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親父たちよ

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  • from: クマさんさん

    2013年08月30日 15時15分19秒

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    森に呼ばれる

    森の話をするようになった。
    どうしてこうなったのだろうと自分でも想う。
    ビオトープから離れて7~8年も立っている。
    当時のことを基にして「春のホタル」の原案を書き、
    昨年11月に北区文化会館で上演された。
    それは、一つの私にとってのアンサーのつもりだった。

    ところが、我が師Sさんから、春にお呼びがかかった。
    来年の新潟県の植樹祭を目指して、
    「がっこうの森づくり」のプロジェクトが立ち上がり、
    新潟日報とUXテレビ局とがその活動を推進しているそうだった。
    しかし、森はただ樹木を植えることでできるものではなかった。
    植樹だけの森づくりは、その場限りのイベントで終わってしまう。
    そんな失敗や苦い経験を私たちはもっていた。

    森づくりを通して形成されるものこそ、森づくりの目的ではないだろうか。
    それが私たちの経験を通したアンサーだった。
    しかし、それを具体的に考えると、いったいなんだったのか明確ではないのだった。

    それから、活動を振り返るたびに、Sさんとは長い長い電話となった。
    新潟と小千谷を繋いで、森づくりの意味について幾度も幾度も語り合った。
    お互いの気づきを伝え、その時の素直な想いを語り合ってきた。
    そして、ふと今日の電話で思った事があった。
    それは、こんなにも森に呼ばれて、また森づくりに携わろうとしている私たちは、
    やっぱり森のことについて語り続けることが使命なのではないかということだった。

    樹木や山野草には言葉がなかった。
    しかし、溢れるほどの想いは存在するのだった。
    森に入り、その一つ一つの命と出会うことで、心や魂に響くものがあった。
    太古の昔から永永と命を繋いできたこの樹木や草花には、
    生きるための知恵と共に、いかに生きるべきかの哲学が存在していた。
    自ずから然りとして、素朴に素直に命を任せたまま生きている樹木と草花には、
    生きていることの存在感が感じられるのだ。

    「言葉」とは、以前ここで語ったように、まさに「葉っぱの言うこと」なのである。
    私たち人類の祖先は、その言葉を言霊として感じ、聴き取って、
    口伝として子孫に語り継いだはずである。
    巫女や長老がその真実を理解し、その真実を子や孫たちに語り継いでいたのである。

    それが、文化となり、芸術となって、現代にも残され、受け継がれているのだ。
    「語る」とは、何か。
    それは、「吾が言う」と書くのである。
    そして、この吾と葉っぱとは同じ吾なのである。

    自分の自と、自然の自とが同じように。
    人は、われの中奥深くに、自分ですら知らない無意識な領域に、
    自然と一体であり、自然そのものと繋がった、吾が存在しているのだ。
    その自然から分かち、生まれた吾が言うことこそ、
    語りとして伝えられるべきものなのだ。

    無いところこそ、在るところなのだ。
    無心であるから、初めてその言葉が生まれてくるのだ。
    そこの接点に立ち、自然の言葉に素直に聴き従い、その言葉を語ることこそ、
    言葉をもてた人間のこの世界において果たすべき役割なのではないだろうか。
    それは、時には絵画となり、音楽となり、舞踏となることもある。

    ここまで書いていて、たった今、どきっとしたのだが、
    「芸」という漢字は、草冠に伝える、云うと書くのではないだろうか。
    自然の命の輝きやあるべきようをその感動をもって伝えられる術こそ、
    芸術なのであろう。

    私は、「春のホタル」でアンサーとしようとしたが、
    実は、これからが本当の私の使命になるような気が、
    Sさんと語りながら想うのだった。

    「湯沢の森の物語」
    それを書く事を既に内面から呼びかけられている自分がいるのだった。
    やっぱり、森は読んでいるらしい。

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    waka こころ

  • from: クマさんさん

    2013年08月28日 15時22分10秒

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    足るを知る

    足るを知る。
    これだなぁと、いつも思っている。
    現状で満足する。
    ここにみんなそろっているんだ。
    他と比べたり、他の所を探したりすることはない。
    まず、ここで満足するんだ。

