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親父たちよ

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  • from: クマさんさん

    2010/06/14 06:17:04

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    次の山は・・・


    昨日は、体力の消耗と筋肉痛の朝だった。
    さんざん山でやっつけられたが、それでも山には行きたいものだ。
    もう一度トレーニングを積み重ねて、
    7月には「月山」に登るつもりだ。
    ちょっと先の目標があることで、私は生きる元気と張り合いをもらう。
    それも気心知れた山仲間と会えるのだから、
    心の元気もいつももらうことができる。

    さて、昨日は暑くならないうちにと、庭の掃除に取り掛かった。
    荒れていた庭は、父にとってのストレスだった。
    いつもいつも雑草一本・ごみ一つ落とさない庭を維持してきた父。
    「ちっとは虫たちの棲みかを作ってやったら」と、私は笑った。
    しかし、全く動かなくなってしまった今、
    その掃き清められていた庭が荒れていた。
    それは、まさに父の生きる気力のバロメーターである。

    歩きながら文句を言っている。
    よたよたとトイレや洗面に歩くだけだ。
    後は炬燵に足を入れて横になっている。
    父にとっての喜びや、楽しみとは何だろう。
    「生きようとする意欲」とでもいうのだろうか、
    それすら老いると衰えて行くもののようである。
    言葉をかけるが、ただ黙って俯き、首を縦か横に振るだけだった。

    確かに父は、大きな山を登り終え、無事にここまで下山して来た。
    里はすぐそこで、登山口の沢の音が聴こえている。
    「ああっ長かった山行も、やっとここで終えることができる」
    そんな安堵感と充実感と疲労感とを味わう段階かもしれない。
    それにしては、何だか父を見ていると寂しいのだ。
    それは、自分は家族のために何にも役に立っていないと父が思っているせいかもしれないからだ。

    父の庭を掃除しながら、本当によく働いた父だと改めて感じた。
    孫たちのために鯉のぼりを15年間上げ続け、
    朝顔の棚づくりは20年以上続けた。
    子どもたちの子守に努め、次男の幼稚園バスの送り迎えはいつも父だった。
    競馬には自転車で豊栄まで往復した。
    母の買い物を手伝い、
    本町へは鮭のカマをわざわざ自転車で買いに行ってくれた。
    そういえば、普段は無口な父が、晩酌すると笑顔になり、
    孫たちを可愛くて仕方ない様子で見守ってくれた。

    今でもそうだが、親父とは居てくれるだけでそれでよい存在なのだ。
    今日も居てくれた。それだけで家族は安心するものだ。
    だから、これでよかったのだと、父には想って欲しい。
    そして、家族の父への感謝の気持ちも分かって欲しい。

    私のような人が、ここまで生きて来れたのは、父のおかげさまなのだ。
    私自身、下山の道も中盤に差し掛かっている。
    庭の掃除をしながら、父のことを想っていた。
    52歳。やっと父の気持ちが少し分かる年になったようだ。
    下山する人の気持ち。
    この人生の下山には、次の山は存在しないのである。

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