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  • from: クマさんさん

    2011年01月29日 08時09分08秒

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    ここにある

    孔子にとって、「仁」が教えの根本だった。
    人には、「仁」がある。
    その仁を他の言葉で表現すれば、優しさであり、想いやりだ。
    そして、人が生きる上で最も大切にすべきは、
    この仁の道の生き方なのだ。

    仁という字を分解すると、「二人」と読める。
    本当に漢字とはよくできたもので、
    物事の本質を単純な文字で表現している。
    「人が幸せに生きるためには、どのようにして生きたらよいですか。」
    そんな問いに対して、孔子はこう応えているような気がする。
    「二人で生きなさい。」と。

    それは、反対に読めば、人は一人では生きられないということなのだ。
    とてもとても単純で、当たり前で、分かりやすいことなのに、
    これがとても難しい。
    それでは、二人が「和」をもって生きるためには、何が必要なのか。
    そのことを学ぶことが、
    この険しい旅路でもある人生を生きる一人一人の修行の目的でもある。

    「王瀬の長者」の脚本を書きながら、
    どうしたら個と個とが心からつながれるのかを考えた。
    私たちは、孤独な存在としてこの世に生きている。
    それは確かな事実なのだが、実はここから始まる事実でもあるのだ。
    つまり、だからこそ「人とつながるための努力」が必要なのだということだ。

    我儘な人と出会うと、寂しい気持ちになってしまう。
    自分が一番偉くて、周りの人を馬鹿にして見下している人もいた。
    人の意見何ぞ全く聴く耳をもたず、自分勝手な行動で迷惑を撒き散らしていたりする。
    相手の痛みや、辛さを理解できず、弱さを愚かさと勘違いしている人もいる。
    言葉の暴力や、実際の暴力で、力にものを言わせて威張り散らしている人もいる。
    困っている人を見ても何とも感ぜず、自分だけよければいいという人もいる。

    さて、こうした人たちと私はいろいろな人生の場面で出会ったが、
    二度とかかわりたくない人たちばかりだ。
    逆説的にここに書いたが、
    そうした人の生き方と、「和」とは正反対な存在なのだ。
    そうした生き方をして来た人には、きっと家族も離れ、友もいなくなるだろう。
    「二人」になるどころか、どんどん孤独地獄に堕ちて行くのだ。

    「我執」と言う言葉がある。
    その執着と欲望を持つことで、めらめらと自分自身を欲望の炎で燃やす。
    その結果、金と権力とは手に入れたとしても、
    その孤独地獄はいっそう深まり、絶望に至る道だけが残されるのだ。
    今回の王瀬の長者の独白に、その孤独と絶望とを込めたつもりだ。

    ただし、彼は再生をする。
    それは、息倒れになっていた親子との出会いによって。
    そんな自分のことを心から愛してくれた女性によって。
    「心の熱さ」
    「涙の温かさ」
    その人と人とをつなげる「仁」によって、
    彼は、回心し、自分の人生を生き直す。

    人は、二人にならねばならない。
    そのためには、「仁」なる生き方を選択すべきなのだ。
    そして、この「仁」とは、ごくごく当たり前に、みんなが知って、感じているものなのだ。
    まさに道元が言った「眼横鼻直」のように。

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