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親父たちよ

親父たちよ>掲示板

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  • from: クマドンさん

    2016年05月31日 06時14分13秒

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    門出和紙工房のKさん。

    さてさて、どう書いたらよいのか困っている。
    門出和紙工房のKさんのことだ。
    私は、彼の語りを聴きながら、自然と涙が溢れ止まらなくなった。
    どうしてこんなに涙が出るのか不思議なくらいだった。
    感じて動いているなぁと、私は想った。
    Kさんの一言一言が魂に沁みた。

    「そうですよ。そうなんですよ」と、その魂が喜んでいた。
    問いをもって私が求め続けていることは、
    Kさんの言葉の中に答えとして存在していた。
    私は、哲学者に会ったことはないが、
    彼は、私にとっての生きるの哲学者だった。

    今、メモした言葉を読み返した。
    しかし、その言葉が深すぎて、どうにもこうにもまとめられない。
    言葉だけだと、あの感動は蘇らない。
    彼が、彼の温もりで語ってくれたから、
    その言葉は、普遍として存在して、どうだと私に気付かせた。
    ただ、ただ、気付くだけ。
    そのことをこうして語ってもらえることに感謝するだけ。

    ああ、生きているって、こんなすごい瞬間と出会うことなんだなぁ。
    そして、その気付きで、蘇ることなんだなぁと、
    今でもここにKさんが居てくださるように、何だか力強く感じられる。

    手帳にびっしりと書いた言葉を、いつかここに記録しよう。
    彼が世界を構造化した手書きの絵がここにある。
    これなんだ。これだっんだと、私は涙が止まらなくなってしまった。

    そこには、こんな言葉が記されている。

    「根源は、ふたつから発生」

    「正解もふたつ」

    「原子力 原始力」

    「今日 原始力が足りない」

    「人も社会も適当さがしの旅をする」

    私が分からないままそう生きたいと捜し歩いた生き方がここにある。
    根源的な出会いとは、こういうものなのだろうと、
    私は今もあの瞬間を想うと、心がじんと熱くなる。

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  • from: クマドンさん

    2016年05月30日 06時16分21秒

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    高柳荻野島のKさんと逢った

    心地好い疲れだ。
    昨日は刈羽の黒姫山に78歳のSさんと登った。
    ゆっくりゆっくり休み休み。
    手術後初めての登山の私と、Sさんには丁度よい登り方だった。

    速く行かなくていい。
    無理はしない。
    疲れたら休めばいい。

    それは、普段の私たちの生き方そのものだった。
    人は、生き方がその人だった。
    どんな生き方をしてきたか、どんな生き方をしているか、
    それは、こうした歩き方にも表れる。

    素晴らしい生き方をしている二人の人に逢うことができた。
    2人は、その語りから、生き方そのものを感じさせられた。
    その生き方そのものに、ただただ私の中の私が感じて、動くばかりだった。

    荻野島という集落をまとめているKさんは、
    役場を退職してから村づくりの仕事についた。
    茅葺の古民家を二棟、市から委託して経営している。
    棚田がとても美しい。
    その景観を守るために、道路を新たに作る時、緩いカーブを創った。
    自然の中には、直線は似合わないからだ。

    観光地として賑わって欲しくない。
    ここで生活している人たちの日々の生業を守りたい。
    だから、来たい人。ここが好きな人にだけ来てもらえたらいい。
    そのために、情報発信は行う。
    この村のこの空気感こそ、何よりもの価値だと思っている。

    その発想が新鮮だった。
    持続可能なことだけにしぼり、気をてらったものや、イベントは行わない。
    来て、観て、感じて、いいなぁと想った人にリターナーになってもらう。
    「それでいいんです。」
    中年の夫婦連れが、ゆっくりゆっくりと棚田の道を歩いて来た。
    こに来た人の歩みは、穏やかになる。
    時々立ち止まっては、棚田や茅葺の古民家の写真を撮っている。

    モンゴルの研修生たちが軽トラックから降りて来た。
    村の田んぼの草刈に行って来たそうだ。
    ポルトガルから日本の景観を研究するために来日した大学院生が居候をしている。
    来る人は誰でも受け入れる。
    そして、来た人たちはそれぞれの役割を担って、この村の一員として生活している。
    それを当たり前とする。

