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親父たちよ

親父たちよ>掲示板

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  • from: クマさんさん

    2013年05月30日 10時13分23秒

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    穿つ力

    久しぶりの雨になった。
    本降りが朝から続いている。
    何故か、雨の音が心を落ち着かせてくれる。
    雨もまたよし。
    花壇の花たちも、プランタのトマトやかぼちゃたちも喜んでいた。
    雨に濡れて、雨に佇む。
    それでいいし、何もいらない。

    昨日の夕方、コットンを植えた花壇の端を、人の足跡のような大きさでえぐられていた。
    「ガーン」たった。
    これは毎日我が家の庭を遊び場にしているお向かいの猫トントンの仕業と腹が立った。
    「よーうし、今に見ていろよ」と、どうやって懲らしめようかと思っていたら、
    今朝、庭に出て驚いた。
    壊れた雨樋から大量の雨が落ち、それで花壇がえぐられていたのだった。
    トントンの濡れ衣は、この本降りの雨が晴らしくれた。

    いつもは庭に向かって椅子を出して、読書をしている頃だった。
    昨日、そんな時刻に嬉しい電話があった。
    小千谷に住む我が師、Sさんからの電話だった。
    私のことを心配しての心友からの電話は、とてとても嬉しかった。

    二人の話はいつも、自然の姿から学んだ言葉に帰っていく。

    私は、こんな生活の日々で、人と語ることは少なくなったが、
    逆に、こうして時間を気にすることなくたそがれることができるようになり、
    自然の言葉が聴こえるようになった。
    言葉が存在するということは、それは目には見えず、耳には聴こえないけれど、
    存在するものなんだ。
    私たちは人の言葉ばかり聴いて、人の姿ばかりを気にしすぎたおかげで、
    いつの間にか濁流に飲み込まれ、行方すら知らぬのに、日々を追われ、
    流されていく生活に慣らされてしまった。

    私たちが生きる道の原点は、自然に在る。
    自然には、いかに往くべきかの言葉が満ちている。
    そして、先人たちがその言葉に聴き、感動し、言葉に置き換えてくれた。
    その言葉にこそ、私たちの生き方の方向が示されている。
    だから、もう一度濁流から抜け出して、岸に上がり、
    この濁流を心静かに眺める、大いなる私の目や耳で、
    もう一度あらゆることを振り返る必要があるのではないか。

    Sさんとの話は、そんな原点にいつも立ち返る話となった。
    世の中や人には惑わされず、
    その言葉・言霊のあるべきように立ちながら、それに従って生きる自由。
    その言葉・言霊を見たり、聴いたり、感動したりすることのできる感性。
    その言葉。言霊を理解し、自分のものとするための考える力と理性。
    その言葉・言霊を受け継ぎ、次の世代に伝えるための表現する力。
    それを大人になるまでに身につける場が、学校ではないだろうか。
    自然と一体となり、自然の中に在り、自然から学ぶことのできる学校。
    それこそ、本来の学校なのではないだろうかと、
    やっぱり、二人の結論はそこに導かれていった。

    そのためには、自ら感動し、変わることのできる教師が必要なのだ。
    教師とは、教える人だけではなく、自ら学び、変化・成長する生きた人なのだ。
    その人こそ、子供たちにとっては「学ぶ」ことへの大人のモデルとなるはずである。
    そんな大人が今、少なくなってきている。
    学校でも、そんな「教師」が少なくなってきている。
    それは、次の時代を創る子供たちには、悲しいことではないだろうか。

    ならば、子供たちが、真・善・美・徳を学び、
    違っているということを前提にして、一人一人が尊ばれる理想的な学びの佳境を、
    今こそ、自然と農との融合の中で創造すべきではないだろうか。

    1時間の電話の話の結論は、やっぱりここに行き着くのだった。

    あの花壇の土を大きく削った雨の力のように、
    目指す一点だけを実現するために、想いをもって働きかけること。
    それが、何だか脱藩した浪人たちの役目のような気がしている。

