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  • from: クマさんさん

    2010年03月28日 21時14分28秒

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    ワイルド・バンチ


    人生もう一度「ワイルド・バンチ」だ。
    ウイリアム・ホールディン
    アーネスト・ボーグナィン
    ベン・ジョンスン
    ウォーレン・ウォーク
    ああっ、そして彼の名は・・・。
    本当に名前を思い出せなくなってしまった。
    これが老いるということなのでろうか。

    サム・ペキンパーは、70年代のバイオレンスを代表する監督なのだ。
    「わらの犬」に度肝を抜かれたのは、
    スカラ座の中学2年生だったろうか。
    ダステイー・ホフマンのシッョトガンがすごかった。
    しかし、ペキンパーの映画には、
    必ず哀愁と、男の生き様と、執念があるのだ。

    50歳に近いガンマンたちの最後の仕事は見事に失敗だった。
    昔の仲間が率いる賞金稼ぎたちの罠にはまってしまった。
    「これが俺の最後の仕事だったのに・・・」
    銀のワッシャーをつかまされ、みんな大笑いだった。
    しかし、最後の一花はどこかで見事に咲かせねばならない。
    ホールデンの馬に乗った後姿の悲哀が、
    分かる年となってしまった。

    70年代、私が中学生のころから、徹底的に映画を観て来た。
    とにかく夢中で映画の世界を追っかけた。
    その頃の映画を語れば、本当に切りがないのだ。
    フェリーニがいた。
    ビスコンテがイタリアだった。
    トリフォーには夢中だった。
    ルルーシュは、映像の神様だった。
    ヌーベルバーグがあり、フイルムノアールがあり、
    ライフでとことん名画ばかりを追っかけていた。

    東宝東和が素晴らしい配給会社で「バウシリーズ」をどんどん出した。
    「ブリキの太鼓」「木靴の歌」「旅芸人の記録」
    ポーランド映画は、早津さんが自主上映をしてくれた。
    ワイダと出会えたのは、そのおかげさんだ。
    ポランスキー・ベンダース・フリードキン。
    いたいた。本当にあの時代は映画監督で映画を決めていたのだ。

    ルイ・マル、ジョゼ・ジョバンニ、
    そして我が永遠の青春映画、
    アラン・ドロン、リノ・バンチュラ、ジョアンナ・シムカス、
    その題名を聴くだけで泣けてくる「冒険者たち」

    10時からの映画会。
    本日、ホールデンに生き方を学んだ。
    かっては、中学生だった私には、「ワイルド・バンチ」のどれだけが分かったことだろう。
    しかし、今は52歳となり、「最後の仕事にしたい」という台詞が身にしみるのだ。

    たった今思い出した。ロバート・ライアンだった。
    彼が城壁の門で笑っていたなぁ。
    本も映画も、その年になってもう一度出会うといいなぁとつくづく思った。

    ペキンパー、万歳。
    ベン・ジョンスン、大好きです。

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