    ここの米で焚くご飯はうまいだろうなぁと想った。
    食べたくなったので、お米はどうやったら買えますかと聞いてみた。
    すると福井?の福祉団体が全て一括して購入するのだそうだ。
    山間地の棚田のそれも天日干しをしたお米を県外に出している。
    何とも何とももったいない話だった。
    しかし、そのおかけで安定した収入をこの村は得ることができた。
    茅葺古民家の収入もある。
    お金をしっかりと稼いで、村で回している。
    そんな仕組みを創ったこのKさんは、たいした人だと感動だった。

    この発想は、Kさんの生き方そのものだった。
    山間地の小さな集落であるこの荻野島こそ宝なんだという誇り。
    この村に住む人たちは、その誇りをもって日々の生業に勤しんでいる。

    速く行かなくてもいい。
    無理はしない。
    疲れたら休めばいい。

    そんな素敵な村は、Kさんのような素敵な人たちが創る村だった。

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  • from: クマドンさん

    2016年05月28日 09時45分09秒

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    さらに深く

    昨日「海よりもさらに深く」という映画を観て来た。
    金曜日はユナイテッドは千円の日だ。
    是枝監督は、私の好きな監督の一人。
    何気ない日常の家族の描写にいつも感動させられている。

    うだつの上がらない小説家志望の中年男。
    興信所に勤めているが本気にはなれず、競輪で有り金全部をすってしまう。
    亡くなった父親は、いつもギャンブルで多額の借金。
    樹木希林の妻からは、金を盗んではギャンブルですっていた。
    まるで、私の亡くなった父のような男だった。

    離婚した妻(真木よう子)には新しい金持ちの恋人がいる。
    その妻の様子を若い部下とじっと車から見つめている彼。
    この阿部寛が実にリアルで、実にいい。
    月に一度、中学生の一人っ子の男の子と会える日がある。
    その時、妻と約束した養育を10万円をいつも渡せない。
    ぼろぼろのアパートでガスや水道を止められるような生活をしている。

    「どこで人生を間違ってしまったのだろう。」
    それは、私たちみんなの心の声だった。

    何かになろうとして生きて来ただろうか。
    それても、彼の言うように、今なりたい人になる途中なのだろうか。
    振り返ってみたら、それでいいと想えるのだが、
    この道しかなかったのかと、ふと想うこともある。

    私は、子どもたちに対してどんな父親だったのだろう。
    彼等が中学生の頃、私はいったい何をしていだろうか。
    サッカーボールやスパイクを買ってやったことはあったたろうか。
    私と子どもたちとで食べに行ったことはあっただろうか。
    台風の大雨の中、公園のタコ滑り台で、
    お腹を減らして一夜を明かしたことはあっただろうか。
    子どもたちは、私のどんな思い出をもっているだろうか。

    私は、どうして分からなかったのだろう。
    今も、やっぱり今気付くべきことを気付かない分からない父親であろう。
    何故か、そうして大切な今になすべきこと、言うべきことが分からずに、
    こうしてずっとずっと生きて来たような気がする。

    大器晩成の男、阿部が金を借りに質屋に父親の大事にしていた硯を持って行った。
    昔からの馴染みの質屋の親父は、彼が文学賞を受賞した本を彼に見せた。
    「あんたの親父さんが、初版本だと言って、みんなに配っていたよ」とのこと。
    父は、小説家になることを大反対しながらも、受賞を喜んでいたのだ。
    その本をじっと見つめると、父の息子に対する優しさが滲んでいるようだ。
    そんな一冊が、私にはあるだろうか。

    振り返ってみたら、心の中には物語がある。
    しかし、それはもうすっかり過去の物語。
    取り返しのできない月日は、私と家族とにはたくさんたくさんあったものだ。
    でも、そこに帰ることはできない話。
    例え、私が帰ったとしても、きっと同じことの繰り返しだろう。

    では、これからのことを考えているかと言うと、そうでもなかった。
    どういうわけか、私は何だか人生への期待が無くなってしまったようなのだ。
    これからどうなるかは、誰にも分からない物語。
    ああなりたい。こうしたい。それが私から無くなった。
    どうでもいいということではないが、諦めのような心境だ。

    淡々と現実を受け入れ、じたばたしない。
    いや、そうやってどたばたと生きて行くことから、降りたんだ。
    彼は、妻の再婚と新しい人生のスタートを見送る決意をした。
    何とかなったはずの夫婦だったが、
    彼はその何とかに気付かずに、自分の夢に向かって突っ走ってしまった。