    さてさて、何も変わり映えしない一日であろうとも、
    何か小さな、ささやかなことで喜びを感じたい。
    ここでできることで、または、ちょっと出かけた先でできることで、
    そこに小さな喜びを発見して、幸せな気分になる。

    例えば、久しぶりに自転車で鳥屋野潟一周だった。
    あの熱中症になりそうな熱波は去り、
    日陰にはいると涼しいくらいだった。
    途中、秋の花をせっせと採った。
    自転車は季節を感ずるよい乗り物だ。

    カーブドッチのお店があった。
    前から覗いてみたかったお店だった。
    ここのバンケットが固くてとてもうまいのだ。
    これとジェラードを一緒に食べることの幸福感は、何とも言葉にしようがないのだ。

    鳥屋野潟公園の林の中のサイクリングロードは、
    ほどよい木陰で、気分の良い道となっていた。
    途中、清五郎の所で、潟を観ながらの休憩である。
    帰りはなかなかの汗だったが、途中で楽運寺の母の墓に寄った。
    野の花が飾られてあった。
    その人の真心がとてもとても嬉しかった。

    帰ってきてから飲んだ水のうまいことうまいこと。
    これが足るを知るという生活なのだ。

    庭の水まきをした。
    井戸水なので冷たく感じた。
    それぞれがそれぞれの場所で生きていた。
    私も、それぞれの場所の一つで生かされている自然なのだ。

    平々凡々のただなんとなく生きている。
    そこにある面での人生の妙味があるのだが、若者たちにはこの機微は分かるまい。

    足るを知る。その修行の毎日だ。

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  • from: クマさんさん

    2013年08月28日 06時46分58秒

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    56歳の朝

    本日、私の56歳の誕生日。
    まだ暗い5時に起きだしたら、土砂降りだった。
    いつもいつも前途多難な人生だった。
    これからの我が人生を予言するような天気となった。

    よくまぁ、ここまで生きてこられたものだと感謝している。
    庭に出て自然の命の姿を見つめるたびに、
    変わりゆくことが全ての自然の定めなのだと感じている。
    子供の頃、56歳は現役引退した十分熟成した親父のことだった。
    その年に、私がなった。
    しかし、いつまでも大人になれず、何も変わってはいなかった。

    今は、まるで老子や荘子のような生き方をしている。
    まさに「無用の用」だった。
    「上善水の如し」でもあった。
    本当に「欲」というものが薄くなっている。
    とにかく突っ走ってきた40代だった。
    しかし、今は本当に何もない私になっている。
    「明鏡止水」かな・・・・。

    一日一日ただ生きる。
    このただ生きるということに、生きることの自然な原点があることを発見した。
    人は、生きねばならないのだ。
    人は、死ぬまでは生きているのだ。
    ただ、その日々をどんな想いで、何をして生きているかだと想う。

    無名な人生なのだから、背伸びや無理をすることもないのだ。
    もしも、何かやるべきことがあったら、きっと向こうからやってきてくれると信じている。
    それが、どんな仕事であろうとも、そろそろ自分を捨てて、
    自分を無にして生きたいものだと感じている。

    老子の言う「人生の三つの宝」がある。
    一つ目は、慈しみ・・・人を愛する心
    二つ目は、倹・・・つつましく生きる心
    三つ目は、人の先に立たないこと
    これからの林住期は、これかなぁとも思っている。

    生かされて、ただ生きている。
    自分のことは一番後にして、こだわらずに淡々と生きて行く。
    けっして人と争わず、人には譲り、諦めて道を静かな心で歩いていきたい。
    これまでの人生の反省は、ありすぎるほどたくさんあった。
    弱く、弱く、情けないほど愚かな自分だった。
    それを実感しながらも、自分だけでも自分のことをしつかりと愛してやりたい。

