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  • from: クマさんさん

    2008年09月24日 09時51分22秒

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    愚かさへのサティ

    駄目な男だなと自分のことを思うことがある。
    そんな時が、年とともに多くなってきたかもしれない。
    情けないけれど、そんな情けなさを認めていかねば生きてはいけない。
    強がるだけのものもなし。
    己のあるがままの存在と限界とささやかなよさを感じつつ、
    本日も晴天の下、許されて生きている。

    そんな自覚のおかげてあろうか、
    強く怒ることがなくなっている。
    長男に対する態度には、一つの諦念があるせいか、
    以前のように真っ向対立とは出ないのだ。

    父親としての自信と威厳を失ったからではないような気がする。
    何だか彼が、私に近づき、
    こんな駄目父さんのことを理解し、
    許してくれているように感ずるからだった。
    「ああ、こんな俺も家族は許してくれている」
    だから、何も言わないし、ほったらかしにしてくれるのだ。

    ある日、ある時、そのことに気づいた。
    インドの古い言葉で「気づき」を「サティ」と言うそうだ。
    それは、「教え」でもあり、仏陀の「経」でもある。
    そんな「サティ」を家族から教わっている。

    本日も晴天の下寝坊した長男に、
    「早起きは三文の得。Nはどんだけ損をしていることか」
    「せめて朝は早く起きて、朝ご飯を食べて出かけよう」
    と、彼に話しかけていたら、
    「父さんは、俺が何のために徹夜しているか分かんないだろう」と怒られた。

    ここで以前ならば、「この野郎」とやり返した私であるが、
    最近の私は違うのである。
    「確かにそうだなぁ」と、妙に素直に納得してしまうのだった。
    これも一つの「サティ」のおかげであった。

    「己自身を知れ」
    このデルフォイの神託から、ソクラテスは対話を通して、
    人間の無知であることにサティさせた。
    愚かで、駄目な父親である私に対するサティは、
    ある面では、家庭平和に寄与している。

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