サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。
-
from: クマさんさん
2011/04/12 05:47:56
icon
やっぱり原発が心配だ
さてさて、昨日の夕方の余震には驚いた。
横揺れがしばらく続き、何だか目眩のような症状になった。
「原発は大丈夫だろうか」
自身に続いて、放射能のことを心配する国になってしまった。
避難区域がなし崩しに拡大し、
いつの間にかマイクロシーベルトが、ミリシーベルトにすり替わっていた。
健康の被害はないが、当面の健康の被害はないと変わり、
いずれは屋内退避していた人たちが知らず知らずに被曝した後で、
強制的に退去させられる。
降り積もった放射能は土壌に蓄積され、半減期は30年だと言う。
半減しても、半分の効力は残り、汚染は変わらない。
廃炉には国家的な予算が必要で、
今後何十年かかるか予想もつかない。
事故になった時、既にこの最悪の危機を想定しなければならなかったのに。
地域住民の人命を第一に考えねばならなかったのに。
営利目的の一企業の判断と情報だけを頼りに、
後手後手に回った今回の対策は、情けない。
場当たり的な解決を続けるだけで、
どうしたら全面的な解決となるのか、誰も分からない状況なのだ。
もはや、「想定」ではない。
それは、「リアル」な現実だ。
津波は、15mに達するのであり、マグニチュードは8.8を超えるのだ。
電源車や消防車も流されてしまう。
その想定に耐えられない原発は、即時停止すべきだろう。
また、このリアルな現実に対して、
そり原発の稼働を許可し、許容している責任者は誰か、
それをはっきりと明確にすべきだ。
企業城下町でつながっている人たちには、
その声を挙げることはできないが、
そのリーダーは、国民の生命と生活と財産を守る義務と責任があるのではないだろうか。
半径30キロ圏内には、上越市・小千谷市・長岡市・出雲崎町が入っている。
リアルな現実で言えば、日本一の原発が爆発し、放射能汚染を始めたら、
既にこの地域の人たちは、故郷を捨て、仕事を捨て、生活と思い出とを捨て、
他県に避難しなければならないのだ。
「絶対安全」は、もはや存在しなくなった今日、
何故、原発と関係ない人たちが原発事故を怯えて生きなければならないのだろうか。
当然、この範囲に生活する全ての住民の人権がかかっているのだから、
原発の稼働については、住民投票で問うことが、日本国憲法に則った判断だと私は思う。
民主主義の世の中なのだ。
在る意味原発と言う巨大な権力に対して、
「誰もがみんな幸せに生きる」権利を守るために、
「弱さの絆を信じて」「みんなの力を合わせる」時が来たのではないだろうか。
本当の知恵とは、「できる」けれど、「やらない」ことだ。
日報の窓欄の記事に「パンドラの箱を人類は開けてしまった」と書いた人がいた。
その開いた蓋は、二度と戻らないのだ。
そして、そこから飛び散っている放射能は今も人々や田畑や森や海に降り積もっている。
だから、言いたい。
二つ目のパンドラの箱はいらないのだと。
ある意味、これは人権と自然を守る戦いなのだ。
そして、本当に人間が守るべきはこの二つだったのではないだろうか。
まやかしで目が眩み、本当のことを忘れてしまっていたのは、私たちだったようだ。
コメント: 全0件