    無為自然にそうやって生きることで、
    私が私に執着せずに、捨てながら生きることで、
    自然の道は明らかとなり、魂の内なる呼びかけが聴こえてくるのだと感ずる。

    こんなにも情けなく、迷ってばかりいるのは、
    私が人を見るからで、自立することと期待しないこととで、
    もっともっと気楽に、自分らしく生きられるのではないかと思っている。

    人を愛そう。
    悲しみと苦しみの傍らに居よう。
    居ても居なくてもいい人になり、聴ける人となろう。
    日々、生かされていることに感謝して、自分の欲は断捨離していこう。
    毎日、朝が来て、昼が来て、夕方が来て、夜が来る。
    平凡なる片隅の人生に満足し、それでいいのだと足るを知ろう。

    そして、たった一つでも家族や誰かの為になることをやってみよう。
    それは、ほんのささやかなことでいいのだ。
    「おはよう」と声をかけたり、庭を掃いたり、「大丈夫?」と励ましたり、一匹の毛虫を助けたり。
    しょせんその程度な人なのだから、その程度のことは一つだけやりたいなぁと想う。
    これってやっぱり欲の一つかな。

    自然は、変遷することが自然な姿なのだ。
    その変遷を素直に受け入れることである。
    衰えてきた。弱ってきた。できないことが増えてきた。
    それを嘆いては自分に天が与えてくれた命に反する生き方となる。

    こんな時は、亡くなった沼垂山小屋の森田さんをいつも想う。
    食道癌という大病を患いながらも、大きな自分からその病の人生を見つめていた。
    「いゃー、癌になりましてね。」
    「今度、抗癌剤治療のために入院ですて。」
    「立てる間は、この店で焼き鳥を焼きますは・・・・。」

    56歳。そんな私の人生の師匠たちの境地に入る年となったようだ。

    「欲は無く けっして瞋らず いつも静かに笑っている」

    「野原の松の 林の陰の 小さな藁葺きの小屋に居て」

    「みんなにデクノボウとよばれ ほめられもせず 苦にもされず」

    「そういうものに 私はなりたい」

    改めて、宮沢賢治さんや、良寛さんの覚悟と道のありがたさがよくよく分かる年になった。
    二人が法華経等の仏の教えを信じて、そのまんま生きてくれたから、
    どれだけの悲しみや孤独な魂は救われたことだろう。

    二人は、魂としてこの道をとぼとぼと歩く私の傍らにいつもいつも居ていてくんなさる。
    衰えることも、枯れることも受け入れ、自分のことを一番後にしようとする時、
    人にはやっと見える道があるのだった。
    親鸞はそれを白道と呼んだそうだ。
    迷いの中で目が霞んでいると、けっして見えない道が、
    この年になって、おぼろげながら見えてきた気がする。

    一切の答えは既に明々白々なのである。
    あとは、こだわらず、余計なことは考えず、欲を出さず、歩くだけなのだ。

    この道を信じて、錫杖を手に、裸足で草履を履いて、行脚することが生きることだったんだ。

    お地蔵様は、いつもそのお姿だった。
    ああ、菩薩行なのだな。
    56歳。ここまで生かされ、守られてきた人生だ。

    あのお地蔵様は、いつもいつも黙って微笑んでいるが、
    きっといつか私に、語りかけてくださるはずだ。
    その時は、ただ逃げないで、本当の勇気を出して、その道を行く人に私はなりたい。
    それが、56歳の決意かな。

    これまで私を支え、励まし、見捨てず付き合ってくれた、多くの人たちに感謝している。
    本当に本当に、それはありがたいことだったんだ。つくづくそう感ずる。

    晴れてきた。雀が鳴いた。走ってこよう。

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    waka こころ

  • from: クマさんさん

    2013年08月27日 06時10分04秒

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    平均年齢80歳

    昨日、叔母5人が集まった。
    平均年齢80歳である。
    ところがまったくそんな年齢には見えないのだ。
    一人一人がとても若く、生き生きとしている。
    最高齢は90歳のアイさんだ。
    彼女は、腰が曲がっているが一人で日常のことはやっている。