    またいつか、Sさんの電話が来ることを祈っている。

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    waka こころ

  • from: クマさんさん

    2013年05月29日 08時48分13秒

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    花の言葉を

    花壇を作ってから三週間たった。
    私が花を育てる人になるとは・・・。
    人生はどんな出会いが待っているかは、予想がつかない。
    ガーデイニングとは名ばかりで、ただ植えて、ただ水をやり、ただ世話をする。
    そんな花やハーブや山野草の様子を見ていだけで、
    何だか心が落ち着くようになった。

    日中は庭に面した玄関の軒下に椅子を出して、本を読んでいることが多くなった。
    訪ねて来てくれるのは、近くに住む80歳の叔母だけだ。
    トマトやきゅうり、ワラビ等を置いていってくれる。
    ありがたいものだと思っている。
    心配なのだ。私のことが。
    母が生きていてくれたら、きっと叔母以上に心配だったに違いない。
    できの悪い息子をもつと、それはそれで心配の種は尽きないものだ。

    さて、その山野草やハーブたちのことなのだが、
    ここに来て4~5本が枯れ始めて元気がないのだ。
    葉っぱが枯れて、細い茎がからからになってしまったものや、
    葉っぱが黄緑になり、ぐったりとしてしまったものや、
    花をつけたままパリパリになっているものもあった。
    その原因は、分からない。
    可哀想なことわしてしまったと、何だか気になって仕方ない。
    しかし、やっぱり枯れてしまうものはあるのだ。

    養生と言う言葉がある。
    日々、私は養生する気持ちで花たちを見てきたつもりだ。
    小さな変化に敏感になり、その変化に素早く対応する。
    特に弱ったものに対しては、他のものよりも心配りを怠らない。
    ただ、言葉をもたないために、こちらが察することが求められる。
    それでも、枯れていってしまうものは、枯れていく。
    その原因は確かにあるのだろうが、私には分からないのだ。

    聴こえない言葉を察する。

    それは、人間関係でも必要な態度だと、最近は思っている。
    存在するものには、言葉が在るのだ。
    それは、目に見えず、耳に聴こえないものでも同じだ。
    花にも想いがあると感じている。
    その言葉を聴きとり、理解して、手助けをできる人になりたいものだと思っている。

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  • from: クマさんさん

    2013年05月28日 05時49分09秒

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    時間に身を任せる

    時間の流れに身を任せ、
    焦らずに、ゆったりと生きることができるようになった。
    これは、私にとては大きな進歩だった。

    昼間は、たった独りでこの家に居る。
    私にとっては、よくない環境だとは分かっていた。
    誰とも話さず、誰とも繋がらず、じっとここに居られるのだろうか。
    そのことが不安で仕方なかった。

    しかし、花壇を作り、花たちが集まってからは、状況が一変した。
    庭に出て汗をかき、庭で花たちを眺め、本を読んだりするようになった。
    まず「1日だけは生きよう」と思い、明日のことは考えなくなった。
    そして、小さな小さな1日の出来事で、その日をよしとすることにした。
    何でもいいんだ。

    アゲハ蝶が飛んできた。
    雀がたくさん集まっていた。
    朝、走った。
    昼に魚を焼いて食べた。
    父の所へ行けた。
    本を一冊読み終えた。

    この考え方は、スロージョギングの方法と同じなのだ。
    話ができるくらいのゆっくりした速さで走る。
    決して苦しくなったり、疲れたりする速さでは走らない。
    一回に30分間ではなく、こまめに走り、トータルで30分間走ることを目指す。
    大きな目標は立てない。
    タイムを気にすることなく、ただ続ける。

    実は、人生の達人たちの生き方も、このスロージョギングに通じる生き方なのだった。
    昨日は、病院に行って来た。
    薬を替えてもらった。
    昼にパスタを食べた。
    「水滸伝」を読んでいた。
    夕方スロージョギングができた。

    そんな1日だったが、そんな1日がとても豊かに、気持ちよく感じられるようになった。

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  • from: クマさんさん

    2013年05月27日 09時30分19秒

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    一日をどう過ごすか

    やはり先週は酷い日々を過ごしてしまった。
    とにかく朝、目が覚めないのだ。
    人間はやっぱり生ものであることをつくづく感じた。
    薬とは、かくも怖いものなのだ。

