなる。
    「諦めようよ。」
    とは、私からは言えない。でも、諦めることだ。
    それは、かないっこない夢に対する執着を捨てることでもあった。

    私も同じだ。
    この身体、この年齢、この衰え。
    そして、日々出会う多くのことがままならないことばかりだった。
    それは、私ではないから仕方ないこと。
    だから、どうしてそうなんだと嘆くことは無理なんだ。

    従容として、叔母はディサービスのマイクロに乗る。
    従容として、本日もこの身体で生き辛さを感じながらも生きて行く。
    従容として、あるがままをあるがままに見る。
    そこに、どうしてと疑問や嘆くことはない。
    それは、そういうものだから仕方ないと自分で言い聞かせよう。
    そんな諦めの境地で生きることで、ささやかな喜びと希望は生まれるのだから。

    同じ状況の裏表。
    こちらから見たら表で、こちらから見たら裏になる。
    どうせならこちらから見た方が心の重荷がは楽になる。

    叔母ちゃん、お見舞いに行くからね。

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  • from: クマドンさん

    2016年02月18日 05時33分40秒

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    叔母の熱

    昨日、叔母が熱を出した。
    夕方は37度4分だった。
    叔母はぼんやりと天井を見つめて黙ったままだった。
    ショートスティの施設に戻りたくないと言っていたそうだ。
    今日、施設から迎えに来る。
    そのことが嫌なので、熱を出したような気がした。

    それならば在宅で介護はやれないのかと思うが、
    やっぱり80代の叔母たちの介護には限界がある。
    独身で家族の居ない叔母には、姉妹だけが頼りだった。
    その姉妹に辛い面倒はかけたくないというのも、叔母の気持ちだ。

    「こんなに熱があったら、当分はショートスティには戻れないよ。」
    私は、叔母をこのままここで介護してもらいたいと願っている。
    T叔母は、そんな状況に困った顔で黙っていた。
    彼女は、おしめを替えるのに動けない叔母の腰を起こすのに難儀して、
    やっぱり自分の腰を痛めていた。

    「こんげらったら、はよ死にては。」
    「頭が、ばかにならねろっかね。」
    叔母は、すっかり生きる希望も、気力も失ってしまった。
    天井を見つめる眼差しに力がなく、弱っていることが感じられた。
    何かがふーっと吹っ切れてしまい、飛んで行ったようだった。

    人の一生って何なのだろう。
    生まれて、老いて、衰え、病になり、死を迎える。
    それはとても自然のあるがままの姿。
    生きるとは、そうした死に向かった老いと衰えとを受け入れること。
    それでは、いったい人は、何のためにこの世に生を受けたのだろう。

    私は、たいしたことのない人生。
    多くの罪もおかしたものだ。
    どれだけの挫折や失敗もあったことか。
    悲しみと苦しみともたくさんたくさん経験した。
    しかし、それらは全てただ私の記憶の中だけにある。
    思い出せないものは、とうにここには存在しない。
    そんな波乱万丈だが、いつかすっかり忘れてしまうものが人生そのもの。

    そんだけ。ただそんだけだけど、そんだけで生きる。
    叔母も、そんだけの人生を独りで耐えて生きて来た。
    そこに、それだからこそ、意味があるのではと、今は思っている。

    どんなことがあっても生き抜いていく。
    そうしないと絶対に分からないものがこの人生なのかもしれない。

    叔母の熱は下がっただろうか。

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