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  • from: クマさんさん

    2005年03月21日 06時27分21秒

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    地域の大人の中で子供が育った時代

    私は、自治会で補導部長を2年間勤めてきた。
    2年前、なり手が無いので仕方なく引き受けた仕事だった。

    私の自治会でも子供の数が激減し、
    今は自治会の構成員の大半は60歳以上の老人世帯だった。
    それも年寄りの一人暮らしが多く、
    その実態もプライバシーの関係で自治会長も正確に把握していなかった。
    防災上それは困るだろうと質問しても、
    一人暮らしだということをお年よりは言いづらいらしく、
    自分からそう申請する人は少ないのだそうだ。
    だからといって自治会長が一軒一軒「なじらね」と訪ね歩く訳ではなかった。
    地方都市の小さな百世帯余りの自治会でもこうなのであった。
    特に一人暮らしだと、他の人たちに迷惑をかけてはいけないという思いが先にたち、
    自分から援助や支援を求める事はしないそうだ。
    そこから、老人のひきこもりが始まり、
    孤独死が生まれる原因となっているのだと思っている。

    かってはおせっかいなかかわりが、ご近所同士にはあった気がする。
    我が家のばあちゃんの茶の間には、いろいろなばあちゃんが遊びに来ていた。
    コタツにもぐりながらそんなばあちゃんたちの大人の話が懐かしい。
    「いるかね」と、ご近所が気軽に声をかけ、野菜やら何やらを置いていった。
    街角の電信柱の近くでは、買い物籠を下げた主婦たちが立ち話をしていた。
    「おかえり」「今日は学校はやいね」子供たちはそんな声の中帰宅したものだ。
    豆腐屋さんがラッパを鳴らして来ると、鍋を一つもって走って出かけた。
    そこでもご近所のおばさんと一緒だった。
    大人は必ず子供に声をかけてくれたものだった。
    隣に住む電気屋のおじさんは、よく私と妹を自動車に乗せて、
    遊びに連れて行ってくれたっけ。
    近所の商店街に母に連れられて買い物に行くと、
    今では考えられないが、地域の人たちでごったがえしていた。
    知っている人には、母は挨拶を交わした。
    思えば、昭和30年代、いろいろなおばさんやおじさんが地域に生活していたのである。
    お店の人とのやりとりも面白かった。
    私はそこで魚の名前を覚え、野菜の旬なるものを知った。
    地域社会そのものが、生きるための学校であった時代だったと今は思う。
    路地があり、長屋があり、みんな貧しく、原っぱには子供たちとバッタがいた。

    本当に「かかわり」が地域社会から失われてしまったのだと、
    こうして私の子供時代のことを思い出し、しみじみと寂しい気持ちになってしまった。
    子供は、地域の大人の中で育つべきだと思う。
    しかし、その大人たちが地域から姿を消してしまったのだ。

    補導部長になった私は、さっそく「三世代交流のための場」作りとして、
    「温泉とハイキング」「町内大持ちつき大会」二つを企画して、実施した。
    これがお年寄りに受けたのだ。その話は、また後ほどに・・・。

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