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親父たちよ

親父たちよ>掲示板

公開 メンバー数:62人

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  • from: クマさんさん

    2009年08月31日 06時56分52秒

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    無為・無能

    父親としての出番がほとんどない親父である。
    それはそれでいいのだと思うが、
    子どもたちから見た私とは、
    いったいどんな父親として写っているのだろう。

    月日は淡々と流れて行く。
    何も為さないうちに52歳となってしまった。
    子供たちも同じく成長し、思春期真っ只中である。
    自分がその頃、いい加減に生きていたので何も言えない。
    いや、最近は言わなくてもよいのではと考え直した。

    トラブルチャンスが父親の出番なのだ。
    その他は、黙って見守っていたらいいのではないだろうか。
    コミュニケーションは、いつもオープンにしてある。
    呼ばれたら、いつでも応えられる状態。
    だが、世の親父たちのようにガツンとは言えない。
    自信がないのかなぁと、情けない。
    そんな親父もいていいよと、自分を慰める。

    昨日すごい演劇を観た。
    ぞくぞくと感動の荒らしだった。
    同じ空気・臨場感・息している台詞・目の前の人生。
    狭いスタジオでの演劇は、
    観客にも緊張感を強いてくる。

    その後、やすらぎ堤から打楽器の音が聴こえた。
    マリンバと打楽器のグループのコンサートのためのリハーサルだった。
    ソプラノの歌声がまた素晴らしい。
    私はずっとそこでこの音楽に聴き入り、拍手を送った。

    どうしてかこうした表現者にはまってしまうのだ。
    それが私だった。
    無為・無能。
    それでも私には、表現者の魂を受けとめ、その音を聴き取る、
    目と耳と心とを与えられているようだ。
    信濃川を背にして演奏する彼女たちがとても素敵だった。

    そんな親父の一面なんか、
    子供たちはきっと興味がないことなのだろうとは思う。
    だから、最近少しずつ自分は自分でしかないと思うようになった。
    そして、そんな自分でもけっこう好きだと思えるようになってきた。

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  • from: クマさんさん

    2009年08月30日 22時04分48秒

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    勝手気ままな一日を

    昨日は分刻みのスケジュールだった。
    朝二男をサッカーの練習試合のために内野中学校へ送った。
    帰ってきてからは、50分間のロングスローディスタントのジョギングだった。
    暑さでへこたれ、トンネルで息をぶり返した。

    それから、東総合体育館に劇の練習に出かけた。
    「王瀬の長者」は、夢であったオペラに近づいていた。
    Kご夫妻という音楽家との出会いによって、
    漁師と子どもたちとによる合唱が出来ていた。
    鮭の踊りでは20名近くの子供たちが、
    堀川さんと一緒に踊っていた。
    私はアリアの部分の作詞がやっとできたので、
    Kさんに手渡した。

    それから帰ると、父と母とを連れてお寺に向かった。
    父の気持ちをなだめるために、
    石屋さんと会い、お墓の見積もりを立ててもらうためだった。
    父は、とにかく心配していた。
    昔、購入した土地に不動産屋の手違いで他人が家を建ててしまった経験があった。
    それが父のトラウマなのだ。
    しかし、住職さんと石屋さんのおかげで、
    やっと安心した父のようである。

    それから帰ると、すぐにクロスパルに自転車で向かった。
    シティガイドの総会であった。
    現役引退した人たちばかりの会である。
    その中で、私は下町地区の担当として名簿に記載されている。
    ただし現役であるために活動する時間はなかった。
    それでも、引退後の活動の足がかりをつけるために、
    年会費は払うのである。
    人生の大先輩たちに囲まれて、学ぶことだらけである。

    それから、自転車を飛ばして、大山台にむかったのである。
    ここで、あの流しそうめんと遭遇するのだ。
    一日の中で活動できる時刻は少ないのだ。

    とにかくやりたいことはやると、私は心に決めている。

    流しそうめんの後は、アルビのテレビ観戦である。
    酷い試合だった。
    しかし、それがアルビのあるがままなのだ。
    これが原点と、ここから始めることにした。
    そんな一日を私は過ごしていた。

