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  • from: クマさんさん

    2006年12月31日 09時47分19秒

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    言葉ではなく、感ずること

    2006年も今日で終わる。
    月日は循環しているのだから、それには終わりは無いのだが、
    こうして一つの節目や区切りをつけるところに日本人らしさを感ずる。
    終わりがあるから、今日一日が愛しく、大切なものと思われるのだ。
    あーー、今年もいろいろあったが、
    家族とこうして生きることができた幸いは何物にも代えがたいものである。

    終わりがなかったら、私たちは人やものを大切にする気持ちが生まれるだろうか?
    いつか別れねばならない日が来るから、
    相手の想いや願いを尊重し、心を思いやろうとするのだと思う。
    家族は私のためにある。
    そんな自己中心的な考え方でお互いが我がままを言ったいたら、
    このように逃れようの無い関係の中で窒息して、
    爆発してしまうのではないだろうか。
    お互いの心を侵しあわない適当な距離に対する配慮が求められるのは、
    他人ではなく、家族に対してこそ大切なのだと最近感じる。

    「子どもは色々とシグナルを発信しているのに、
    母親がそれをほとんどシスティマティクに無視する。
    でも、その子の中の「承認可能な部分」についてだけは反応する。」

    ・・・ 親は、良い子であれば安心する。自分のことは棚に上げて、
       子供にだけは全てを求める。
       親が決めたルールの範疇だけが子どもの生きるフィールドになる。

    「コミュニケーションとは、自我をはっきり持って、
    それで自分の意見をはっきり発言できることだってなっているんですよ。
    むしろ逆ですよね。
    何をいっているのかはっきりわからないことを受信する能力のことでしょう、
    コミュニケーション能力って。」

    ・・・ 受信しているかなぁと不安になってしまう。
       私に聴く耳がないために、子どもは語ることを諦めていた。
       話を聞いてもらう楽しさを奪っているのは、父親である私であった。

    「発せられた言葉からどれだけの意味を感得できるか、
    どれだけ自分の中に取り込むことができるか。
    それが大事なことなのに、教育からどんどん抜け落ちてきている。」

    ・・・ 察するという感性は、親だからこそ大切なのだ。
       子どもは親とは離れて生きることはできないからだ。
       言葉ではなく、言葉で語れなかったものを大切に感じたい。

    「まず思いが上手く言葉にならないで、ぐずぐず堂々巡りをする子に、
    それでいいんだよ」と言って承認してあげること。

    ・・・ あるがままにあるがままを認める勇気と信念。
       親は子どもにその勇気と信念とを試されている。
       子どもから軽蔑される親としての私はただ語る人で、否定する人だ。

    「結局言葉だけを待ってしまって、子どもが発している信号には反応しない。」

    ・・・ 言ったから人は、できる人にはならないのに。
        自己矛盾的な自己同一。自分のことは自分でも分からないというのに。
        親は子どもにそれを期待する。それも過剰に。
        言葉は安心なのだ。それは親の心配に対する精神安定剤である。

    「子供と対話しよう、話をしよう」というのは正しいことであるんだけど、
    その前にやることがある。それは相手を認知する、
    つまり相手の存在をちゃんと視野に入れるということなんです。

    ・・・ 子どものことを全面的に信頼しているか?
    子どもの言葉を信じられるか?
    本当に徹底的に絶対に子どものことを愛しているか?

    「14歳の子を持つ親たちへ」 内田 樹・名越康文 著 (新潮社)

    長い引用になってしまった。著者の皆様お許し下さい。

    この本を購入するきっかけは、私が14歳の息子の親父になったからだ。
    そして、私は、どう接していいのか分からず、日々悩んでいたせいだった。
    暗中模索、自分の中学生時代を振り返ればとは思うが、
    やっぱり35年前のあの頃の私たちとは時代が違うのだ。
    結局心に留まり、行き着いた言葉がこの本には散りばめられてあった。

    人間としていかに生きるかを、家族が考える機会を与えてくれていた。
    それを自分を成長させる機会と感ずるか、
    面倒で煩わしいことと感ずるか。
    親が大人になる分かれ目であるようだ。

    今年も残念ながら情けない親父で終わりそうである。

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