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  • from: クマさんさん

    2011年01月13日 06時11分18秒

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    人生は一回だけ

    年をとると言うことは、だんだん自分が壊れて行くと言うことのようだ。
    父のことを見ていると、それを感ずる。
    去年よりも確かに、何かが弱って来ている。
    それは、こちらが気にしないと日々の変化は分からないが、
    長いスパンで考えると、やはり大きな変化をしているのだった。

    何か聞いても、なかなか返事が返って来ない。
    炬燵に入って、横になって寝ている時間が長くなった。
    食欲が減り、食事の量も減っている。
    体を動かすことが面倒で、動く時はトイレに立つ時ぐらいになった。
    立つ時には難儀そうで、時間がかかる。
    左手がだんだん思うように動かなくなってきるのか、使うことが少なくなった。
    何かをしようという意欲が無くなり、動きたいと言う気力もなくなる。

    ある時を境にして、人はがくんと坂を下るように衰えて行く。
    人は、生きているのだから、それはそれで仕方ないこと。
    そんな現実をしっかりと受け止めて、諦めることも老人の覚悟なのだろうか。
    そうした父と母の衰えて行く様子を見ていると、
    それは、いつしか自分自身のことのように思われて来る。

    私は、53歳になった。
    若い頃から考えたら、信じられないほどの叔父さんである。
    二十代でこの年の先輩を見た時は、
    本当にお年寄りに近い叔父さんと感じたものだった。
    いかに私の頭の中の構造と、やることなすことが馬鹿者らしくとも、
    私を知らない人は、きっと私の白髪を見て、
    それ相応の年齢だと思うのだと思う。

    大人になったかと聞かれると、「はーっ」と曖昧にしか答えられない。
    若い頃にこの年代の人たちに感じた落ち着きと達観とは、
    私には程遠いような気がする。
    あの頃の自分とは変わっていないかもしれない。
    それは、私が日々変化し、落ち着くことなく、日々違っているからだ。
    しかし、体力と肉体の変化は、非情にも私自身の中で刻々と起こっている。
    もう既に、無理のきかない体となっている。

    いずれ行く道だと、父を見る。
    父は、母のいない生活の中できっといろいろなことを考えていると思う。
    私たちは、たった一回の人生しか生きられない。
    その一回をどうやって生きて来たか。
    それを仏様はちゃんと見ていて下さる。
    これは、今回の「王瀬の長者」の劇中の台詞である。

    戻ることのできない、たった一回の人生について、
    父と母を見ていると改めて考えさせられる。
    「生老病死」やはりここに、現世に生きる人の四苦はあるなぁと、
    こんな寒い寒い雪の朝に考えているクマであった。

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    秋桜

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