    きっとどこかで選んだ道の結果がこれだった。
    私にも、その気持ちはよくよく分かる。
    でも、人は失わない限り、その分かるが分からないもののようだ。
    少なくとも、彼と私はそうだった。
    どうにもならないが、どうにもならない自分を生きている。
    それしか、生きようがないからだ。

    今、急に右手が痺れて来た。
    二日前も目眩と痺れだった。
    この身体もそんな風にがたが来ているようである。

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  • from: クマドンさん

    2016年05月27日 05時36分26秒

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    手術談義に花が咲く

    さてさて、連日3時代の起床だった。
    どんだけ遅く就寝しても、目覚めるのは4時の目覚ましの鳴る前の時刻。
    今朝はまだほの暗く、雨の音がしきりに聴こえている。
    こんな日は、心がほっとして落ち着くものだ。
    走らない、歩かない。
    その分、朝は少しのゆとりが得られる。
    スタンドをつけて、寝床で本を読んでいた。

    昨日、昼前に突然体調不良にみまわれた。
    立ちくらみがした。
    ちょっと辛くて立っていられなくなった。
    右手が少し痺れ、右足の裏が何だか感覚が固くなった。
    脳梗塞だろうかと、ふとふと心配になったが、そのまま仕事を続けた。

    人は、やっぱり生もので、壊れものだ。
    つくづく自分自身の身体を考えると、そう想うことが多くなった。
    走っても、いつもの距離を走り切れない私。
    自転車で通勤しても、ふらふらになって帰って来る私。
    あれだけトレーニングに勤しんでいた私が、
    今はまったく人並み以下の生活だ。
    それは、今、この身体が無理をしないと言っているから。
    私が、身体そのもののが発する声に耳を傾けているからでもあった。

    身体の声を素直に謙虚に聴く。
    そんな年になってしまったようだ。

    昨夜は東区ボーイズの練習だった。
    6月5日(日)にはなみずき文化祭に出演する。
    そして、9月4日(日)には東区プラザで5周年記念のコンサートを開く。
    この男性合唱団の平均年齢は、70歳に近いのではないだろうか。
    現役を引退し、釣り三昧、卓球三昧、町内会長、悠々自適生活の面々だった。
    私は、ヘルニアの出っ張った腹を抱えて歌を歌った。

    すると元小学校校長である78歳のNさんが笑顔でやって来た。
    彼は前立腺癌を宣告されたが、手術はしないことを選択していた。
    「クマさん、今、女性ホルモンを注入されているて」
    「あれやってると身体が変わるんさね。〇玉がちっちゃくなってさ」と、
    人ごとのようにして笑って話された。

    すると、隣に座っていたHさんが、
    「私なんか、突然心肺停止で倒れて三週間でしたて」と、
    58歳で彼を突然襲った心臓停止の話だった。
    「部分麻酔でさぁ。医者の話が聴こえるんだよね」と、
    自身がペースメーカーを入れた話を笑顔でしていた。

    私もこの大手術と術後の話をしたら、きりがないほど語るものがある。
    当然なことだが、この東区ボーイズには、病気と入院、手術の話題は多くなる。
    四百四病?とよく言われる。
    老いるということは、身体が変わるということで、
    健康であることだけでありがたいということでもあった。
    しかし、そんな手術談義の仲間入りをできたことは、
    私にとっては感謝であった。
    7月にまたまたここに手術レポートを書くことを期待してもらいたい。

    しかし、人の先はどうなることか全く分からないものだ。
    神様のみがご存知だろう。
    全身麻酔から覚めずに、私はそのままこの世から居なくなっているかもだ。
    二度の手術、二度の大失敗。
    三度目もあることは、けっして期待していないが・・・・。

    ただ、私はこの体験を通して、それまで知らなかった世界に入ったことと、
    その体験者としての気付きや学びを語り合える幸せを味わうことができた。
    それは、私のこれからの人生にとっては、大きな意味が在ることだった。

    人はいつまでも若くはないのだ。
    健康であるということは、希なことで、実に在り難いこと。
    病気になってみて、初めて病気になった人の気持ちが分かる。
    そして、老いと病と孤独とに辛い想いをしている人の何と多いことだろう。
    若くて健康であると想っている間は、
    その人たちの存在すら気付かずに生きている。

