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親父たちよ

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  • from: クマさんさん

    2009年09月16日 05時51分56秒

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    どこにでもある我が家


    どう力を抜いて生きるか。
    貪欲に邁進するのは、40代で十分だ。
    この50代では、それをやっていては続かない。
    自分なりのスタイルで、自分なりに仕事をこなす。
    しかし、自分のことを優先にするのではなく、
    相手の心の声に合わせ、
    それに従いつつ、ゆっくりとやる。

    受身の姿勢とでも言うのだろうか。
    強引にこちらから投げを打つのではなく、
    相手に任せつつ、チャンスを狙って攻撃をしかける。
    決して無理はしない。
    しかし、「やる時は、やる」の姿勢は忘れない。

    そんな緩急を付けられる生き方がしたいものだと、
    今は思っている。

    こういう具合に最も些細なことに無知であり、
    明敏な眼をもたないこと。
    これがこの地上をじつに多くの人たちにとって
    「禍の野」たらしめるゆえんなのである。
    ソクラテスは言った。
    「良いことにせよ、悪いことにせよ、
    自分の家の中で起こったこと」
    これこそが、これだけが大切なのだ。   by ニーチェ

    中島義道さんの本を読んでいたら、この文章と出会った。
    これは、私が「親父たちよ」を書き続けている目的でもあった。
    「自分の生活」
    それは、父であり母であり、妻であり子供であった。
    それは、親父としての生き方であり、死に方でもある。
    それは、仕事であり、夢であり、挫折であり、病であり、再生でもある。
    全てのことは、我が家で起きているのである。
    その個別で独自な生活の中に実存を発見する。

    そのために、二つの生き方が人には必要だとも書かれてあった。
    「繊細な精神」と「自己批判力」である。
    つまり、繊細にあるがままを見つめ、感じ取る。
    そして、自分の弱さと愚かさを知りつつ、人を見つめる。

    それは、ある意味受身の姿勢だが、最も攻撃的な姿勢でもあるのだった。
    真・善・美とは、クサンチッペとの生活の中に実存するのだ。
    久しぶりにソクラテスの言葉を聴いた思いがした。

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