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  • from: クマさんさん

    2012年06月28日 11時11分54秒

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    24日(日)葬儀の朝はさわやかな風が吹いていた

    今日はもう木曜日だ。

    葬儀の日は、母らしく梅雨の中休み、爽やかな青空だった。
    前夜は通夜ということで、私は会場の前で、従兄弟たちと酒を呑んだ。
    母は、こうした騒ぎごとが大好きな人だった。
    きっと私たちのことを微笑みながら見守っていてくれたと想う。
    この午前0時の時点まで、私は一睡もしていないのだった。
    つまり、24時間ノンストップだった。

    母を語る。それぞれがそれぞれの母の思い出を語り合った。
    その物語の中に母はいた。
    本当に世話好きだった人だから、母への感謝しか言葉にはならない。
    私はいつの間にか椅子をくっつけて、その上に眠ってしまったらしい。
    目が覚めたら、祭壇の前だった。母の写真は、微笑んでいた。
    ふと朝になって気づいた。
    ひうか、今日で本当に母とはお別れになるのだなぁと。

    私は、かっていつか訪れるはずの母の通夜と葬儀の日のことを想像したことが在る。
    私には、きっと耐えられないだろうと、その時は想っていた。
    しかし、現実は、私が全てを進めて行かねば何もできないのである。
    気を確かに持つ。
    母は、そんな二日酔いの私を励まし、応援してくれているようだった。
    通夜の時から感じられていたことだが、
    何だか母の通夜でありながら、母が傍に居てくれているような気がしてならないのだった。
    遺影は祭壇に花に囲まれて飾られてあり、棺桶には母の身体が横たわっている。
    なのに、何だか母は、向こうにいないでこっちに居てくれるように感ずるだった。

    その感覚が私には予想外だったのだ。
    悲しみとは、死者からの呼び掛けに生者が応えることだそうだ。
    私は悲しみの中にはいなかった。
    いや時にはこみ上げて来て、どうにもならないこともあるが、
    いつもは悲しみの中には居ないのだ。
    喪失感と言うものでもなかった。
    こうした親戚を挙げての騒ぎごとでは、いつもいつも母が率先して動いていたものだ。
    何だか、いつものように、ああだ、こうだと言って動きまわっている母が、そこに居るようなのだ。

    母は、不在ではない。
    事前の打ち合わせが行われた。
    私は気が張っていたので、疲れも眠気も感じなかった。
    とどこうりなく全てのことが行われることを願っていた。
    11時に受け付けが始まり、参列の人たちが来てくれた。
    日曜日のお昼に申し訳なく感じた。
    母は、きっと参列してくれたお一人お一人に感謝の言葉をかけたはずだ。

    いよいよ読経が始まった。
    とうとう父は、病院からこの葬儀に参列することを拒否をした。
    妹夫婦が病室まで迎えに行ったが、「行かない」の一点張りだったそうだ。
    頑なにつれあいの葬儀への参列を拒む父。
    私は何とも腹立たしく、許せない者を感じた。
    父がこの横に喪主として座ってくれているだけでも、
    私の肩の重荷は少しは軽くなったはずである。
    こんな状況は、全く想定外のことだった。
    ぼんやりとぼんやりと読経が遠くで聴こえているような感じだった。

    いよいよ私の挨拶だった。
    命を削って家族の為に尽くした母の生き様を語った。
    母について人様に語るたびに、私は泣いてしまい、言葉に詰まってしまう。
    言葉にするということは、悲しみを新たにするということなのか。
    母の為に私は語り、母の為に私は泣いた。
    そんな私を、やっぱり母はすぐ傍で見守っていてくれているようなのだ。
    そうだ。私が語って泣いたのは。私が母に語りかけていたからではないだろうか。
    母に一番聴いてもらいたかった私の気持ちを、
    母に向かって語りかけたから、涙が溢れたのではないだろうか。

    いよいよ最期のお別れの時が来た。
    まず家族である私と妻と長男と次男が、花を母の周りに置いた。
    母は、死に化粧が美しかった。
    額に手をやると、とても冷たかった。
    「お母ちゃん・・・・。」
    私はその冷たい額に唇を付けた。
    こみ上げて来るものは、止めなかった。
    この母とは、ここでいったんお別れなのだ。
    親戚の人たちによって次々と母の周りに花が飾られた。
    いつまでもいつまでも名残が尽きない別れの儀式だ。

    この母に向かって「ありがとう」と言って、多くの熱い涙が流された。
    人は、泣来たい時は、泣けばいいんだ。
    母は逆に、一人一人に感謝の言葉をかけていたのではないだろうか。
    それほど気配りをし、気づかいをする母なのだ。
    母からの別れの言葉もきっとあったはずだと、今は想う。
    それから、棺桶の蓋は閉ざされ、
    私が先頭に立ち、家族が位牌と遺影と骨箱を持ち、棺桶は会場から運び出された。

    暑くも無く、寒くも無く。
    ちょうどいい案配の天気だった。
    父が不在の中で、私は母の棺桶を見送らねばならなかった。
    焼き場には、私はついて行かないことにしていた。
    34日のお経が上がるからだった。

    私は、絶対に耐えられないであろう現実から、逃げたのかもしれなかった。
    私は、見届ける自信がなかったのだ。
    焼き場での最期のお別れをして、あの扉が冷たい音を立てて閉まり、
    ゴーっと言う焔の音が聴こえることに・・・・・。
    私は、その瞬間発狂してしまうのではないかと、想っていた。
    取り乱して何をしでかすか分からない自分を知っていた。
    その瞬間には、私は自分でなくなり、
    閉ざされた扉にすがりつくのではないかと想っていた。

    泣き叫んでも、戻らないのだ。
    棺桶の蓋であり、焼き場の鉄の扉だった。
    その瞬間、「ありがとう」の数知れぬ声が響き渡り、
    祈りと共にすすり泣き、声を挙げて泣く、その切なさに充たされたと聴く。
    妹はどうなってしまうのかと周りの人たちが心配するほど、取り乱し、
    崩れ落ち、肩を震わせ、「お婆ちゃん」と叫び、嗚咽したそうだ。
    そんな中で、次男はじっと下を向き、こみ上げて来る涙を堪え、
    ぐっと唇を噛みしめていたと、従兄弟から後で聴いた。

    これほど深く、激烈な悲しみはないことだろう。
    私は、その壮絶な悲しみの瞬間に立ち会わされることから逃げたのである。
    しかし、私はこのことを決して後悔はしていないのだ。
    どうしてなのかは、私にも分からないが・・・・・。

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