    しかし、本当の人の深さは、この哀しみと憂いと試練の中でしか養われない。
    そのことも本当だったと、私は今も実感している。

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  • from: クマドンさん

    2016年05月26日 05時35分42秒

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    どうにもならない私・・・泥仏

    さてさて、どうやったら、自分自身に素直になれるのだろうか。
    そんなことを考えて、ふと自分が寂しくなってしまった。

    分かっているのに、そうすべきなのに、そうできなかった。
    その時、ちゃんと気付いてやればよかったのに、気付けなかった。
    あの時、こうやって声をかけてあげればよかったのに、そうできなかった。

    気付いていないということが、そうした後悔の原因でもある。
    また、腹が立っていたり、不機嫌であったりすることも原因となる。
    とにかく、何ともちっぽけな私だった。

    「分からない人」だと、家族からは言われる。
    きっとそうなんだろうなぁとは想う。
    しかし、私は「分からない」ということが「分からない」のだ。
    だから、もっと理解されずに、家族からは呆れられる。
    「そんなに酷いのだろうか」とは想うが、やっぱりそうなのだろう。

    家族に対してどんなかかわりをもったらよいのか、「分からない。」
    おかしなことだが、きっと私はどうしたらよいのか「分からない」のだろう。
    想いをもって、いつも心配して、気にかけて、見守っている。
    でも、やっていることは誤解され、「分からない」と言われることだらけ。

    しかし、いくら考えても答えはきっと出ないとも思っている。
    こんなことを悩んでいる父親は、私だけなのだろう。
    家族って何だろう。
    そんなことをわざわざ考えているから、「分からない」と言われるはずだ。
    では、私は何を家族のためにしてやれるのか。

    こんなことを書きたくないが、ついつい後悔したので書いてしまった。
    本当に「ごめんなさい」なんだろうなぁと、私は想う。
    妻の気持ちも、長男の気持ちも、次男の気持ちも、少しは分かる気がする。
    そして、きっと家族の気持ちは、私の鏡なのだとも感ずる。
    私の家族への想いが、家族の私への想いでもあるからだ。

    つまり、私が素直な自分自身に変わることだ。
    「泥をかぶった仏」である私。
    どうしてか、家族の中では素直に「泥仏」として生きられない。
    ならばそう生きるだけの修業をしよう。

    吸う息と吐く息の修行。
    マインドフルネス。

    後悔ばかりでは生きる喜びも、楽しさも存在しない。
    できない私を素直に認める。
    それから、深く深く息を吸い込む。
    そして、微笑みながら息を吐きだす。
    静かに、ゆっくりと。

    そうすると、不思議とさざ波が静まり、心が落ち着く。
    日々の修業とは、まず「ごめんなさい」の修業であり。
    マインドフルネスの実践でもある。

    どうにもならない自分に出会ったら、
    そうして生きるしかないのだと私は想う。

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  • from: クマドンさん

    2016年05月25日 05時48分26秒

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    どん底からしか学べない

    さてさて、体力が落ちて愕然としている。
    月曜日に走ったが、ロングの途中で歩きに変えた。
    昨日は何カ月ぶりに職場まで12キロの自転車だった。
    暑さのせいもあるが、フラフラになって帰って来た。
    七時に夕食を食べ、菊水一番搾りを飲んだら、やっぱり庭で爆睡だった。
    自分のそんな身体の弱さを素直に受け入れた。
    八時には寝ることにして布団に入った。

    S叔母が施設から外泊で帰って来た。
    叔母はそんな日には、私にT叔母の家に来てほしいと言っていた。
    日曜日の夕方、私が行くと、K叔母を交えて三人での夕食の最中だった。
    私はそのテーブルの席に座り、お相伴にあずかった。

    S叔母は、愚痴の人となっていた。
    「家に帰りたい」「ここでまた生活したい」「手も足も元に戻りたい」
    しかし、現状では全くできないことばかりだった。
    出来ないことを、叔母は一番よく分かっていた。
    だから、できない苛立ちを妹であるT叔母にぶっつける。
    S叔母のために献身的に働いているT叔母は可哀想なものだった。
    彼女は、この冬、S叔母のことで暫く鬱になっていた。
    そのために、認知症も少し進んだ。