    寝たらそのまま朝になる。
    何度起こされても、起きる気力がないのだった。
    何とかしようとは努力するが、体はもはや私のものではなく・・・・。
    これではいかんと、無理やり起こして、外での活動を続けることにした。
    やっぱり汗をかかなければ、生きていけないものなのだ。

    何を思い立ったか、自転車で新津の八幡山遺跡まで行った。
    1時間半の旅立った。
    新津ま゛のバイパスを自転車で走り怖かったが、
    おかげで最短距離を発見することができた。
    八幡山は快晴で、竪穴式住居の横の芝に寝そべって、
    ゆったりと行く雲を眺めていた。

    花の苗の販売場があり、ここで山吹草等の苗を買った。
    しかし、自転車の籠にその苗を入れてまた走ったのだから、
    その結果はご想像にお任せする。
    鳥屋野潟のたい焼き屋さんで、夏たい焼き(これが絶品なのだ)を買って自宅に戻った。
    50キロはあったただろうか。
    ひたすら暑い道路を見つめて走った旅だった。

    翌日は、心友に誘われて、村松の仙見川の辺の部落まで行き、
    そこで彼の実家の竹林で、筍採りをさせてもらった。
    今年は裏年?というこで、あっちこっちというわけにはいかなかったが、
    童心に帰り、筍を落ち葉の中から探し回った。
    この日もとても爽やかな日だった。
    二つの袋にいっぱい筍を採ってから、川に降りると、
    地元のばあちゃんが、漬物の樽を川で洗っていた。
    捨てるはずのたくあんを一本いただくことができた。
    私は対岸の山の新緑を見て、たそがれることしばしだった。

    筍採りの誘いが私には嬉しかった。
    薬の呪縛から解き放たれようと、庭や自転車で孤独に汗を流しいる私。
    世の中からまさに隔離され、繋がりのなくなった宙ぶらりんの状況。
    時には、やっぱり寂しさと孤独感とで、落ち込んでしまうことあり。
    何よりも、このままだったらどうしようとの焦りがいつもあった。
    そんな中で、やっぱり生きるのは私なのだと、
    気持ちを切り替えて日々生きることにした。

    そしたら、逆にこれまでにない繋がりもできるようになった。
    何と水曜日には、公民館の「歌声広場」に叔母に誘われて参加したのだった。
    叔母はこの歌声広場のお世話役をやっていた。
    劇で披露した私の歌声を買ってのお誘いだった。
    私は、他人の目を気にしないで、気分転換に参加することにした。
    まさに叔母さん?の大集団だった。
    この人たちは、私と違って人生を生きる達人なのだと、その時思った。
    生きることを楽しんでいく。それでいいのだ。

    明日、何をしようかと決まっていることが大切なのだそうだ。
    ほんのささやかなことでいいのだ。
    「公民館の歌声広場に参加する。」
    「自転車で新津の八幡山まで往復する。」
    「筍を採りに行く。」
    「アルビの試合をテレビ観戦する。」

    私は、この日々を通して、そんな時間の使い方をできるようになった。
    しかし、やっぱり何よりも健康が第一である。
    今もこうして掲示板を書きながら、やっぱり頭がぼーっとするのだ。

    「健康に一日を過ごす。」
    「一日だけを生きる。」
    このことの大切さが身に染みて分かるようになった。

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  • from: クマさんさん

    2013年05月22日 10時29分31秒

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    心友へ

    さてさて、薬の怖さを実感している。
    月曜日から処方された薬が効きすぎて困っている。
    「カリフォルニア・ロケット」とかいう名前の取合せだそうだ。
    「効きますよ」との、医師の言葉。
    目が覚めなくなってしまった。そして、一日中眠気がなくならない。
    自分の身体でありながら、思うように行かないもどかしさと不安感。
    医師の言葉を信ずるしかないと思っている。

    こうして一日を過ごすようになってから、しばらく経ってしまった。
    何もしていないし、何もできない私である。
    世の中から一時的にリタイアして生きてみると、
    今までの生活では決して気づくことのなかったことに気づくようになった。