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  • from: クマさんさん

    2009年08月30日 21時40分21秒

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    子どもの心に残るものを

    驚きの人数だった。
    昨夜Cさんとやろう会のメンバーが中心になり、
    何と竹のといを使って本格的な流しそうめんを実施した。
    町内会の子供会の子供会のお母さんたちの協力を得て、
    何と二町内で親子80名が参加したそうだ。
    私も遅れての参加となったが、
    脚立を使っての流しそうめんのセットに感動し、
    親子でわいわいと集って楽しんでいる姿にもっと感動した。

    これは、町内会でも学校行事でもなく、
    ただ有志の集まりなのである。
    「流しそうめんやりたい」という子どものリクエストに応えて、
    本気になった親父たちが山に行って竹を切ってきた。
    それを大工さんの親父と一緒に養生し、
    素晴らしい流しそうめんのといを作った。

    Cさんのこの実行力がすごいのだ。
    シティガイドの総会の後、
    大山台にたどり着くと、知っている親父たちでいっぱいだった。
    みんな缶ビール片手に上機嫌だった。
    「元気らったけ」
    そんな挨拶を交わしながら、
    親父たちと馬鹿っ話に花が咲く。

    「おおーい、ゆで卵流すぞ」
    とうとう最後のゆで卵の時刻となってしまったらしい。
    「取った子どもから帰るんだよ」
    7時近くになっていた。
    私はアルビのテレビ中継を観るために先に帰った。

    子供たちにとっては、
    地域におけるこうした活動が忘れられないものなのだ。
    私にもそんな思い出がある。
    大人になっても忘れられない思い出を、
    町内会で創っているCさんたちは、
    やっぱり凄いと感動している。

    子どもには思い出をである。
    それも家庭では出来ない、
    多くの大人やたくさんの家族と一緒の思い出を創ってやろう。
    それも「やろう会」の理念であった。

    また一つ、子どもたちの心に残る夏休みの思い出ができたようである。

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  • from: クマさんさん

    2009年08月29日 06時47分49秒

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    思索中

    確かに50代には、50代の生き方がある。
    それはよく分かっているが、果たしてどのように生きたらよいのか。
    自然体だろうなぁとは思っている。
    無理をしないことだろうなあとも思っている。
    あるがままにあるがままを見ることだろうなぁとも考えている。
    しかし、これが出来たら「悟り」なのである。

    私の師匠たちは、そうして生きていた。
    その後姿を目指して私も歩いてきた。
    しかし、げつばたげつばたとするばかり。
    弱くて、情けない自分がそこには居た。

    それでもここまで歩いて来れたのは、
    家族が居てくれたおかげであるし、
    いつもどん底で光を与えてくれる師や友がいてくれたおかげである。
    一人では生きては居ない。
    人は、支えられて生きている。
    そんな当たり前のことに気づいたことも50代の収穫だった。

    弱くていいんだて。
    そのままでいいんだて。
    そう言ってやれる人になりたい。

    60歳まであと8年間である。
    振り返ればきっとあっという間の年月になることだろう。
    それでは、残された日々を何に賭けたらよいのだろうか。
    何だか素直に誰かのためになるような生き方や仕事をしたいと思うようになった。
    それは何か。
    ただ今、思索中である。

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  • from: クマさんさん

    2009年08月28日 20時44分29秒

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    52歳の誕生日

    大山町であるパスタの名店プテイで、
    私の誕生祝をしてもらった。
    「お父さんおめでとう」
    その一言が心に染みた。
    いろいろとあった長男が、一番大人になってくれた。
    男と男との会話とでもいうのだろうか。
    親父として気張らず、繕わずに、自然体で接せられるようになった。
    二男もこんな駄目親父をそれなりに認めてくれている。

