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親父たちよ

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  • from: クマさんさん

    2007/05/10 05:44:23

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    私の先生は

    昨夜、長男が「疲れた」と言って布団の中にもぐっていた。
    「疲れたろ」と私は言葉をかけた。
    それだけだが、彼はむくっと起き上がり、
    「パソコンやらして」とパソコンに向かった。

    「頑張っているな」
    「大丈夫だよ」
    「心配するな」
    「休め、休め」
    「無理するな」
    そんな言葉をかけるだけでいいのではないかと最近思っている。

    彼が考え、彼の判断で行動している。
    当たり前のことだが、彼の人生なのだ。
    もう一つ当たり前のことは、人は失敗から多くを学ぶということである。
    親がいくらああだ、こうだと言っても、
    逆に言うとおりに生きる方が心配ではないだろうか?

    彼は、今ギターに夢中である。
    暇があるとガンガンとギターを弾いて練習している。
    高校にはこうしたクラブはなかった。
    だから、彼は独学で曲をマスターしようとしている。
    ハーモニカまで練習していた。
    懐かしい音色が響いている。

    彼の眉毛がだんだん細くなってきた。
    格好をつける年頃で、おしゃれも気になっている。
    端っこを抜きすぎてアンバランスだ。
    「あんまし格好いいとは思わないな」と言うと、
    「父さんの言うことなんか聞かないよ」とばかりにまた細くする。
    いずれなくなったら平安時代の麿のようになってしまうのか。
    先祖がえりもはなはだしいものだ。

    長男のことを、自分のことと混同しない。
    長男の人格と、私の人格とは違うのだ。
    独立した一人の人間。
    しかし、未熟で未経験で未知なるものが多いので、
    アドバイスと支援が必要な存在でもある。

    隣の叔父さんの視点とでもいうのだろうか?
    客観的な視点で息子を見直す。
    いつまでも勝手な息子像をこさえて、ひきずって、こだわっているよりか、
    この改めてあるがままを「見直す」という視点の展開が、
    親父としての私には求められている。

    私を変える存在である息子が、私の先生と言われる所以である。

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