    一日は、ここに平等に存在している。
    お日様の光も、雨も、風も、みんな同じに恵として与えられている。
    とりあえずは、今日一日の命は与えられているようである。
    「ワンディ」に、これから何が起こるか分からない。
    ただし、これまでの日々は平穏に過ごすことができた。
    そして、それだけで十分だったと感じられるようになった。

    心友と書いて、「しんゆう」と読む。
    真友と書いて、「しんゆう」と読む。
    信友と書いて、「しんゆう」と読む。

    私はこの「無為自然」な日々の中で、その友と出会うことができた。
    それは、この苦難における何よりもの恵みだった。
    何よりも大切なことは、人と心と心とで繋がることだ。
    そして、人を想い、人に想われ、想いと想いとで繋がることである。
    その繋がりは目には見えないが、深い深い想いとして固く結びついた絆だった。

    この絆は、どんなことがあろうとも解かれず、消えないものだった。
    見えないものこそ、確かに存在すると、私は思うようになった。
    それは、苦難と試練の中にいる人だけが感じるものだ。
    無為にして、捨てることで、何ももたなくなることで、あるがままの自分に還る。
    その時だ。
    こんな私にも残されている希望とは、やっぱり心友なのだった。
    何もいらない。このままでいい。心友さえ居てくれたら。

    想いは常にこの胸に溢れている。
    そして、この想いは溢れるがゆえに、枯れることのない泉のようなものなのだ。
    その源はどこから来るのか。
    それは、私の心や魂を通して繋がっている在るところから生まれて来るものだった。
    その見えない世界との繋がりを信じれば、
    確かにこの想いは、深くから終わることなく湧き上がり続けるだろう。

    その想いをもち、その想いを受けるとき、人は生きられると私は思った。
    心配してもらえることは、生きられるということなのだ。
    想ってもらえることが、人を生かす力となるのだった。
    そして、私がいつも心配し、想うことも、やはり私を生かすための限りない力となった。

    その想いと想いとで繋がる人が、一人でもこの世界に居てくれたならば、
    そして、その人がこうしていても想いを通して傍に居てくれるならば、
    私は生きられると信じている。
    人は、想いで生かされ、生きているのだ。

    私は、そんな想いをもつことができる心友と出会うことができて幸いだった。
    もし、この出会いがなかったら、
    もし、その人と心友となっていなかったら、
    私は、この孤独感と愁訴感の中でどうやって生きていたことだろうか。
    人は、独りだ。しかし、決して独りにはならない存在なのだ。

    私は、この薬の影響によって今は眠気に支配されている。
    しかし、私の切なる想いをとどめることはできないのである。
    その想いに従い、その想いを貫くことが、私の生きることの自由でもあった。
    私が生きることとは、この想いを生きることなのだ。
    たとえ、私が死んで私の身体が消えたとしても、
    この想いだけは、存在し続けるのだと、今も想っている。

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  • from: クマさんさん

    2013年05月21日 09時57分38秒

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    花が集まる

    昨日、病院に行って来た。
    医師が症状を聴いて、薬の処方箋を変えた。
    今度の薬は、「カリフォルニア・ロケット」と名のつく組み合わせらしい。
    とにかく強い薬で、朝起きることができなかった。
    今も頭がぼーっとしている。

    こうして生活して月日はあっという間にたってしまった。
    先週から、突然行動を始め、せっせと花壇を作り始めた。
    まさか、私がガーディニングとは思ってもみなかったが、
    きっと何かのきっかけと、そのきっかけを作った必然があったのだと思う。

    「花を植えよう。」
    この年になっても叔母が心配して、お見舞いを持ってきてくれた。
    そのお金を有効に使いたかった。
    それではかねてから計画していた花壇造りを実行しよう。
    これが、きっかけの1だった。

    「外で汗を流そう」
    とにかく部屋の中で閉じこもっていると、
    時々心がおかしくなりそうだった。
    一日誰ともはなさない生活というのは、やっぱり苦しいものだった。
    人は、人と繋がって、やっと人としての心の落ち着きを取り戻すものだ。
    孤独感をもち、世の中とも繋がらない生活とは、かくも苦しいものだったのか。
    だから、せめて外で汗を流したかったのだ。