    4人の叔母が一人暮らしだった。
    時代だなぁとつくづく感じた。
    みんなはその年齢であるから、
    いつお迎えが来てもいいようにしている。
    そんな頼もしさも叔母たちから教えられた。

    「クマさん、頼りにしているんよ。」
    それが叔母たちの口癖だった。
    若くして連れ合いを亡くしてしまい、一人暮らしの叔母たちにとって、
    近くに住むこの居ても居なくてもいい男も、それなりに頼りにされていた。
    私は、叔母たちには幼い頃から可愛がられ、たくさんたくさん助けてもらった。

    正月の本家には大人と子供とで30名以上集まったものだった。
    親戚であるということの一体感とでも言うのだろうか。
    年始・盆・味噌造り・餅つきと、全員で集まる年中行事もあった。
    そのたびに、幼い従兄弟達も集合し、その世話を年長の私がしていた。
    昭和の良き時代の話である。

    私は、この叔母たちを見送る責任があった。
    私が先になることもあるかもしれないので、何とも言えないが、
    やっぱり最期には、心を込めてお世話をしようと思っている。

    最期は、必ず来るのだ。
    それは、この世に生まれた人たちには平等な宿命だった。
    いかに死ぬかは、いかに生きるかである。
    人は、その人らしく生きることが、大事なことだと庭の草花から教えられた。

    市井の片隅に無名で生き、生涯を終えるのが私たちだ。
    それでいいのだし、それだけなのだ。
    庭の桔梗が枯れていた。
    桔梗は桔梗として花を咲かせ、衰え、葉を落とし、疲れたように枯れていった。
    それを、無心に受け入れる。
    そんな自然の定めに従った生き方は、潔いと感じた。

    生きることは、死ぬことなのだ。
    叔母たちの若かった頃を思い出し、とてもとても懐かしく感じてしまった。
    この叔母たちから、私は未だに「あきちゃん」と、呼ばれているのだ。

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    waka こころ

  • from: クマさんさん

    2013年08月26日 09時58分28秒

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    「つなげる人」「見守る人」「想う人」

    さて、聖籠中学校での「がっこうの森」の会に参加してきた。
    10年前のあの熱い時代を作った侍が集まった。
    嬉しかったなぁ。また、あの時の熱き想いが沸き立つような気がした。
    ただし、ただ木を植えるだけでは、森づくりにはならないのだ。
    全国でも先進的な取り組みであった、学校の森であった。
    その活動は韓国にまで派生して、
    韓国では700校余りの学校で森づくりに取り組んでいるそうだ。
    だから、ここで新しい風が吹き、新潟県に森づくりの機会が生まれたのだから、
    次のステージに向けた、未来を見据えた森づくりにならねばならないと思っている。

    そこで、次の3つの方策を考えてみた。
    これは、まちづくりにもそのまま通ずる方策であるとも思っている。

    1 「つなげる人」
     
     ・つなぎ手は、子供達と森の自然や多様な命と出会わせる人。
     ・つなぎ手は、森の自然を使った環境教育のカリキュラムや活動、
      ゲーム等のプログラムを学校に提供する人。
     ・ワークショップを開き、地域の人たちと一緒に活動できるシステムを作る人。

    2 「見守る人」

     ・森を見守り、育てる自主的な集団を造り、一人一人が見守る人となる。
     ・見守る人は、毎日でも森に入る人である。
     ・見守る人は、森の変化や発見を情報発信して、森への興味関心を高める人。
     ・見守る人は、地域の人や子供たちに呼びかけて、森の整備を行う人。
     ・時には、森で宴会を開き、お弁当を食べ、わいわいと森で楽しめる人。

