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  • from: クマさんさん

    2012年06月15日 09時46分08秒

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    14(木) 奇跡は起きるために存在している

    13日の夜中のことだった。
    私が疲れてぐっすりと眠っていると、
    「ただいま。父さん、帰って来たよ」と、長男の声がした。
    目を開けて見上げると、長男が立って私を見降ろしていた。
    「おう、帰って来たか。ありがとな。」
    それから瞬く間に眠ってしまった。

    朝起きてサッカーを徹夜で観て、ソファーで寝ている次男に聞いた。
    「兄ちゃんって、帰って来ているか?」
    次男は、知らないと言っていた。
    夢なのかと長男の部屋で、彼の名前を呼んでもすぐには返事はなかった。
    しかし、彼は夢ではなく、やっぱり母に会うために夜中の12時半に帰って来ていたのだ。

    居てもたっても居られなかったのだろう。
    バンドの練習を終えて、やっとその時刻に我が家に辿り着いたのだ。
    ありがたいなぁと、つくづく思った。
    我が家の二人の坊主は、とてもとても心優しいから大好きだ。
    母が、いつもいつも叔母たちに自慢するのは、この二人の孫のことだった。
    婆ちゃん子とでも言うのであろうか。
    ここまで母や父によって育ててもらった想いを深く深く感じている二人だった。

    9時半に彼を連れて、病院に向かった。
    車の中で、「婆ちゃんがすっかり変わってしまったから驚くなよ。」と長男に話した。
    彼が先週来た時は、まだ母は意識があり、彼の手をしっかりと握り、
    「Nちゃん、大好き。」と廊下まで響く大きな声を出して母は喜んでいた。
    本当に母は、その頃、自分の気持ちを直接声に出して表現していた。
    「大好き。」「幸せ。」「ありがとう。」
    私は、母がその言葉を言うたびに、改めていい言葉だったのだと自覚した。
    そして、母のようにもっともっとこの言葉を言わなければならないと感じた。

    まず、父の病室を訪ねた。
    父は、私の姿を見て片手を挙げて挨拶をした。
    横に立つ長男を見てただじっと見つめるだけだった。
    父は、イライラと怒っているようだった。
    上体をベッドの上で起こし、何でこんなところにいるのだ。と、
    情けなく、生きる意欲すら失っている顔だった。
    母の病室に行くことは、固く固く拒否をされた。
    「死にそうなんだよ。」とは父には言えない。
    この父の精神状態では、その事実には決して耐えられないだろうと思うからだ。
    長男は、父と握手した。
    「じいちゃん。じいちゃん。早くよくなってね。」
    その声に、長男の涙を感じた。

    私たちは、階段を昇り母の病室を訪ねることにした。
    途中で主治医のS先生とすれ違った。
    先生は、母の病状を説明したいからと言って、階段を昇って行った。

    母は、2年前の夏、胃癌が発見された。
    84歳の高齢で、難儀な手術をすることはない。
    母は胃癌とは知らされず、生きる執念で先生の手術を希望した。
    母の体力とその気力とに先生は賭けることにした。
    母は、先生に一度失いかけた命を生かしてもらっているのだった。
    私と母とは、先生に対しては、感謝しかなかった。

    本当に人は出会いなのだ。

    この日、長男が奇跡を起こした。
    じっとして黙ったまま深く深く眠っていた母だった。
    私たちは、後は時間の問題だと半ばあきらめかけていた。
    「ばあちゃん、ばあちゃん、元気になって。Nだよ。ばあちゃん。」
    すると、その声に答えるようにうっすらと目を開け、
    Nがいる方向をあたかも見るようにして、小さく反応したのだった。
    叔母と私とは、びっくりしてしまった。
    「聴こえている。」「分かっている。」
    母の魂は、この動かない沈黙の身体の中でも存在していたのだった。

    「ばあちゃん、分かったら手を握って。」
    すると、Nの手を握っていた指が微かに何度も何度も動くのだった。
    母は、語れなかった。
    母は、あれだけ感情を露わにして自分の気持ちを伝えられなくなってしまった。
    「大好き。」「ありがとう。」「幸せだったよ。」「また来てね。」
    そんな深くて大切な言葉も言えなくなってしまった。

    しかし、しかし、だ。
    動かない口から、かすむ瞳から、微かに動く指の一本一本から、
    何よりも母の肌からの温もりから、
    その言葉は、確かに伝わって来るのだった。

    魂の本質は、愛なのだ。

    母は、まだここに母として生きているのだ。

    目には見えない、音には聴こえないものの中に、本当のものは存在している。

    母の魂はそこにあるとは、指し示すことは誰にも出来ない。
    しかし、この小さな小さなやせ細った母のここには、
    確かにその魂は実在しているのだ。
    言葉を喪い、感情を表出する手段を喪っても、
    母には伝えたい想いがあり、その深くて温かい想いは、
    確かに、手をつないでいるNや、傍に居る叔母や私には伝わって来るのだった。

    私は、それを魂の共鳴・共振なのだと思っている。
    想いとは、目には見えなくとも、ちゃんと相手には伝わっている。
    相手の心と書いて、想いと言う漢字は成り立っている。
    私が母を想う時、私の魂に母の想い(言葉)が届き、共鳴し、共振するのだ。
    それを感動と呼ぶ。
    実は、感じて動くその主体は、自分の中に存在する魂だったのだ。
    感動して、涙を流す。いや、流すのではなく、自然と涙が溢れだす。
    その自分の奥深くで感じて動くものがあるからこそ、
    私は母を感じて、母の想いを想起して、母の言葉を確認することができるのだった。

    涙とは、分かったよという相手と自分に対するサインなのではないだろうか。
    私は、病室でよく静かに、誰にも分からないように泣いていることがある。
    今も、涙が止まらない。
    この涙とは、私が流した涙ではないのだ。
    私の奥底で私を私にしている魂が、感極まって流させる涙なのだ。
    私は、母の魂がまだ母を母にしていることに安堵した。

    沈黙の母であるが、母はまだここに居てくれたのである。

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