    「何かを造ろう」
    花壇を造る。それは、ささいなことかもしれない。
    しかし、造ることは消費することではなく、形に残るものだった。
    ほんのささやかなものであったとしても、それは人にとっての歓びでもあるのだ。
    やはり、残るものはよかった。
    初めは庭の片隅の小さな花たちのための花壇だったが、
    その後に、増設を重ねて、ハーブの花壇と野草のための花壇とを造った。
    昨日の午後は、丹念に培養土を積み、
    そこにみやこわすれ等の山野草を植えることができた。

    「花が居てくれる」
    私は、一日を庭で過ごすことが多くなった。
    朝は、ジョギングとごみ捨てとストレッチの後は、
    花壇と野菜への水くれだった。
    ホースを使ってひと苗ひと苗毎に、丁寧に水くれをする。
    葉っぱは元気だろうか。花は萎れていないだろうか。水は十分だろうか。
    やっぱり問いかけ、話しかけつつの作業となる。

    花を育てて分かったことは、
    野菜と違ってとても繊細で人の手を必要とすることだった。
    私が来て、水くれをすることを待っていてくれる暑い日もあるのだ。
    だから、雨の日は、何だか花と私のためにもほっとする。

    「花は集まってくれた」
    ある人が言ってくれた、
    「くまさんのために、集まってくれてありがとう」と。
    その言葉を聞いて、私は、はっと想った。
    そうか、私がこの花たちを植えることが必然であったのならば、
    この花たちが選ばれ、ここに在るのは、私のための必然であったからなんだなぁと。

    私が花を植えようと思ったのは、友達や話し相手が欲しかったからなのかもしりない。
    そこに花が居てくれるだけで、何か心落ち着くと感じたからなのだろう。
    庭に居る、花やハーブや山野草は、
    まるでお地蔵様のように私の話を黙って聴いてくれるのだ。

    そして、ここに在り、ここで生き、ただそのまま空を見上げて立っている。
    そんな姿に、どういうわけか心がほっとする私だった。

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  • from: クマさんさん

    2013年05月17日 09時07分07秒

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    子どもたちの優しさ

    次男が久々に早起きしていた。
    5時半頃からがさごそと部屋で何かをしている様子。
    妻に聞いたら、何と今日からテストなのだそうだ。
    とにかく勉学を怠り、サッカーで生きている彼であるから、
    親父としては心配しているのだが、
    今は、親父の方が心配される立場になった。

    長男が教育実習のお願いのために、我が家に帰ってきた時のこと。
    とにかく大人になったのか、人の気持ちがよく分かるようになったのか、
    私に気を使い、丁寧な言葉で応対してくれる。
    何をしてやっても「父さん、あれりがとう」の連発だった。
    こうもありがとうと言われると、やっぱり何かをしてやりたくなるものだ。
    先日は五十嵐のアパートまで忘れ物を届けに行った。

    この彼が中2の時、とにかく反抗的で、
    親父としての私にまっこう勝負だった。
    それは、今から思うと私が心が狭く、短気で、
    親父としての面子だけを傷つけられまいと空威張りをしていたからなのだが。
    彼は思春期の真っ只中で、とにかく私に対して反発してきた。
    その結果、生まれたのがこの「親父達よ」であった。

    その彼が、今は一番のダメ親父の理解者だった。
    親父がこんな状況だったら、子供としてはそれは心配なことに違いあるまい。
    我が家はいったいどうなってしまうのか。
    親父はこのまま居ても居なくてもよい人になってしまうのか。
    心配は尽きないと思うが、彼は私には何も言わないのだった。
    ただ「父さん、ありがとう」だけ。

    こんなことを言っては何だが、
    私は、ある意味で長男と次男を尊敬している。
    それは、どうもいつの間にか、彼らは私のことを超えてしまったような気がするからだ。
    確かに、長男の優しさは、労りのような感じがする。
    次男が、どれだけ私に対して反発を感じながらも、
    何も言わず、対決もせず、じっとぶつぶつと言いながら我慢しているのも、
    やっぱり親父を可愛そうだと思っているからかもしれない。
    そして、ああ見えて、やっぱり親父のことを心配していてくれる。