    「ありがとう」
    それは私から、妻や子供たちへの感謝の言葉である。
    「いい加減な親父」になることで、
    子どもたちと近づけた気がする。
    真っ向勝負はとっくにやめた。
    「お前たちがやりたいように生きなさい」
    私はそうやって両親から見守られてきた。
    その恩を、子供たちに返せばいいのである。

    あの頃、小学生だった二人の子どもが、
    こうして立派になってプティの椅子に座っている。
    長男は少しのゆとりの中で、
    私と対等に話している。
    「ああ、大人になったんだなぁ」とつくづく思った。

    やはり親は、子どものサポーターでよいのではないだろうか。
    蒲水先生への絵手紙に、
    「何事も 為さずに五十二 これからも」と川柳を書いた。
    「我執を捨てて、ただなんとなく」蒲水
    この境地に到達するにはまだまだ万里も先であるが、
    そんな心境を読めたこと、本当は嬉しいのだ。

    子どもから、笑われ、呆れられ、それでも大好きな親父となりたい。
    そんなことを考えたら、そのまんまのモデルがいた。
    それが我が親父殿であった。
    「あっそうか。お父ちゃんを俺が見ていたように、
    子供たちも俺のことを見てくれたら幸せなのだ」
    そんな気づきを得ることができた。

    帰ってきたら、父が一人テレビもつけずに部屋に居た。
    「なぁ、あの墓早ようしねぇと、なくなってしまうんじゃねぇか」
    あの墓のことがよほど気に入ったのだろう。
    だから、心配で仕方ないのである。
    「そんなら、早よう石屋さんと相談して、建ててもらうけ」
    私が父の年代になった時、
    私の墓のことで長男や二男は心配してくれることだろうか。

    「何事も 為さずに五十二 これからも」クマさん

    追伸:帰りに妻に「いくつになったん」と聞かれた。
      「52歳だこて」と言うと、「55歳かと思った」と言われた。
      そんなものなのだ夫婦と言うものは・・・。

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  • from: クマさんさん

    2009年08月28日 06時22分01秒

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    免許の更新 5年の節目

    毎朝パソコンが不調だ。
    やっと立ち上げることが出来た。
    壊れ物は、私と一緒だ。
    腫れ物のように気を使いながら、操作するしかないだろう。

    とうとうこの掲示板も70万人を達成した。
    ただ今700071名である。
    5年前から始まったこの「親父たちよ」である。
    長男との葛藤の中から生まれた掲示板。
    「お父さん」から「親父」への転身。
    その自覚の中から、親父としての自分に悩んだ。
    小さな小さな親父の悩みと愚痴であったが、
    そんな親父たちはたくさんこの社会に生存していたらしい。

    考えてみたら、「親父」の家庭での在り方を問うはずだったのに、
    親父はどんどんと地域参加して行った。
    「やろう会」「町内会」「お祭り」と、
    地域コミュニティーへの参画の機会を増やしてきた。
    また、家庭では子どもが大人になり、
    私は、子どものままであった。
    いつの間にか、強権親父ではなくなり、
    「居ても居なくてもよい存在」になりつつある。

    本日私の52回目の誕生日である。
    この激動とストレス社会の中で無事に50代を迎え、過ごしている。
    「ここからは遊びなのだ」
    「ここからは余禄なのだ」
    「いい加減でいいのだ」と、
    精神的に大きな病を経た後、
    そんな力の抜き加減を学んだ。
    復帰して1年がたとうとしている。
    「50代は組織の糊代になればいいんがね」とは、
    先輩の言葉である。
    実はだんだん欲がなくなってきた。いろいろな面で。

    自己認識をどうするかではないかと最近思っている。
    「これでは駄目だ」
    「人から見たらどう思われるか」
    「もっともっとガンガンと」
    そんな認識では、人は疲れて疲弊する。
    「これでいいのだ」・・・自己肯定
    「人は人。自分は自分」・・・マイペース
    「もっともっとゆっくりに」・・・スローライフ
    そうやって自分も家族も認知して行く。

