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from: クマさんさん
2006年01月06日 22時30分24秒
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長期の不在
やっと燃え始めたこの掲示板でしたが、
長期の不在をしてしまいました。
我が父親は、今は脳梗塞の5回目の発作のために病院に入院しています。
その父親は、若い頃、給料を持ったまましばらく行方をくらましたものでした。
親父という人間は、実に自分勝手だと子ども心に思ったものでした。
しかし、こうして入院し、リハビリの生活を送り、弱ってきた父親を見ると、
何とも言えぬ、息子としての感情が沸き起こってくるのでした。
そんなこんなの年末でしたが、もっと悲しい出来事に出会いました。
私の義理の父親、つまり妻の父が年末に病院に入院しました。
彼は、アミロイドという難病にかかり、人工透析をしている人でした。
余命5年とも言われ、医師からは終末医療はしませんと宣言された人でした。
次に、入院したら最期ただね、と私たちは思っていました。
12月に入ってからすぐに自宅療養が無理で、入院しました。
また゛この頃は、意識もしっかりしていました。
子どもたちと共に見舞いに行くと、よく小遣いを孫たちにくれました。
しかし、31日になると病状が急変しました。
口には酸素吸入のマスクが取り付けられました。
意識がなく、息をしながら、苦しそうな様子でした。
妻と姉が付き添い、私は義理の母を自宅まで送りました。
みんなの思いは一緒でした。
とにかく少しでも長く生きて欲しいということでした。
長期戦の体制を整えていた頃の話でした。
自宅に帰った私のところに、妻からの電話がありました。
「すぐに病院に子どもたちを連れて来て」
私は子どもたちを連れて凍った道路を病院に急ぎました。
病室に駆けつけると、酸素マスクはありませんでした。
顔も手も黄疸の症状があるな・・・、とは思いました。
でも、亡くなった事にはきずかなかったのです。
妻が泣いていました。
腕に触れたら、まだ温かかったです。
妻は、何度も何度もその腕やほっぺたに触れ、
「だんだん冷たくなっていく・・・」
長男と、次男はそのぬくもりを自分の手のひらに感じていました。
一昨日がお通夜、昨日が葬儀でした。
「親父たちよ」の掲示板でありながら、親父の死の報告でした。
実は、私にとってはよき理解者であり、私と同じ反骨の人でした。
新聞記者を全うし、最後は大新聞の論説委員を務めた人でした。
その人も死ぬのです。
人生とはいったい何なのでしょうね。
そんなこんなを今年度はつきつめて行きたいと感じています。
今は空虚な中で私は生きています。
早過ぎた。いくら言っても、帰らぬものは帰らぬのです。
長期の不在は、義理の父親の死であったのです。-
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