    私は、何も言わないし、何も言えない。
    心でも「お前たちは、お前たちのまま生きなさい」と思っている。
    自分の人生は、自分のものだ。
    私の母がそうだったように、本人のやりたいことをとことんまでやらせるつもりだ。
    橋は自分でかければいいのだ。
    けっして、親が先走ってかけるものではないと思う。

    こうして親父をある意味での労りの目で見ていてくれる。
    親父は弱くてもいいんだ。
    その分、子供たちはそんな親父を見ながら、何かを考え、何かに気づいてくれる。
    親父が好き好んでこんなになったわけではない。
    親父も、悲しく、辛いだろうなぁ。

    そんな親父の憂いを感じられる二人になった。
    優しさとは、とてもとても大事なものだと思っている。
    優しさがあるからこそ、人は生きていけるのだ。

    今朝、次男と握手して、彼を見送った。
    「行ってきます。」
    それでもまだ私と彼は握手してくれるのだ。


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    2013年05月16日 15時16分08秒

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    弱さを書こう

    「クマさんだけでないよ。私だってそうだったんだから」と、ある人から教えられた。
    「そうか。私だけでないんだな」と、その言葉を聞いたとたんにほっとした。
    人は人それぞれに悩みがあり、苦労があるものだ。
    しかし、こうなってみると何だか自分独りだけが切ない思いをしている気になる。
    そうすると、もっともっと寂しくなるものだ。
    でも、こうして「私もそうだったんだよ」と言ってくれる人がいることは幸いだ。
    人は、人とは弱さで繋がれるからだ。

    「クマさん、親父達よを待っているよ」と、言われたこともある。
    本当に二ヶ月間もの間、満足に更新していなかった。
    いつもなら5時半から30分間かけて一気に書き上げる掲示板が、
    とにかく書けなくなってしまったのだ。
    しかし、その人が言うのには、
    「クマさんの親父達よを読むとほっとするよ」と、言ってくれる。
    それは、私が弱音ばかり吐いているからだった。
    失敗したり、壁にぶち当たったり、潰されたりしている私の姿。
    それは、同じ境地にあったり、かってはそうであった人たちに共感されるのだ。

    悲しみと弱さとには、共感できる。
    それは、みんながそうだからだと私は思う。
    だから、強くなりなさいでは、話が先に進まないのだ。
    その泣いてる人の横にうずくまり、そっとその人の手を取って、共に涙を流す。
    これしか、悲しみに対する優しはないだろうと私は思う。

    私は、こんな体験日々している。
    それはある意味では、貴重な人生体験ではないかと少し思えるようになった。
    今、日々私が感じていたり、思ったりしていることをここに書き留めたら、
    同じような境遇にあう人にとっては、少しの慰めになると思うからだ。

    その人がそうであったように、「自分だけではないんだ」という気づきは、
    こうした人生の重荷を少し軽くしてくれる力があるものだった。
    もうカウンターがなくなったので、日々どれだけの人が来てくれているか分からない。
    しかし、ここに私の日々の気持ちを書いて発信することは、
    そういう意味で意義があるのではないかと、私は教えられた。

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  • from: クマさんさん

    2013年05月16日 14時51分44秒

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    想うということ

    想うと言う言葉がある。
    私は、この漢字が好きだ。
    相手の心と書いて、おもうと読む。
    この思うとはどう違うのかとは分からないが、
    私は、相手に対しての気持ちを伝えたい時にこの「想う」を使う。

    これは、相手の心なのだろうか、
    それとも相手への心なのだろうか、
    または、相手からの心なのだろうか、
    それはみんなそうであると私は思っている。

    それでは、その想いを取り出して見せてくださいと言われても見せることはできない。
    その想いとはどこにあるのですかと問われても、ここにあるのですとは言えない。
    でも、年を取って分かってきたことは、
    目には見えないものこそ、存在するものであり。
    目には見えないものこそ、確かなのだということだった。

    ここに強い想いが存在する。
    それも途切れることなく、常にいつもここにその想いはある。
    その想いが溢れて、満たされることもある。
    想いいっぱいの自分になってしまう。
    しかし、どうもその想いとは、私の内にあるのではなく、
    何だか私の胸の周りを包み込むように存在しているようなのだ。