    人生を独りで生きたS叔母は、我儘で頑固な面がある。
    ただし、叔母はいつもいつも私たち家族のことを心配してくれ、
    言葉をかけたり、よくしてくれたりした。
    私はこの年になっても、少ない叔母の年金から小遣いをもらった。
    彼女はそうしてたくさんの種を撒いて来た。
    今、この人生の末期になって、その収穫をしている。
    そんな優しさと暖かさのある叔母でもあった。

    なのにやっぱり、自分を襲ったその運命を受け入れられない。
    あれだけ信心深かった彼女が、お祈りをしていないそうだ。
    私は、叔母たちに私の腹を見せた。
    縦に真一文字に傷跡があり、管の穴が十か所近くある。
    何とも悲惨な哀れな腹だ。
    それでも、また七月にはこの腹をかっさばかなければならない。
    何という震災。何という過酷な運命だろう。

    「死にたいて」と、つぶやく叔母。
    叔母は身体のどこも悪くなく、健康そのものだ。
    左手と左足は麻痺して効かなくなっているが、身体のどこにも手術の跡はない。
    ずたずたの私の腹を見て、叔母は声を失った。
    きっと温泉などで初めてこの腹を見た人は、眼をそむけることだろう。
    「S叔母ちゃん。俺はこんな身体でも生きようと思ってまた手術するよ」
    いかに人は、与えられた運命を受け入れらるかなのである。

    私だってそうだった。どれだけ恨み、嘆き、呻いたことか。
    しかし、いくらそうしたところで、現実は何も変わらないということに気付いた。
    それから、この運命の意味を考えた。
    これはきっと神様からのメッセージであるに違いないと。
    そして、私はそれまで見えなかった人たちの存在を知った。
    病気の人。孤独な人。障害のある人。死にそうな人。年老いて弱っている人。
    私には見えなかったけれど、病院のベッドで気付いたことはその人たちのことだった。

    「私だけではない」
    そして、私は、ぶっつぶされた。
    「私なんか、どうでもいかったんだ」と。
    潰されて潰されて、ずいぶんとちっぽけになったものだ。
    「死んだ人のように生きればいいんだ」とは、私の気付きの1つだった。
    「今日一日だけ生きればいいんだ」と、一日だけを生きている。
    だから、明日のことを考えたり、悩んだりしない。
    でも、ついつい考え悩んでしまうが。

    「あるものを数える」
    「常に感謝して、ありがとうと言う」
    「当たり前がとってもありがたいことなんだ」

    私が自らの体験を通して学んだ言葉を、叔母には語った。
    その内に何だか叔母の哀しそうな眼差しを見て、涙が溢れて止まらなくなった。
    ビールの酔いが回ったせいだろう。
    「ああ、感じて、こうして涙を流す私がいるなぁ」

    あの日、突然の震災で私はどん底に落とされた。
    そして、そこでしか見えないもの、感じられないものと、出会えた。
    私は、生還した。
    だから、叔母にはそうやって真剣に語れた。
    深く深くの言葉は、深く深くを体験した人にしか語れない言葉。
    その言葉を分かり、語っている私。

    神様のメッセージとは、このことだったのではないかと、語りながら私は思った。

    私は、叔母にもこの体験を通して悟って欲しいと願っている。
    生涯を独りで生きた叔母のことを、一番心配しているのは、
    亡くなった叔母の母であり、父であり、戦病死した兄だろう。
    毎朝四時起きで1㌔の道程を歩いて、地蔵にお参りに行った叔母。
    自分のことより、親戚の家族一人一人のことを祈っていた叔母。
    一番愛され、守られているのは実は叔母ではないだろうか。

    そのことを、叔母には悟ってもらいたい。
    だから、これがある。
    神様は、試練を通してしか、私たちに本当の深い言葉を与えない。

    私は、ヨブ記のヨブだった。
    神様は、全てを与え、全てを奪う。主の御名は褒むべきかな。

    叔母はこの朝を、施設のベッドで何を想い、生きているだろうか。

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  • from: クマドンさん

    2016年05月23日 05時52分54秒

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    はからずも、神様の摂理とは

    はからずも、という牧師さんのお話しだった。
    それは、後にダビデ王が生誕するきっかけとなったルツ記からのお話しだった。
    苦難の人生の中で、夫と二人の息子を亡くしたナオミ。
    彼女はその次男の妻であるルツを連れて、
    彼女の故郷であるベツレヘムへ帰って来た。
    全てを失い、明日の生活もままならない日々。
    貧しさの中に耐えながらも、
    彼女は自分を襲った運命の過酷さを嘆いていた。

