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  • from: クマさんさん

    2012年03月13日 06時00分54秒

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    縄文人は語る

    このページの更新が行われていない時は、やっぱり心の元気がない時のようだ。
    いろいろとかかえていると、心が暗くなることがある。
    「まぁいいか。」「何とかなるさる」とは思いつつも、
    相手のあることだから、なかなかどうして気が重い。

    震災から1年がたった。
    3.11以降の私たちは、その生き方を少しは変えただろうか。
    家族といることの大切さ。
    人と人との心のつながり。
    生きていることのありがたさ。
    そして、亡くなった人たちとの魂での交流。

    土曜日の夜、ある有名な役者さんとお会いする機会があった。
    その話の中で、縄文時代の人々の生き方についての話になった。
    自然と共生し、小さな集落の単位で移動して生活していた縄文人。
    その人たちは、自然からの恵みで生かされ、
    その恵みを与えてくれる自然に対して感謝の心をもっていた。
    何よりも、産土や森や川や海に神を見て、畏敬をもって生きていた。
    大自然の前には弱い存在であることを知っていたので、
    お互いに助け合い、力を出し合い、知恵をもって生きていた。

    しかし、弥生時代になると、米作りが始まった。
    自然から狩猟や漁労、採取で生きていた不安定な暮らしから、
    米を蓄え、飢えから逃れられる時代となった。
    そのためには、広大な水田が必要となり、
    多くの労働力が求められるようになった。
    土地と人々を支配する権力者が生まれ、
    土地や水を争うための戦が生まれた。
    ムラからクニへ。
    今の世の中も基本的にはその時代と変わり内世の中なのかもしれない。

    「弱さ」を感ずるから、寄り添って生きる。
    「強さ」であるから、奪い合って生きる。
    「共生」か、「競争」かと問われたら、
    やはりこれからは「共生」で生きたいと私は思う。
    そして、その生き方の大切さをこそ、
    子どもたちには伝えていかねばならないのだ。

    縄文に帰れとは言えない。
    しかし、この肉体の中に在る「縄文の魂」を再び蘇らすことができるのではないだろうか。
    それが、「物語」なのだと、私は思っている。
    この今の世の中を見て、亡くなった人たちは、私たちに何を語るだろうか?
    そんな舞台を創りたいと願っている。

    ここ大山台こそ、その二つの文化が出会い、せめぎ合い、融合した場所でもあるのだ。
    647年「沼垂の柵」の記録は、「日本書紀」に残されている。

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    さけ

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