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from: クマさんさん
2011/07/12 05:11:58
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見て見ぬふりをしない
昨日の続き。
「見て見ぬふりをしない」
こちらの方が、私の気持ちにぴったり合う言葉のような気がする。
今の人たちは、実はこの「見て見ぬふり」が多いのではないだろうか。
ある夜、新潟駅前に酔っ払いが倒れていた。
みんなその横を素通りするし、何事もないようにすぐその横にタクシーが止まっていた。
私はすぐにその男の人に声をかけたが、反応はなかった。
酩酊・昏睡状態だった。
119番をして、110番で警察に連絡をした。
しかし、その横にしゃがんで待っている間に腹が立って来た。
みんな余計なことにはかかわりを持ちたくないのだ。
警察が来たら、今度は第一発見者として事情聴取を受けた。
私は、第一発見者は「そのタクシーの運転手だ」と、
「お前は、人が倒れていてもよく知らんぷりしていたな」と、
怒鳴って警察に止められたりした。
この前はこんなことがあった。
岡田内科の交差点で、60代半ばの男性が頭に包帯を巻いてうずくまっていた。
やっぱり誰も酔っているのだと声をかけない。
私は自転車から声をかけた。
「どうしましたか。大丈夫ですか。」
明らかにそのお年寄りは酔っ払っていた。
包帯もまだ真新しかった。
「大丈夫。これから中山まで歩いて行くんろも、道教えてくんねかね。」
ここから3キロ以上はある道程だった。
「おじさん、タクシー乗っていったら。」と言うと、
「金がねえがね。」と言う。
私はそこで別れたが、千円でもやればよかったと今でも悔やまれる。
今、地域社会では、「声をかけてもらいたい人」や「優しくかかわってもらいたい人」はたくさんいるのではないだろうか。
独り暮らしの老人や、病気で寝たきりで買い物にも行けないお年寄り、
障がいがあるために不自由な暮らしをしている人や、
引きこもりやニートで自宅にこもっている若者等。
そうした人たちは、どこの地域コミュニティーにも居るはずである。
ただ、誰もその人の存在を知らなかったりするのである。
もう一つは、この年代の人たちの気持ちに「人には迷惑をかけられない」とか、
「人の助けにはならない」とかいう頑固な生き方が根強く残っている。
だから、「手を貸してください」「助けてください」という言葉を、
相手の迷惑だと考えて言えなくなってしまっているのだった。
「みっともない」それは日本人の羞恥心なのだと思う。
それから、最近気付いたことなのだが、
この年代の人たちは、人とかかわり、会話するも
コミュニケーション力が育たずに大人になっている人が多いということだ。
特に私を含めて男性がそうではないだろうか。
ご近所の人とは挨拶はするが、何を話してよいのか分からない。
ゴミ捨てではよく顔を合わせるが、
一度も話したことがない人が多くいる。
若い頃はそれでもよかったのだ。
自治会の人とのかかわりは無くても何も困らず、生きて行けた。
しかし、老人となり、何かと人の助けを受けて生きねばならない状況に立つと、
何よりもの心強さは、ご近所の人の親切なのではないだろうか。
つまり、
○ 地域コミュニティーにおいて困っている人や助けを必要とする人の情報を集めること。
○ 誰もが気軽に声を出し、助けを求めることを当たり前とするシステムを作ること。
○ 何気ない日常でご近所の人たちが集まり、会話を出来る場所を地域コミュニティーが持つこと。
そんな働きかけを地域で行うことで、
少しは「見て見ぬふりをしない地域社会」が生まれるのではないだろうか。
そんな「おせっかい」を焼く人こそ、福祉の人たちなのだと私は想っている。
「見て見ぬふりをしない」これも福祉の原点だと私は想う。
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