    ルツはそんな義母に従い、ベツレヘムまでやって来た。
    そして、献身的にこのナオミを助けて生きていた。
    ある日、貧しい人たちだけに許されている落穂ひろいにルツは出かけた。
    その畑は、後にルツの夫となるボアズの畑だった。
    それからルツはボアズと運命的な出会いをする。
    そして、預言の通り、イスラエルの王が誕生することとなる。

    はからずとも、それは神様の摂理だった。

    どうにもならない私がここに居る。
    振り返ってみたら、本当に苦難の道であったかもしれない。
    母は三年前に亡くなり、父は昨年亡くなった。
    私自身突然の病での大手術。
    そして、こうして再び手術をする日を待っている。

    どうして私なんだろう。
    そう私であることを嘆くこともあった。
    心の病で休職した時、もう二度と職場には復帰できないのではと心配した。
    ここには書かないが、大変な苦難も何度も私にはあった。
    それは、ナオミのような人生であったかも知れない。

    しかし、昨夜NHK特集で「人生の終い方」を観た。
    死を宣告され、弱って行く父親が、家族に手紙を書いた。
    謹厳実直。真面目に、誠実にただ生きた人だった。
    もうすぐ自分の命が尽きることを悟って、
    初めて書く家族への手紙。
    言葉を遺す。
    死に迎い、人生を振り返った時、私はどんな思いでいるだろう。
    後悔だけはしたくないと、ふと想った。

    38歳、若い若い父親だった。
    看護師の妻と、小学生の長男とこの四月に小学校に入学する長女。
    父は、病院ではなく自宅で人生の終いを迎えようとしていた。
    鼻に管をつけ、酸素吸入をしている。
    痛みで苦しんでいても、痛み止めは末期の癌には効かないらしい。
    それでも、毅然として、しゃんとして、子どもたちのために生きている。

    どれだけの涙があったことだろう。
    何故なんだ。どうして私だったのだ。
    きっときっと神様にも祈り続けたことと思う。
    しかし、癌は無情にもその人の命を日々確実に縮めて行った。
    死の四日前、家族で温泉旅行をした。
    子どもたちと湯船に入った。
    死ぬということは、抱きしめられないということだ。
    優しい言葉をかけられなくなるということだ。

    80歳の母が亡くなった。
    彼女には軽度の知的障害のある66歳の一人娘が居る。
    母独り子独り。
    母は居酒屋を50年間やってこの子のために生きて来た。
    癌が見つかり、死期が迫った。
    何よりもの心残りは、この娘のことだった。
    独りでこの世に残すことの寂しさと無念さと、何よりもの哀しみと。
    母もきっとどれだけ涙を流したことだろう。
    きっと神様に祈ったことだろう。
    それでも、やっぱり終わりがやって来る。

    ところがだ。
    母が可愛がり、優しく接し、時には悩みを聴いて助けたであろう常連さんたちが、
    母を慕い、母をしのぶ会を開いてくれたのだった。
    母は亡くなったけれど、母はしっかりと優しさの種を人の心に撒いていた。
    その種が芽を出し、花を咲かせた。
    その母の優しさは、たくさんの人の心に受け継がれている。
    そして、その人たちはここに独り残された娘さんを我が子のように心配している。

    終わり方は、生き方だ。

    どうにもならない生き方をしてしまった私にも、
    神様は、やり直す、生き直すチャンスを下さった。
    死を宣告された人たちは、きっと想ったことだろう。
    どう生きたかではなく、今日を、これからをどう生きようかと。
    そこに、命懸けの覚悟のようなものを私には感じられた。
    しかし、私もまた同じなんだ。
    いつかは必ず死ぬものだ。
    終わりだけは、全ての命に平等に約束されている。

    生まれた瞬間に、死ぬことは決まっているのだ。

    では、どうやって生きたらよいのか。
    その「問い」を忘れずに、持ち続けることだと想えるようになった。
    ナオミは全てを失っても、故郷に帰って来た。
    そこで生き直し、やり直すために。
    はからくも、そこには神様の摂理が働いているのだが、
    そのことにはナオミもルツも気づいてはいない。

    ここに登場した三人の人たちにも、
    きっとそのはからずもの摂理は働いていたはずだ。
    私は、この父とこの母のことは忘れまいと思っている。
    ご冥福をお祈りします。

