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from: クマさんさん
2011/12/22 05:35:41
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生きていることだけで十分だ
今年もあとすこしで終わる。
山あり、谷ありの一年間だったが、
かろうじてここまでは生きて来られた気がする。
東日本大震災の年だった。
今でもあの津波に流された光景が忘れられない。
涙が止まらず、大自然に対して何もできない悲しさと無力さを感じた。
無常慟哭。
家族と故郷の大切さを学び、人と人との絆が再認識された。
人こそ確かに生きる力なのだ。
この震災の二日後にりゅうとの舞台に立ち、
私は良念という坊さんの役で、
町を洪水から救うために水門に飛び込んだ。
3月13日に私は舞台で2度死んだ。
4月、長男が大学に、次男が高校に進学した。
長男の大学合格の知らせを次男の卒業式の最中に携帯で受けた。
次男の合格発表の後、すぐに東日本大震災だった。
福島第一原発は廃炉までの収束の目途が立たず、
放射能と言う言葉が当たり前の日本となり、
避難区域に指定された人たちは、未だに故郷に帰れない状況だ。
それでも、人々の暮らしは日々営まれなければならないのだ。
日本にとっても大きな転換期だった。
我が家にとっても大きな転換期となった。
54歳。
さすがに日々の疲れが蓄積され、
少しの酒で癒される日々が続いた。
年を取ったのだから、もっと逞しく、強くなればいいものをとは思う。
情けないが現状は、その逆の方向に推移しているようだ。
「出る杭」はいつものことだが、
「打たれ弱い」こともいつものことだ。
夕食後に炬燵に入る。
父が丸くなってそこに居た。
母も父と私にお茶を出してそこに居た。
母は、昨年胃癌の手術だった。
私たちは、正月を迎えられるかどうか覚悟していた。
二人は、今を生きていてくれている。
私は、心の中で感謝しながらお茶を飲んだ。
「生きてくれてありがとう。」
「生かしてくれてありがとう。」
昨日の早朝、ジョギングをした。
宝町のお地蔵様に、いつもの感謝の祈りを捧げた。
今年もいろいろなことがあり過ぎた。
しかし、こうして生きていることだけで十分有り難いことなのだと、54歳は思っている。
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