新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

親父たちよ

親父たちよ>掲示板

公開 メンバー数:62人

チャットに入る

サークルに参加する

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: クマさんさん

    2010年12月21日 06時08分15秒

    icon

    物語は、どこにでも存在するものだ

    日曜日、久しぶりの快晴だった。
    やっぱりこんな朝は走りに出かけた。
    土曜日の10キロで少し疲れが残っている体だったが、
    ゆっくりゆっくり走っている内に、体も心も温まり、
    フレッシュ本町を通り、いつもの日和山に登る頃には、
    絶好調となっていた。

    走りながら、考えていることは、劇のラストだった。
    お秀と荘太のラブソングのメロディーを想像し、
    ラストの百人の群衆が集う舞台を創造した。
    最後に全員が力強く歌う歌は、ゴスペルがいいなぁ。
    「人は、生きているそのことが尊いのだ。」
    「弱き者たちこそ、強き者たちなのだ。」
    劇のテーマソングをいろいろと歌いながら走っていたら、
    自分で感動して、涙が出そうになった。

    いつの間にか水族館を過ぎ、あっという間に、護国神社の境内だった。
    私は、ここに来ると必ず寄る場所がある。
    戊辰戦争で、官軍と東軍との切り合いが、関屋辺りで行われた。
    信濃川を沼垂側から渡った官軍が、一気に東軍を攻め、追い打ちをかけた。
    その時、この地で倒れた武士たちの墓が、ここで合祀されている。
    十津川藩・芸州藩・新発田藩・高知藩・山口藩等、
    官軍と東軍とが、敵同士でありながら、肩を並べて墓石が建っている。

    故郷を遠く離れて、この地で戦死した若き兵士たち。
    その望郷と無念の想いとに感じ、哀悼の意を尽くし、こうして合祀した新潟人。
    確かにこの森閑とした墓地に来る度に、
    私は戦争の虚しさと、人の命の儚さとを想う。
    一人一人の名前を読みながら歩く。
    90以上の小さな墓である。
    御親兵とか、北辰隊士等の文字が見える。

    ところが驚いたことに、
    8つぐらいだったか、上が屋根の形をした特別に創られたであろう墓の、
    表面の墓標が全て削り取られているのであった。
    何だこれはと、驚いてよく見ると、
    確かにノミのようなもので手荒く削られているのである。
    越前藩と読める墓がある。
    手掛かりはそれだけだった。
    一体誰が、何の目的でこの墓を削ったのであろうか。

    この削られた墓と合祀された敵味方の墓と、関屋での戊辰戦争の歴史とは、
    これだけで興味深い演劇ができそうではないか。
    私は、それからドッペり坂を下り、
    古町の真っただ中を突っ走りながら、
    そんな歴史を舞台にした兵士たちの青春物語に想像を馳せていた。

    あれっ、「王瀬の長者」のラストシーンが・・・・。
    まぁいいかと、気持ち良い朝日を真っ向から浴びて、
    私は柳都大橋を渡った。
    この日は、15キロの走りだった。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

コメント: 全0件