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  • from: クマドンさん

    2016年05月22日 07時25分32秒

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    花との生業

    たそがれられるとは、一つの才能である。
    そうだなぁと、最近はよくよく想う。
    今朝も二日酔いの朝の為、走ることは自粛した。
    爽やかな朝なので、庭に出てただたたずんでいた。

    そしたら、私の身体が自然に動き出した。
    花ばさみを手にして、プランタの花たちの前にかがんだ。
    そして、一本一本仕事を終えた花たちの茎を切って袋に入れた。
    こんな地道なお仕事は、私はしたことがなかった。
    枯れた花たちを、そうやって一本一本切っては袋に入れる。
    でも、その仕事にまったく飽きないのだ。

    花たちの時間と言うのだろうか。
    私が身体を通して今学んでいることはその時間の流れなのかもしれない。
    人ばかり見ていると、この自然なる時間の流れを見失う。
    本当はこうやってゆったりと、ゆるやかに流れている時間がここにあるのに、
    人ばかり見ることで、あくせくとついつい生きてしまう。

    私は、花だが、何だか農を楽しんでいる人たちの気持ちが分かるような気がする。
    それは、この時間の流れの中に身体をどっぷりと浸らせる楽しみではないだろうか。

    毎朝、阿賀野川を渡る。
    まさに大河の悠然たる流れは、きっと悠久に続き、尽きることはない。
    滔々と大河は流れ、その流れはけっしてやむことはない。
    その流れに気付いたら、何と人のちっぽけなことか。

    何もしない。何もできない。それでいい。
    昨夜は酔って帰って来てから、庭に出て灯りをつけて菊水を飲んでいた。
    気付いたら眠ってしまったようで、午前1時となっていた。
    寒さを感じて、部屋に戻り布団に入った。

    そんな生活の繰り返しでも、不思議と心が落ち着いている。
    何をしよう。何を残そう。何ができた。では、なくていい。
    ただ、庭に居て、佇み、ぼんやりとのほほんと時間が流れる。
    それでいいのではないかと、想える年になったようだ。

    年を取るということは、自然に近づくということかもしれない。
    年を取ればとるほど醜悪で頑固な人となる人も居る。
    でも、やっぱり年をとることで、
    そんな自然のあるがままの機微を感じられる人に私はなりたい。

    花は、咲き、花は、枯れる。
    そうしたら、立派に仕事を為し終えた小さな花を、ちゃんと葬ってやろう。
    私は、生まれ、私は、生き、私は、死ぬ。
    花たちと阿賀野川の流れが教えてくれることは、そのことだった。
    「いつ死んでもいい」という生き方を。
    そのことも、花たちと阿賀野川は教えてくれる。

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  • from: クマドンさん

    2016年05月21日 05時35分50秒

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    期待通りには行かぬもの

    7月に手術を決めてから、毎日が死に向かってあるような心境だ。
    その覚悟はしている。
    またあの術後の激痛と不眠と苦しみとは仕方ないだろう。
    ただし、生還したらだ。
    2回の手術で2回とも失敗している私。
    私は、人のやることは失敗があるものだと、そこから教えられた。
    一度切ったものが全く元には戻るわけはない。
    きっと手術の同意書には、死亡することもありますという一文が書いてあるだろう。
    私は、それに同意して印鑑を押す。
    全身麻酔で眠ったまま、この世から消えてしまうこともある。

    人生、何が起こるか分からない。
    例え、私が息を引き取っても想定内でしたと、医師は絶対に責任は取らないだろう。
    臨港病院は、私をこんな身体にしても、入院費は取っている。
    せめて、手術ぐらいちゃんとできる医師を育てて欲しい。
    そして、失敗したなら謝罪する誠意を見せて欲しい。
    私が死にそうになったら手を離し、新大に丸投げだった。
    こんな病院があるから、私は手術を信用していない。

    それでも、手術を受けねばならない私が哀しいものだ。

    ということで、ある意味私の余命は後2カ月。
    2か月後の今頃は、丁度痛みに呻いているか、お亡くなりになっているかだ。
    だから、ちょっと贅沢なご褒美と、昨夜はコンサートに行って来た。
    西本智美だった。
    オケは、モンテカルロ交響楽団。
    そして、メインはチャイコフスキーの交響曲第5番。

