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  • from: クマさんさん

    2011年09月17日 06時57分44秒

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    山賊会のこと

    20前荒川町で勤めていたことがある。
    その時、同じ職場の上司が山登りの好きな人だった。
    私はその頃、村上市の山居町に新婚ほやほやの妻と暮らしていた。
    私は、突然何を思ったか、「山のクラブを作る」ことを思い立った。
    そのことを飲み会の席で上司に話したら、上機嫌でバックアップを約束してくれた。

    ある日、職場の掲示板に自作の「山賊会」のポスターを貼った。
    土曜日の午後に近郊の低山に誘うためのポスターだった。
    当時、職場には実に個性的なメンバーが揃っていた。
    私は、何人来てくれるか楽しみに待っていた。
    一番最初の登山は、要害山だったと思う。
    それでも4〜5名の参加者があった記憶がある。
    昔の城跡には、小さなプレハブの小屋もあった。
    そこでお湯をコンロで沸かし、コーヒーを淹れて味わってもらった。
    次は、関川村のほう坂山だったかな。
    とにかく暑い日だったが、やっぱり山頂でコーヒーを淹れた。
    眼下に女川の部落が広がり、目の前をどかんと光兎山がそびえ立っていた。

    一つの山を登ると、次の山が見える。
    特に関川村の山を登ると、飯豊連峰がでんとかまえて、美しい。
    いつもいつも飯豊への憧れに、心が浮き立ったものだった。
    6月だったかな。
    そんな低山を幾つか徘徊してから、いよいよ本格的な登山のトレーニングのために、
    月山登山を計画した。
    すると、何と十数名の職場の仲間が参加してくれたのだ。
    しめしめ登山への種まきの第一段階は成功したようである。
    私は、後に大親友となるOさんとこの登山で初めて会って、サポートをしてもらった。
    実はこの時、巨大な低気圧が接近していることを私たちは甘く見ていたのだった。

    仲間たちは、雪渓を渡り、ガスに捲かれながらも、
    これが登山なのかと何かを悟りながら黙々と登った。
    私と山を知るOさんと、今は私の義理の弟のSとだけは内心「やべっ」と思っていた。
    案の定、山頂小屋に雨風に吹かれて飛び込んだ時、
    巨大な低気圧の真っただ中にはまり、
    耳をつんざくような音で雷が鳴り、
    真っ暗な小屋が雷の明かりで、不気味に光ったものだった。
    そこには全身ずぶぬれで、寒さに震え、遭難寸前の仲間たちがいた。
    「やべっ」とばかりに、Sと私はその風雨の中に出て、コンロでお湯を沸かした。

    雨は横面から容赦なく叩きつけて来る。
    体でコッヘルを覆い、強烈な風を防いだ。
    6月だというのに手がかじかみ、体が寒さでガタガタ震えた。
    その時、私たちのすぐ間横で雷が光り、ガガーーンという轟と共に、体が揺れた。
    「やべっ」
    私たちは、いつの間にか雷雲の中に居た。
    1600mの雷の恐怖は、出会った者にしか分からない。

    しかし、ここに止まるわけはいかなかった。
    昼食を食べながらお互いの体から湯気が出ていたり、
    ずぶぬれのぬれ鼠であったりする姿に、笑ったものだった。
    風の息を探り、雷が遠ざかり、その音を消し、静かになった頃、
    私たちは緊張しながら外に出た。
    チングルマやイワカガミが雨に濡れながらもじっと岩間に耐えていた。
    登る時は何のことか分からなかったが、「最大の難所」と書いた杭のたってい場所に来た。
    そして、その意味がやっと分かった。
    そこは何もさえぎるものが無く、日本海から拭き付ける風がもろに体に当たる場所だった。
    飛ばされる恐怖。山で味わったことのある人には分かるはずだ。
    「やべっ」
    全員初心者の登山隊。私たち三人は前後に仲間を挟み、大声で声をかけ合って下山した。

    初心者に高山植物の美しさと、登山の楽しみを知ってもらおうと企画した月山登山だった。
    その登山が、大量の山の遭難者を出す登山になったかもしれないと思うと、
    今でも「やっべかったなぁ」とは思う。
    八合目の小屋に降りた時、既に私たちは雲から下り、
    薄日すらさしていたのだった。
    「生還したなぁ」と三人で顔を見合わせ安堵した。
    他のメンバーは、何も分からないから、今まで自分たちが置かれていた状況がいかに危機的であり、
    絶体絶命であったかは知る由もなかった。

    下山の車でもっともっと恐ろしいことが起こったのだが、ある人の名誉のためにそれは書かない。
    そこからが、山賊たちの21年間に渡る登山の始まりだった気がする。
    そして、こんな苛酷な洗礼を受けながらも、
    山賊会に所属することを選び、登山を人生の目標であり喜びとした人たちが何人か現われた。
    月山は、その人たちの人生を変え、新たな生き方への方向付けをしてくれたようだった。

    絶対に山に登る人ではなく、山に登る人になるとは予想できなかっただろうIさんもその一人だった。
    50代前半、文学をこよなく愛する清楚な女性だった。
    私は、Iさんに山を伝えられて良かったと、今ではこころからそう感じている。
    この後、私が計画した山賊会の登山には、皆勤賞のIさんだった。
    いつもいつも自分なりの目的を持ち、登るたびに進化する人だった。
    私は、Iさんのその登山道を黙々と登る姿に、逆に励まされて登った。
    また、Iさんに喜んでもらいたくて、山を選んだ。
    山賊の初期の5年間は私が一人で計画を立てて、山に登った。
    それは、みんなをあの憧れの飯豊連峰に連れて行きたかったからである。
    Iさんの心の目標も、飯豊の稜線だった。

    長くなってしまった。
    今は、そのIさんはこの世にはいない。
    私と一番多く山に登った人だった。
    でも、私はここに生きているIさんを信じている。
    居る。確かに居る。
    あの山、この山と、私はこれからも山に登る。
    その時、私の後ろをゆっくりとした足取りでIさんも登ってくれるはずだ。
    私は、Iさんとお別れをした気がしない。

    私は、Iさんに励まされて山に登っていんだなぁと今は思う。
    山賊会の仲間がいたから、ここまでこれたのだと今も思う。
    だから、心から山と仲間とには感謝したい。
    その出会いの始まりが、あの遭難寸前の月山だった。

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