    3 「想う人」

     ・10年後、20年後の森の姿を考え、森のビジョンを提言する人。
     ・地域コミュニティとしての森の役割を想い、実践する人。
     ・地域と学校とをつなげるのは森であると考え、コーディネートする人。

    何だかこんなことを考えていたら、超多忙で学力向上のための平均点で追い込まれている、
    学校の教職員には、なかなか難しい問題なのだとも考えている。

    学校の森なのだから、学校の理解と協力が必要なのだけれど、
    それを待っていては、なかなか先には進まないのが現状だと思う。

    何かを実現するためには、まず行動することである。
    行動してその効果を明らかにしながらの合意形成ではどうなのだろうか。

    動かないものをてこを使って動かそうと努力するより、
    まず動ける人たちがプロジェクトチームを自主的に立ち上げて、スタートする。
    すると、まずその活動の第一歩だけは記されるのである。
    そのメンバーには、多種多様な人たちに参画してもらう。
    もちろん森の専門家には絶対に入ってもらうのだ。
    そして、地域の重鎮たちにも参加してもらい意見を交換する。

    つまり、学校教育と並立・同等の立場から、社会教育的な視点に立って、
    地域の教育力を高めて、地域の子供たちを自分たちの手で育てるのだという想いを、
    地域に住む一人ひとりにもってもらうことも、
    この活動の大きな目標なのだ。

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    waka こころ

  • from: クマさんさん

    2013年08月25日 16時26分07秒

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    学校の森たちの現状とは

    そんな現状の中で、多くのことを考えさせられた。
    そして、それはこれから森を作ろうとする学校にとっての共通の課題でもあるのだった。
    そのことを分析してから、次の新たなステージに進みたいと考えている。

    森のある学校と森のない学校。
    私なら子供は森のある学校に通わせたい。
    自然体験を大事にする学校とそうではない学校では、
    やっぱり小学生の多感な時期に、
    感動や発見を通して感性を育てる学校を選びたい。

    しかし、その森なのだが、やっぱり何年も経つと現状は厳しいものだった。
    O小学校は15本のどんぐりの木が切られてなくなった。
    A小学校は校舎改築のためにビオトープは破壊された。
    B小学校は森など維持管理が大変で邪魔な存在と全て切られてしまった。
    C小学校では、教育活動に活用さなくなり、半分の高さに木々が切られてしまったそうだ。
    D小学校では、職員の駐車場を作るために、歴史ある松林が切られてしまったと聞く。

    新たなるステージで学校の森づくりを推進しようというプロジェクトだが、
    そうした10年以上前の先行事例の学校では、
    悲惨な憂き目に合っている学校の森たちも少なくはないのだった。
    確かに、今でも教育課程のの中にしっかりと学校の森を位置づけ、
    森とそこにすむ命の価値と意味に気づき、
    しっかりとしたビジョンをもって子供たちに伝えている学校もある。

    私は、その違いはどこにあるのか考えてみた。
    また、今後新たに作られていく学校の森たちが、
    どうやって守り育てられいけばよいのかも考えてみた。

    森を造った作り手が、その森を伐採してしまう現状をどう打開していくか。
    その具体的な方策を考えてみた。

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    waka こころ

  • from: クマさんさん

    2013年08月25日 15時53分50秒

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    15本の魂の声とは何か

    ひょんなことからまたまた学校の森作りとかかわることになった。
    もう10年以上前になるだろうか。
    O小学校の学校ビオトープ造りで、5年間携わってきた経験がある。
    学校の敷地に小川と森とを造り、子供たちの環境教育に役立ててきた。
    何よりも地域の人たちと子供たちとの手作りの作業で取り組んでいた、
    そのプロセスが楽しかったものだった。

