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from: クマさんさん
2007/06/23 07:26:04
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体との対話を
いつもならば走っている時刻だ。
東港線を万代シティ方面に向かい、柳都大橋を渡る。
降りたら右折して対岸に朱鷺メッセを見ながら、信濃川沿いに走る。
すると、みなとピアが見えてくる。ここは、堀の横を通り、
下町の路地を抜ける。海の香りがすると、右手にみなとトンネルが見える。
坂をゆっくりと下り、トンネルの中に入ると早朝は人もいない。
「2001年宇宙の旅」の宇宙飛行士のような気分で、
無機質な人工物の中で息の音だけを響かせて一人走る。
トンネルを抜けると、そこは山の下だった。
神社の前を通り、一気に紡績角まで走る。
この頃は、すでに膝の痛みやふくらはぎの違和感を感じている頃だ。
角を曲がるとタイムを気にしながら、サークルKでゴールだった。
ジョギングは、実に孤独なスポーツだ。
私にとって、それはストイックに自分を追い込み、
精神的なカタルシスを得るための精神修養の場でもあった。
一人であることで、自分の体と対話できる。
あっちこっちがきしんでくるが、そのきしみをなだめすかしながら走っていく。
見える景色は、季節を敏感に反映していた。
目から季節の移り変わりを感ずる。
1月のトンネルから始まった本格的なトレーニングは、
早くも半年の月日がたった。
緑が鮮やかに濃くなり、ぐいぐいと伸びようとする自然の息吹を感じる。
山に登ると、力を山からいただいて帰ってきた。
山の気を吸いこみ、山に溶けることで、英気は培われた。
自然の中の一つである自分を、再び自然の中の循環の中に取り込むことで、
素直でピュアな自分に生まれ変われる。
全ての細胞が生まれ変わり、入れ替わったとしても、
私が私であるように、
その私である私と出会えることが、山に入る喜びだった。
何でこんなことを書いているのだろうか?
昨日辺りから体調が戻っている。
石はすでにどこかに流れ去り、肝臓の方も以前のまま機能を回復しつつある。
「ああー、健康であることのありがたさよ」
先週の今頃は、長岡に向かうバスの中で、一人座席で体を折り曲げ、
胆石の痛みに歯を食いしばって耐えていたのである。
鈍痛から、波のように激痛に変わるが、
降りることも、救急車を呼ぶことも許されぬ状況だった。
それを思うと、走れないこのさわやかな早朝が、何だかもったいなく嬉しいのだ。
ゴールした後、自宅に変えると、ゴミ捨ての仕事が待っていた。
今週は、全部父にやってもらった。
私が倒れるということは、走れなくなるということだけではないのである。
我が家の家庭生活の崩壊につながる一大事なのだ。
飲み続け、飲み歩いている親父たちは、そのことを自覚していない。
気づいたときには、手遅れという場合もあるのだ。
開けてみたら、手も付けられず、再び縫い直した例もある。
余命三ヶ月と言われたら、どうすればよいのだろうか?
残された家族は・・・。
明日のことは誰も分からないのだ。
県大会へ向かうバスの中で、まさかの胆石が騒ぎ暴れだすのも人生なのだ。
今日を手術後の痛みに耐えながら、病院のベットで迎えていたかもしれない。
そんなことを思うと、この執行猶予はありがいたなと神様に感謝である。
「自分の体との対話」
「素直でピュアな私であること」
それは、日々の生活でも大切な養生訓なのだと思った。-
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