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  • from: クマさんさん

    2011年10月10日 06時47分43秒

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    物語とは

    昨日、初日が終わった。
    私は、朝から不思議なくらい緊張し、胸がどきどきとしていた。
    出演する訳ではないが、ある意味それ以上の想いがこの劇にあったようだ。
    「上手くいくだろうか。」「あの場面はどうだろう。」「最終的な完成度は・・・。」
    しかし、そんな心配は、杞憂であった。
    場当たりを行い、午後2時半からのリハーサルを観たら、
    ただただ私は、感動して泣くばかりだったからだ。

    人とは、本当にすごいものだと感じた。
    今目の前の舞台で創造されていることは、一人一人の役者さんたちが創りだしている世界なのだ。
    明かりと音楽と効果とが入り、大道具・小道具が配され、
    その異空間の中で役者さんが心を露わにすることで、
    観る人は、その世界に吸い込まれ、一体となり、感ずるものなのだ。

    本番の幕が上がるまでは、私は区長さんの隣りで客席に座っていた。
    しかし、前奏が流れ、幕が上がり、子どもたちのカゴメカゴメの歌声が聞こえた途端、
    私は、江戸時代の王瀬町に居た。
    舞台と客席との境目のない世界。
    後は、役者さんたちの演技に委ね、その台詞に感じ、その怒りや悲しみに共感していけばよいのであった。

    お客を引き込む懸命な演技があった。
    いや、演技ではなく、その人がそこに存在していたのだ。
    私たちが観ているものは、ある運命に翻弄され悲劇に巻き込まれる市井の人々である。
    津波で大切な家族を失い、新潟に避難して来た津軽の女たち。
    町の人々に慕われ、信頼されている酒蔵の主人。
    辛いこともありながら、貧しさの中でも日々の生活のために働く漁師たち。
    己の権勢を良いことに、欲望のために町の人たちを苦しめる長者とその仲間たち。
    そうした、人間らしく、人間臭い葛藤を、俯瞰し、慈愛の眼差しで見つめている仏の眼差し。

    実は、この物語。悲惨な悲劇で終わる物語なのだ。
    私にとっては、3.11の大震災で亡くなった多くの魂に対するアンサーだった。
    やむにやまれず、とにかく構想を立てて、一気に書いた物語だ。
    しかし、暗い。そこに希望は見出せるのか。
    私は、ヘブンズ・ストーリーという映画に衝撃を受け、
    この結末に決めた。
    死者は、平安な眼差しで、私たちを見つめ、温かな手で、私たちを支え、
    そして、いつもいつも私たちの心の奥底にいて、慈しみと励ましの言葉を伝えてくれている。
    そんな確信を得たからだった。

    私は、生きている私たちが、その言葉に気づき、その言葉に感謝することこそ、
    本当に意味での鎮魂であると想い至った。
    実は、この劇に対しては、役者さんたちからもいろいろな意見があった。
    その役に乗りきれない自分をもっている人もいた。
    迷いをもって役作りに苦しんでいる人もいた。
    でも、やり切ってもらった。それは、願いでもあった。
    その役のために、自分何か捨てて欲しかった。

    実は、この悲劇は、避けられたのである。
    この劇を振り返ってみると、その悲劇を再び迎えることを回避する場面は幾度とあったはずなのだ。
    なのに人とは哀れなもので、死者からの教訓を学ばず、同じ悲劇を繰り返してしまうのである。

    それでは、仏様はそんな愚かな人たちを見捨てたであろうか。
    そうではないのだ。
    仏や神の化身を通して、その悲劇を回避できるようにお願いさせているのであった。
    つまり、強欲な自我に対してさえ、頭を下げることができるのが「デクノボウ」と呼ばれる仏様なのである。
    しかし、人は、聞く耳を持たないのだ。

    物語は、死者からの教訓に満ちている。
    人が死ぬと、生きている人たちは死んだ人が言い残した言葉を思い出す。
    「そう言えばあの時、父ちゃんが言っていたことはこのことらったんだなぁ。」と。
    ある神主さんから聞いた話だが、
    神代の時代、物語りとは、忌み語り、つまりあの世からの死者の語りだったと教えてもらった。
    私は、その話しを聴いて、がてんがいって、この悲劇で行くことに心に決めたのである。

    舞台には、亡くなった人たちの魂がいてくださる。
    その人たちが、語りたかった言葉を、伝えたかった想いや願いを、
    役者さんたちは、ある意味巫女となって、祈りをもって伝えればいいのだ。

    この劇の一つ一つの台詞には、亡くなった人たちの想いが託されている。
    それを信じて演じて欲しい。
    それが私たちの劇団がここで演ずる意味なのだ。
    ぜひ、そのことを一人一人の役者さんに分かってもらいたい。

    本日2回の公演で、その無数の魂とお別れである。
    物語との「惜別」の寂しさを、今からクマは感じて、涙が出できた。

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