    楽しくなければ、意味はない。
    楽しいことは、みんながやりたくなることなのだ。
    みんなの学校の小川と森は、みんなの力で作ろうぜ。

    そんなことで広大な学校ビオトープがここに誕生した。
    その時の経験を基にして創作されたのが、
    以前ここで話したミュージカル「春のホタル」の原案なのだ。
    私にとっては、この森が私の心の故郷だった。
    毎年、一回はこの学校を訪れて、成長したブナやコナラ等の樹木に挨拶に行った。
    この樹木の苗を雨の中親子で植えた子供たちは、
    いまではとっくに成人し、結婚をして、子どもを育てている。
    この木々たちは、私を含めて、そんな子供たちの成長を見守って来ていたはずである。

    ところが、初夏の頃、新たなる森づくりプロジェクトのメンバーが、
    このO小学校のグラウンドに集まった時のことだった。
    私は、日報の記者さんにこの森を見てもらい、
    今後の全県に向けた森づくりの参考になればと想ってこの場を決めたのだが・・・・。
    現実を見て、唖然としてしまった。
    10m以上に育っていたあの木々が、15本も切られてなくなっていたのだった。
    切り株だげが残され、それをビニールシートが覆っていた。
    15本の元気だった木々たちは、切られて消えてしまっていたのだった。

    悲しかった。辛かった。どうして・・・・と、わけが分からなかった。
    一番「命の教育」を行わなければならない小学校が、
    無造作にこんなにして木々を切り倒し、消し去ってしまってもよいものなのだろうか。
    その感性のなさに、恐ろしささえ感じたものだった。
    後に、いろいろな人にその切った目的を聞いたら、
    ただ子供たちが遊ぶのに邪魔だから切ったというのだ。
    最も愚かで、簡単な選択ではないだろうか。

    どうこの森たちの命を守ったらよいのか、知恵を出してこの命たちを救うことこそ、
    本当の教育ではないだろうか。
    この木と遊び、私のようにこの木と語り合った子供はきっといたと想う。
    休み時間にこの木々の木陰に入って、心と体とを癒した子供もいると想う。
    それなのに、子供たちにも相談せず、この木々を植えた地域の人たちの意見も聞かず、
    校長は独断で業者に頼み、木を切ったのだそうだ。

    情けなかった。嘆かわしかった。これが教育の現場なのだろうか。
    「自然を守ろう」「森を守ろう」「命を守ろう」
    環境教育の重要性と、命に対する感性を育てることの大切さは分かっていただろうに、
    15本もの木々を切ってしまう現実とは、
    いったいどんな教育をこの学校は行っているのだろうか。

    私は、改めてその亡くなった木々たちの声を聴いたような感じになった。
    15本の木々の魂が、語りたかったことを、
    やっぱり誰かがどこかで子供たちや大人たちに伝えねばならないのだ。

    と、言うことで、この私の久しぶりの森づくりへの挑戦となったのである。

    やるべきことは向こうからやって来る。
    目の前には解決すべき現状が存在している。
    それを「見過ごす」ことはできるのだろうか。
    「見て見ぬふり」をしていいのだろうか。

    いや、やっぱりこの15本の魂の声を無駄にしないことこそ、
    これからの私たちの使命なのだと、心に確かに想うのだった。

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    たまご waka

  • from: クマさんさん

    2013年08月25日 13時35分38秒

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    息子からの加油

    加油、久しぶりに聞く言葉だね。
    北京オリンピック以来かな。

    身体のトレーニングを怠ったために、何と83キロになってしまった。
    何年もかけた減量の苦労があっと言う間に消えてしまった。
    お腹はいつの間にかメタボになっていた。

    頭のトレーニングもそうだった。
    この親父達よは、けっこう私の感性と思考力とを鍛えてくれたものだった。
    早朝の30分間かけてこれを書いていた。
    自分の体験を通して、身近なテーマについての私見を書いた。
    ただそれだけだったけれども、楽しみにしていてくれる人も多かった。
    弱さとダメさ加減は、この掲示板のポリシーでもあった。