    5年間で学んだことは、これだったのかもしれないと思っている。
    つくづく自分の弱さと愚かさとを知らされた。
    でも、仕方ないのだ。それが私なのだから。
    しかし、そんな私を家族は受け入れ、
    諦め、放っといてくれる。
    おかげさまで「変なおじさん」として地域社会での生存が許された。

    ある意味、絶滅危惧種の親父となってしまったのかもしれない。
    ただ今「ぷれジョブ」と「市民劇団」にかかわり、活動している。
    「シティガイド」にもいずれはデビューする予定である。

    今日免許の更新に行く。
    5年前の私の顔とお別れである。
    あの免許書の写真を撮った頃、
    私たちは「やろう会」を立ち上げた。
    長男は中一の大反抗期で、二男は小4のサッカー少年だった。
    私もまだ40代後半でバリバリと仕事をしていた。
    父も母も若く、もっともっと動いていた。

    あっと言う間の5年間だった。
    次の5年後は57歳になっている。
    それまで私は生きていられるのだろうか・・・。

    この掲示板だけは、死ぬまで続けようとは思っている。
    絶滅危惧種の親父たちよ、これからもよろしくお願いします。

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  • from: クマさんさん

    2009年08月27日 20時18分41秒

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    墓の場所が決まった

    帰ってきたまたパソコンが壊れていた。
    何とか復旧したが、
    いつ取り返しの付かないことになるか分からない。
    リスクはいつもつきものである。

    父を連れて沼垂のお寺に行った。
    とにかく父は荒れていた。
    母が出かけていたせいなのか、
    突然ヒゲをそりに床屋に出かけ、
    帰ってきたら怒鳴るばかりだった。
    叔母さんがなんとかなだめてくれた。

    何故あんなに父は怒っていたのであろうか。
    お寺で座敷に通されて、
    住職さんは、実に実に気さくで、心優しき人であった。
    さっそく、墓についてのお願いをした。
    「分かりました」とのこと。
    帰る時には場所を決めていきましょうとのお言葉が嬉しかった。

    父は正座することが出来ないために、
    母と二人で椅子に座って黙って話を聴いていた。
    叔父さんは40年以上前に墓を建てた。
    その近くには当然空いている場所はないはずだ。
    それでも母が「そちらの方をお願いしたい」と言っていた。

    暑い中、住職さんが先頭に立ち、私たちを案内してくれた。
    すると塀に面した、一番端の角地が空いているではないか。
    「ここがあいていましたね」と、
    住職さんもその時発見したような驚いた口ぶりだった。
    すごいことだ。
    叔父さんの墓のすぐそばで、
    角地がぽっかりと空いていたのだ。

    あれほど不機嫌な顔をしていた父が陽の当るその小さな土地を見て、
    嬉しそうに笑っていた。
    「ここがいいわ」
    「東向きられ」
    母も感動して涙を流していた。

    もうすでに満杯だったはずのこの区画にどうしてここが空いていたのか、
    それは私には分からない。
    ただし、言えることは、この選択は間違っていなかったし、
    父も母も私も、やっと満足のできる墓の場所を得ることができたということだった。

    9回表ツーアウトからの5得点である。
    起死回生とは、希望を失わない者にしか与えられないチャンスなのだ。
    父と母と共に墓の場所を決めることになろうとは、
    私はこのことも想定外の出来事なのだ。

    「叔父さんが20年間祖父ちゃんのためにとっておいてくれたんこてさ」
    そんなことが信じられるような、
    感動的な出会いであった。
    人生、捨てたものではないのだ。

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  • from: クマさんさん

    2009年08月27日 07時46分02秒

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    父のお墓

    「百万円の墓を建てるなら、他に百万円頂きます」
    「二百万円なら、全部で四百万円です」
    「石屋さんはこちらの指定でお願いします」
    「うちは墓の土地を売るというつもりはないのです」
    「それでよかったらいつでも言ってください」

