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  • from: クマさんさん

    2011年12月11日 10時00分56秒

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    皆既月食

    昨夜は皆既月食だったそうだ。
    新潟の冬空が恨めしかった。
    次の月食は三年後だそうだ。
    私はいったいどうしているだろうか。
    家族一人一人の人生に幸あれと祈りたくなった。

    最近、夜寝る前に床の中で「親鸞」を読んでいる。
    文庫本の下巻を昨夜読み終わった。
    法然の専修念仏に対して、朝廷から迫害をされ、念仏禁止の命が下された。
    その時、善信は親鸞と名を改め、死罪をまぬがれ、越後への流罪と決まった。
    怒涛のような人生に翻弄されながらも、信念を貫き、念仏を守り通した親鸞だった。

    念仏のみと言うことは、他の教えや宗派を批判し、捨てることとなる。
    権力闘争に明け暮れ、朝廷ともつながる比叡山の僧たちにとっては、
    市井の貧しく辛い生活をする人々の魂を救わんとする念仏は、
    自分たちの既得権を奪う脅威と感じた。
    野にあって、罪を犯さなくては生きられれない人々の苦しみ。
    こんな罪を犯した自分たちでも、念仏を唱えれば浄土に行けるという教え。
    末法の世の中の一隅を照らす仏の光として、法然がいて、親鸞が生きた。

    「南無阿弥陀仏」
    そういう意味では、現代は仏の光である教えが隠され、
    人々には自分とは関係のない世界のものとなってしまったのではないだろうか。
    目に見えるものでは、人は救われないものだ。
    「人は、パンのみに生きるにあらず。」
    こうして、孤独な魂は、この世界には満ち満ちているのではないだろうか。
    「原罪」とも言われる。「罪深さ」とも言われる。
    その暗き闇に光を照らす月の光が、仏教の教えなのだと、私は想った。

    月の光は消えてはいない。
    月はそこに存在し続け、私たちを温かく見守っている。
    ただし、影に遮られて、私たちには見えなくなってしまっただけなのだ。
    皆既月食が、末法の時代だ。
    しかし、時が来れば、必ずその影は動き、月が姿を現すはずだ。
    しかし、そのためには、闇世でもその月の光の存在を信仰をもって語り続ける人が必要だ。
    月の存在を忘れてしまった人たちに、月の在りかを指し示し、
    信ずることを教える人が。

    それが、法然であり、親鸞だった。
    現代に生きる私たちも、心の闇を照らして溶かしてくれる月の光を求めている。
    本日で新潟日報に連載されていた「親鸞」が終了した。
    越後での親鸞の生き様を描いた「激動篇」である。

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    さけ 秋桜

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