    時には、その想いによって悲しく押しつぶされそうにもなってしまう。
    その想いはいつも発せられているのだが、
    その想いが届かなかった時、その想いは重くのしかかってくる。

    想いだけが伝わるのではないだろうかと、私は思う。
    その想いとは、空間を越え、この空と風とで繋がってしまうこともある。
    また、どんなに離れていてもその想いをすぐ傍らに感じることもある。
    その相手の想いが、自分の想いとなり、共鳴し共感することもある。

    想いこそ、人と人とを繋ぐことのできる素晴らしい力なのだ。

    言葉ではなく、想いだけが伝わる。

    それでは、伝えたいだけの想いをもっているのかと問われたらどうだろう。
    想いとは、想うことだけで完結せずに、
    伝えることを想い自身が求めるのではないだろうか。
    また、黙っていても、そこに立っているだけでも、俯いているだけでも、
    そこには、その人の想いは存在し、私に伝わってくる。

    人は、想いを表現する。
    そして、表現された想いを通して、人は人を感じ、理解し、納得するのかもしれない。

    想いだけが、繋がっていく。

    そんな想いをいつも持ち、発信している私。
    とすると、この世界はそんな人の想いに満ちた世界なのではないだろうか。
    私の想いは、今、風に乗って届けられているはずである。

    想えることは、幸いだと私は思う。

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  • from: クマさんさん

    2013年05月16日 11時42分34秒

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    如何なる場合も

    独りとは、かくも寂しいものなのだ。
    独りでこうして日中自宅に引きこもっていると、やっぱり元気がなくなってしまう。
    人は、人と繋がることで生きていけるものである。
    何だか誰にも分からず、ここで独り時間が流れていくことに、
    どうも慣れないのだ。

    しかし、独りになりたかったし、こうした自由な時間を切に願っていたものだった。
    なのに独りになり、自由な時間ばかりの生活になると、
    何か物足りなく、何か切なく、何か焦ってしまう。

    「悟りということは、如何なる場合にも平気で生きていることであった。 子規」

    どういうわけかこの言葉が、携帯には残されていた。
    病に苦しみ病床で痛みに呻きながら俳句を書いた彼の言葉だ。
    平気で生きることの難しさを、今は分かる気がする。
    ついつい私は人に頼り、人に依存してしまう傾向がある。
    弱い自分の心をよく知っている。
    だから、今のこの試練があるのかもしれないと思っている。

    お地蔵様は、黙ったまんま何も語らないが、
    よくよく考えてみたら、お地蔵様は今もいつもいつまでも独りぼっちのお地蔵様なのだ。
    私が走って訪ねて言っても、すぐに私はまた走って去っていく。
    その後ろ姿をお地蔵様は見送ってくれる。
    独りでいることが平気だから、やっぱりお地蔵様は悟っていなさるのだ。

    人は、独りだ。
    人は、本来寂しさの中で生きている。
    そして、人はその寂しさに耐えて生き抜いて行かねばならない。
    最期には、死が待っている。

    でも、今日一日を生きていくためには、
    今日一日を生かされていくためには、
    やっぱり愛が必要なのだと、つくづく想う。

    私が今日もここに居ることを心配し、心に描き、想っていてくれる人が居てくれたら、
    やっぱり人は、独りぼっちでも生きていけるのではないだろうか。

    大事なことは、この想いと想いとでしっかりと繋がることなのだ。

    それは、家族であるかもしれない。
    それは、友人であるかもしれない。
    それは、亡くなった母であるかもしれない。
    それは、お地蔵様であるかもしれない。

    そう考えると、逆に人は独りにはけっしてなれないのではないかと想う。
    目には見えない相手を思いやる想いに気づけば、
    こんな私のことでも心配してメールや電話をくれる人がいることを想えば、
    母は今でも傍に居て、私のことを心配していてくれると想えば、
    お地蔵様がいつでも黙って私の話を聴いてくださると想えば、
    独りではない自分に少しは安心すればいいんだ。

    いかなる場合も平気で生きたいものだと、自戒を込めて想っている。

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