    西堀のあるお寺の話だ。
    仏の教えも地に落ちたものである。
    悟りとは「無欲」ではないのだろうか。
    その無欲を教える坊主がこれなのだ。
    現代の寺院が葬式屋と言われるわけである。

    このお寺、叔父さんの葬式では、
    お布施の額が少ないと、包んだお布施を返してきたことがあった。
    葬儀屋さんも、このお寺のお布施の額だけは言えないそうだ。
    叔母さんは悔しさと情けなさでいっぱいだったが、
    増額してお布施を届けた。
    今度は受け取ったそうである。

    今日、父が自分の墓を求めるためにお坊さんに会う。
    沼垂のあるお寺にすることにした。
    そこには、父のことが大好きだった叔父さんが眠っている。
    私はあの墓の話から、
    こんな貪欲な坊主とは絶対に付き合いできないと腹を決めた。
    だから、沼垂のお寺に墓のことを聴きに行く。

    父と母と私と、叔母さんと。
    父の墓を決めねばならない年となったのだ。
    母は退路を断つように、西堀のお寺にお断りに言って来た。
    さて、どうなることであろうか。

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  • from: クマさんさん

    2009年08月26日 21時54分26秒

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    新潟日報のぷれジョブ特集

    パソコンが朝から不調だった。
    強制終了に、再起動。
    恐る恐るの作業が続いた。
    帰ってきたら、またフリーズしていた。
    妻もおろおろであった。
    これが私の50代の体と同じなのだと思うと、
    腹が立つより、いたわりの心が生まれる。
    若い人たちは知らないだろうが、
    50歳を過ぎると、このパソコンのような症状は日常なのである。

    新潟日報に、「ぷれジョブ」の特集記事が掲載された。
    写真には、UさんとジョブサポーターのHさん。
    それに肝っ玉母さんの八百屋さんの店主であるSさんが写っていた。
    その記事を読み、その写真をまじまじと見つめながら、
    ああー、こういうことが認められる時代が来たのだと感慨深いものがあった。

    「ぷれジョブ」って何だ。
    それがこの記事を読んだ人の大部分の感想だと思う。
    その名前と共に、障害のある子どもたちが、
    地域のお店に働きに出ているという事実は、
    ある意味驚きであったかもしれない。
    「へーーっ、こいう活動もあるんだ」
    しかし、「あるんだ」で終わらせてはいけないのである。

    定例会の後でCさんたちと飲んだ時、
    私はCさんに言ったことがある。
    「ぷれジョブを当たり前にみんなが知っている言葉にしょうて」と。
    「何だそれ」ではなく、
    「あっ、ぷれジョブね」と、地域の人に認知される活動となることが大切なのだ。

    かって「ビオトープ」に先進的に取り組んだ頃、
    やはり同じことを経験したものである。
    新聞は、時代の先を行き、時代をいずれかリードする風をいち早くつかむものだ。
    今回の記事は、そういう意味でも大きな一歩なのである。

    嬉しかったし、心引き締まるものがあった。
    そして、これからなのだと、ぷれジョブに対する想いを新たにすることもできた。
    本当に今年度は、新潟市にとっては「ぷれジョブ元年」となったのだと思った。

    どうこの活動をみんなで育てて行くか。
    それはとても楽しみなことでもあった。
    Kさん、Cさん、よかったね。

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  • from: 7時34分の父さん

    2009年08月25日 22時23分28秒

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    「Re:ありがとうございました」
    すごい試合でしたナ。

    おっしゃるとおり球児の皆さんの意志の強さが伝わって来ました。

    高校生はもう「大人」ですナ。

    自分のやりたいことを自分で決めて取り組む。

    もし「やらされて」いるのならこんなことは出来る筈もない。

    かつては「管理野球」てな言葉もありましたが最近は様子が違ってきたように思えます。

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