    この曲で泣けなかったことが、何とも哀しいことだった。
    音はある。曲は流れている。それは確かに音楽なのだが、音でしかなかった。
    深くから響く音は、私の深くが必ず共鳴して震えるものだ。
    じーんと震えて、そのまま忘我の境地に至る。
    涙が溢れ、恍惚なる歓喜が内から湧いて出る。
    その感動を味わいたくて、高いお金を払ってここに居る。

    二階のS席はがらがらの状態だった。
    こんなに入らないコンサートは、かってあっただろうかと驚きだった。
    しかし、カルメン組曲が鳴りだしてから、そのお客の少なさが分かった気がした。
    J2・J3なのだ。
    ホルンや、クラリネットにきらりとしたソリストはいたが、
    それはちゃんと曲にはなっていたが、いっこうに私の魂に響いてこないのだ。
    「うん?」こんなこともかってないことだった。

    ヨーロッパのオケの音ではなかった。
    それは、日本のアマチュアのオケの音ではないだろうか。
    実に日本的なカルメンであり、モルダウであり、悲愴だった。
    オケにはそのオケに沁みている伝統の音があるものだ。
    それは、そのオケらしさの存在感として聴く者には伝わって来る。
    その深い深い個性がこのオケにはないような気がした。

    いかに名指揮者であろうとも、オケとの一体感が感じられず、
    音楽を通して伝えたいパッションがどうしても伝わってこないのだ。
    感動のない音楽は、感動のない演奏者から生まれる。
    プロがプロの技としてそつなく、いつものように、ちゃちゃとやる。
    終わったら今夜のディナーは何にしようかなぁ。
    ここからは、奇跡の音楽は期待できない。
    そうした予想が立ったので、聴く耳のある人たちは、
    きっとチケットを買わなかったのだろう。

    私は、西本さんに会いたくて、その指揮を観たくて、
    マーラーの5番だと勘違いして、高い高いチケットを買ってしまった。
    そして、聴いたのがプロがプロとしてそつなく消化する演奏だった。
    名指揮者は、名演奏家があっての名指揮者なのだ。

    それでも私は、やっぱり手術を受けねばならないし、
    次のコンサートには、名演奏を期待してりゅうとに行く。

    私が変わったのは、そんな諦めを持ちながらも、
    そうなった結果に怒りを感ずることなく、
    ただ淡々と受け入れられるようになったことだった。
    「こんなこともあるよ」と、その一言でそこから抜け出せるようになったこと。
    これは、私のような短気でどうにもならない男には大きな変化だ。

    手術は、失敗することもある。
    名指揮者でもこけることはある。

    案外人生とは、そんな修羅場と失望を体験しながら、
    「これでいいのだ」を学ぶ場であるのではないかと、
    想えるようになってきた。

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  • from: クマドンさん

    2016年05月20日 05時27分56秒

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    たそがれる。

    毎日、慢性的な睡眠不足状態だ。
    どういうわけか体内時計が早朝に目覚めるようにセットされる。
    4時前に目覚めれば、それはもはや早朝とは言えない時刻ではないだろうか。
    それでも身体は自然に従い、その時刻には目覚めてしまう。

    昨夜も庭に椅子を出してたそがれていた。
    映画「メガネ」によれば、たそがれることも一つの才能だと言う。
    私は、いつでもどこでもたそがれられる。
    昨夜もたそがれながら、いつの間にか爆睡だったようだ。

    家に居ながら、外に居ることが多くなった。
    まさに庭の花たちのように、私は夜風に吹かれ、月を仰ぐ。
    本当に何もしない。
    昨夜は夕食後にはテレビすら消して妻と語った。
    それから、庭に出て、バッハを聴いてのたそがれだった。

    本を読もう。仕事をしよう。部屋を片付けよう。洗濯しよう。
    そう思ってやってきた私が、何もしない私になった。
    本当にただぼーっとしている。
    そして、庭の花たちを愛でている。
    こんな庭を残してくれた父に今更ながら感謝している。

    アウトドアが隣に在ることは、
    私のような人にとっては魂の救いだった。
    今は植えたばかりの芝生が根付くかどうか気にかけている。
    この芝生が出来たら、ここで寝転んで星を仰ぎたい。
    ほんのささやかな庭であるが、
    ここには私の語りを黙って聴いてくれる友もいる。
    自然の中でぼーっとたそがれられることは、
    実に実に幸せなことだと感じられる年代になったようだ。

    何もしない。
    ただたそがれる。

    それでいかったんだと、花たちが教えてくれた。

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