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  • from: クマさんさん

    2011年02月18日 06時12分28秒

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    しみじみと感じる

    昨日、親戚の叔母たちが集まり、母の退院祝いをしてくれた。
    実家に集まり、みんなで料理を持ち寄り、
    和気あいあいの会だったらしい。
    父も久しぶりに表に出て、この会に参加した。
    こうして近くに姉妹が健在なことが母にとっては何よりのことだった。

    最高齢の叔母は、88歳である。
    それでも小新からバスに乗って山の下に来てくれる。
    次は、私の母の85歳である。
    あれだけ若いなぁと思っていた叔母が、80歳になっていた。
    父と叔父を含めて、平均80歳としたら、総勢7名で560歳である。
    しかし、この年になってもこうして集まれる姉妹がいることは幸せなことだと思う。
    実は、このように仲が良いのは、
    実家が実に子だくさんで、貧しかったからだと私は思っている。

    貧しさの中では、お互いの助け合いが当たり前だった。
    年上の母は、下の妹たちをよく面倒を見て来た。
    就職に際しても、母がいろいろと働きかけて、勤めに出ることができた。
    母たちは、戦争中は、一番上のたった一人の兄をを戦病死で亡くした。
    そして、戦後すぐに父を病気で亡くした。
    残されたのは、女9名の大家族であった。
    その家族を守るために、祖母の獅子奮迅の働きがあった。

    物には恵まれず、私が幼かった頃も、その貧しさは変わらなかったが、
    何だか今の時代よりも、温かく、のんびりして、豊かだった気がする。
    物がないので、知恵が生まれる。
    金が無いので、助け合いが生まれる。
    生きて行かねばならないので、互いにしっかりと結びあって生きてきた。

    基本的には、みんな貧乏な生活だった。
    我が家は間借り暮らしだったし、
    みんなそうだったから、他の家を羨ましくも思わなかった。
    何もないから、よかったのかもしれない。
    今はその反対で、持ちすぎるから飢えているのだ。

    この叔母たちの集まりを見ると、
    もうそろそろなんだなぁと思ってしまい、寂しくもなる。
    お互いの別れの時は、お互いがひしひしと感じているはずである。
    あれだけ可愛がってもらった叔母たちである。
    できれば、もう10年は時間を差し上げたいと思っている。
    しかし、それは出来ぬ相談なのだ。

    小学生だった私が、53歳になっている。
    あの頃、若くて賑やかだった叔母たちが、80歳になっている。
    時代は移り、世の中もまったく変わってしまった。
    母から昨日の会の話を聴きながら、
    その当たり前の自然の流れに、
    人間的な悲しみをしみじみと感じてしまった。

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