新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

親父たちよ

親父たちよ>掲示板

公開 メンバー数:62人

チャットに入る

サークルに参加する

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: クマさんさん

    2011年11月21日 06時42分45秒

    icon

    アンダーグラウンドへ

    万代市民会館で、東区市民劇団の子どもたちによる「ピーターパン」を観た。
    会場は体育館だった。
    そこには、幼い子を連れたお父さんやお母さん、
    おじいちゃんやおばあちゃんで、熱気むんむんの雰囲気だった。
    劇を待っている。みんな心から期待して待っていた。

    オープニングからミュージカルだった。
    劇団の子どもたちに素晴らしい演技に感動だった。
    彼女たちは「王瀬の長者」で舞台を何度か踏んでいる。
    また、パフォーマンススクールのステージで歌い、踊っている子どもたちだ。
    堂にいったとでも言うのだろうか、台詞も上手く、動きもしっかりと決まっていた。
    一生懸命にやり切っている姿に、やっぱり涙だった。

    劇的な体験をこうして身近な場所で無料で観られる。
    幼児たちには、心に残った観劇のはずである。
    身近な場所で演劇体験をできることこそ、
    市民劇団の市民劇団の使命なのだと、改めて思った。

    午後からは、偶然に引きこもりを経験した若者たちのトークショーがあることを知り、
    それを聴くことにした。
    「個性は、生きやすい。」この言葉に、気づきがあった。

    世の中に合わせて生きることばかり求められる。
    人と違うことは、良くないことだと教えられる。
    もっと頑張れと言われ、競争と評価の中で息が詰まる思いがする。
    やりたいことがあったが、それでは食ってはいけないと猛烈に反対される。
    みんなは友だちがいる。友だちがいない孤独は恥ずかしいことなのだろうか。
    明るく、楽しげに生きている友を、羨ましく、妬ましく、横眼で見ている。

    この世の中って、そんなに正しいのだろうか。
    大人たちの世界って、そんなにピュアな世界なのだろうか。
    そこには、いつも心の戦争があるのではないだろうか。
    戦死者は、毎年3万人を超えている。
    どうして、この世の中に合わせた生き方だけが、よしとされるのだろうか。

    人と違うこと。個性的であること。独自の存在であること。時には迷惑をかけること。
    そんな人たちが息詰まり、居場所を失い、彷徨ってしまう。
    その世界ではどうしても生きられないのだ。
    私は私で居たいのに、ここではそんなあなたは認められないと言われ、
    仲間から外される。
    そのうちに、人は自分らしく自分を表現することをやめ、飼いならされた人となる。

    大人になるとは、世の中に出るとは、何だか自分のことを廉価に売ってしまうことなのではないか。
    しかし、そんな考えを大人たちは、子供じみた考えだと言う。
    その格好は何だ。そんなことをして生きて行かれないぞ。
    ちゃんとした職につけ。世の中そんなに甘くはないぞ。
    しかし、世の中ってそんなに素敵な場所なのかな。
    大人たちは、日々の生活に追われつつも、悩み苦しんでいるのではないかな。

    「もっと自分のやりたいことをやっておけばよかった。」
    「あの時、親の言うことを聞いて、あの大学を選ばねばよかった。」
    「ああ、あの時家を出てまでも、自分の好きな道に進めばよかった。」
    そんな、苦い後悔を持ちつつも、日々の生活を支える給料と、老後の年金のために働いている。

    学校や親たちが教えているたった一本の道とは、
    当たり前のように大人たちが押しつけて来た道とは、
    本当に人を幸福にする道だったのだろうか。
    天の邪鬼で素直でない私は、いつも曲がりながら真っ直ぐに歩いて来た。
    今でも心の中では憤りと反発とを感じながら、鬱々としている。
    「そうじゃないのではないだろうか。」と思いながら、
    そうである場所に自分の居場所がなく、苦しんでいる。

    そうである人は、正しく、絶対で、そうでない人を批判する。
    時には、許しては置けない義憤にかられ、そうでない人を排斥することもある。
    これは、正義のように見せかけた「いじめ」である。
    私は、どうもいつも「そうでない人」であり続けた。
    だから、世の中とは上手く折り合いをつけて生きていけない。

    だから、私は引きこもり経験をもつ一人一人の若者の言葉が身に沁みた。
    そして、考えた。私たちが世の中に合わせることなのだろうか・・・。
    世の中とは、そんなに幸せに満ちた絶対の世界なのかと。

    心優しき隣人たちは、ドロップアウトすることで、人間としての何かに気づいた。
    みんないい顔をしているし、語る言葉がみんな自分の言葉として重みをもっていた。
    信頼できるのは、この人たちだ。
    ごくごくマイノリティーであるかも知れないが、
    何かのメッセージを世の中の人に伝えるために選ばれた人たちなのではないだろうか。

    私も引きこもりに似た経験をもっている。
    「引きこもりは、さなぎの時代なのではないかと思いました。」
    その後は、確かに人が変わる。
    私は、これが「アンダーグラウンド」のテーマだと悟った。
    アンダーグラウンドにこそ、人が人として生きられる場所が存在したのだ。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 3

    icon拍手者リスト

コメント: 全0件