新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

親父たちよ

親父たちよ>掲示板

公開 メンバー数:62人

チャットに入る

サークルに参加する

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: クマさんさん

    2007年06月29日 06時35分25秒

    icon

    四苦

    大雨だ。どしゃぶりの雨。
    私にとってはほっとする雨でもあった。
    あっちこっちが痛み始めている。
    それは、今は若い親父たちがいつかは通る道なのである。
    私は、町内でお年よりを見ると、
    20年後の自分の姿だと思うようになった。
    通夜や葬儀に出るたびに、自分の父や母のことを思うようにもなった。
    人生で起きることは、平等に私の人生でも起きるのである。

    「生・老・病・死」の苦しみからどう癒されるのか。
    その命題にぶち当たり、解決の道がないことを悟ったブッダは、
    その苦しみを乗り越える悟りを得るために、
    富と名誉と家族とを捨てて、激しい修行の旅に出た。
    その四苦は、若い親父たちにも平等にもたらされるものである。

    生きることの辛さは、精神疾患が増え、
    働き盛りの自殺者が多くなったことでもよく分かる。
    生きることは苦しいのである。
    そのために、人間は生き抜く知恵を持たねばならない。

    病は突然やってくる。
    そして、その日からその人の人生を支配する。
    抵抗しても無駄である。私の胆石のように、40度の発熱のように。
    私はその痛みと苦しみに耐えるしかないのだった。
    もしも、これが悪性の病気だったら・・・。
    その日から入院し、治療の戦いに専念しなくてはならない。
    これも自分の思い通りにいかない世界なのだ。

    早朝、犬の散歩やウォーキングをしているお年寄りによく出会う。
    60代から70代くらいの人であろう。
    人生の波乱万丈を潜り抜け、生き残った戦士でもある。
    思い出をたくさんもち、悠々自適な生活であろうが、
    その時間はけっして戻らぬ時間なのである。
    「時間とは川の流れに手を差し入れて、手のひらに触った水のようなものである」
    ダビンチはそんな意味のことを言っていた。
    一度触れた水には二度と触れぬのだ。
    時間もまたどんな人にも平等に流れていくのである。

    死をどうとらえるかで、人間の生き方は変わると思う。
    人生とはすでに生まれたときから執行猶予であったのだ。
    期間限定で私たちはここに生きている。
    死を思うと、どう生きるかを思わざるを得なくなる。
    「私はどこから来たのか。私は何者なのか。そして、私はどこへ行くのか。」
    生きることには、やはり私は意味があると思う。
    しかし、それは自分のためだけの意味ではなく、
    人と人との間に存在する人間としての存在の意味があるように思う。
    その意味を発見することが、この世での修行である。

    さて、2週間自分の意思でままらならい不自由な生活を送ってきた。
    その生活の中で意識されたのは、この四苦であった。
    そして、ままならないのが人間であるという当たり前の事実なのだ。

    ちっぽけな一個の存在。
    されど、偉大なる人間となる可能性を誰もが秘めている。
    そのためには、ままならぬ一つ一つを受け入れ、
    それと共に自分なりに歩く決意が大切なように思えるようになった。

    そんな思いは、四苦八苦の中だけで学べる思いなのである。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

コメント: 全0件