    沈黙の間。それでもいろいろなことが私の人生を通り過ぎた。
    ここに記すことのできない超個人的なこともあるが、
    何だか、そろそろとシャバの人たちへのかかわりをこちらから持ちたくなってきた。
    書くことは、語ることなのだ。
    語ることは、自分を確認することでもあった。
    こうして独白のようにしていながら、
    実は、私の中ではやっぱり大好きな人と対話している気分なのだ。

    この長い長い潜伏期間について、ある人が言ってくれた。
    「きっとクマさんのやりたいことは、向こうから来てくれるよ」と。
    焦らず、自分を責めず、それなりに生きてこれたのは、
    この言葉のおかげさまだった。
    そして、こんなクマのことを心配してくれた、多くの友のおかげさまだった。

    加油という声は、みんながもっていてくれた声だった。
    誰もこんな男だからと見捨てたり、忘れたりしていないのだった。
    しかし、私のネガティブな心は、「どうせ俺なんか・・・・」と、ひねくれてしまったりしていた。
    そんな時、カツンと本気になって長男が向かって来た。
    私の胸ぐらを掴んで、「信じろよ」と、涙を流して向かってくれた。

    ああ、そうだったんだな。
    こんな単純なことを息子に教えられるほど、愚かな親父となってしまったようなのだ。
    「分かった。分かったよ。」
    息子からの本気の涙の加油は、
    弱気になっていた親父の魂には、天啓のように響いたものだった。

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    たまご waka

  • from: wakaさん

    2013年08月16日 09時50分46秒

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    再スタートを応援しています。
    加油!

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    waka

  • from: クマさんさん

    2013年08月12日 13時59分34秒

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    言葉とは何を語っているのか

    庭の様子がすっかりと変わってきた。
    それだけ月日がたったということだ。
    無為に過ごすだけの日々だ。
    何かを為したい。行動をしたいと考えながら、ここまで来てしまった。

    やりたいことは向こうから来るよ。
    そう言って慰めてくれる友がいる。
    独りそうして生きているとき、友とは本当にありがたいものだった。
    相手の辛さや悲しさをそのまま感じて、
    その人に対して励ましの言葉を届ける。

    私は、いつも庭に出て本を読みながら、
    考えてばかりいた。
    それは、答えが分かっているのだが、やりきれない答えだった。
    そう生きねばならないと分かっていても、
    そう生きられずに、ここにとどまっている答えだった。

    本当にどう生きたらよいのかは、みんな人は分かっているのだと思う。
    そして、その生き方は、自然がいつも無言に語っている生き方だった。
    あるがままに、そして、その人らしく、ただ生きていけばよいのである。

    ある日、木を見ていてはっと思った。
    「木はいつも私のことを見守っていてくれたのだ」と。
    また、こんなことも考えた。
    「そうか、人の孤独や悲しみの傍に、ちゃんと木は寄り添って居てくれるんだな」」と。
    だから、庭に出て生きている命を見ているとほっとするのだった。

    「想う」という漢字の意味が、その時わかった気がした。
    木には人の孤独や悲しみを見守る慈悲の目が存在するのだ。
    木に語ると、木は黙って聴いてくれていた。
    木は、私を見下ろし、「大丈夫だよ」と、微笑んでくれた。
    木は、そこにすくっと立って生きていた。
    その自然が自然らしく生きる心が、「想い」となって伝わってくるのだ。

    しかし、それは無為であるから感じられることなのだ。
    自然の命は、あれだけ人に対して生き方を語りかけてくれていたのに、
    人は、忙しさの中でその無言の声を聴くことを忘れてしまったのだ。
    人を見ると迷ったり、苦しんだりするが、
    自然を見ていると心が落ち着くのはどうしてなんだろう。

    それは、自然の言葉は、深く深く、永遠に語り継がれる言葉だからだ。
    葉っぱが語っているよ。
    「言葉」という漢字が表しているのは、
    そのあるがままの言葉(イデア・真理・悟り)を信じようということなのかもしれないと思った。

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