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親父たちよ

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  • from: クマさんさん

    2012年06月30日 10時29分10秒

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    チーン。

    さて、一週間たった。
    何とも何ともどう行ったら良いのか・・・・。
    あらゆることは、元には戻らないのだ。
    ただ、流れ去るのみ。

    母のお骨が座敷の祭壇に安置されている。
    朝、起きるとすぐに母に挨拶に行く。
    声に出して話しかける。
    まずは、チーンである。
    「お母ちゃん、今日もお願いますね。」
    「お父ちゃんがよくなるように守っていてね。」
    「まだ退院の目途が立たないFのこと見守っていてください。」
    そこには、笑顔の母がいた。

    このチーンは、いろいろな場面で鳴らされるようになった。
    山の仲間のKさんがお参り来てくれた。
    チーン。
    「お母ちゃん、Kさんが来てくれたよ。」
    その日にあったことは、こうしてチーンで報告される。
    チーン。
    「今日、Nちゃんのテストがあります。勉強していません。見守って下さい。」
    とにかく可愛がった次男のことは、母にはいろいろと話している。

    さて、病院にはまだ妻と父とが入院中だ。
    昼からは二つの病院周りである。
    チーン。
    「しばらく留守にするっけ、留守番お願いしますね。」
    帰りには、宝町のお地蔵様にお参りをする。
    「母の魂の平安をお願いします。父の心の安らぐことを・・・・。」
    お地蔵様の顔をじっと見つめながら手を合わせる。
    すると、ごくごく自然に「南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏」と口にできる。
    通りがかりの人や車から見られていたって、何にも気にはならなかった。
    しかし、私は、こういう人では絶対なかったのだ。

    ある朝、お地蔵様に手を合わせ、頭を下げたら、
    何だかお地蔵様のお顔が、母に見えて驚いたことがあった。
    お地蔵様の心の声を聴こうとして、黙ったままじっと祈っていることもあった。
    すると、何だか自分がお地蔵様になり、お地蔵様に向かって祈っているような気になった。
    しかし、私は、絶対にこうして祈れる人ではなかったのだ。

    お任せする安心感とでもいうのだろうか。
    守られている安堵感とでもいうのだろうか。
    私は、このお地蔵様との出会いを通して、
    母と父と妻との入院生活を乗り越えていることができているようなのだ。
    それは、「お任せ」して、ちっぽけな私が何も「抱えていない」からだった。

    以前の私ならば、自力を頼み、何とか自分の力だけで解決しようと悪戦苦闘したと想う。
    想ったように何も行かず、次々と信じられないような状況に陥らされれば、
    そのたびに、「何で私だけが・・・」と、嘆き悲しんだことだと想う。
    辛さや哀しさをじっと内に秘めて、酒に逃げていたかもしれない。
    孤独の中でのこの状況では、きっと耐えられずに過度のストレスから、
    身体を壊して、私自身が倒れていたかもしれなかった。

    しかし、全てを任せ、委ねたのだから、
    よいことも、よくないことも、お地蔵さんのお陰様なのだ。
    私の我欲で物事を考えたところで、思い通りには何もいかないものだった。
    だから、私は私の我欲を離れ、自分を忘れて、お地蔵様に祈るだけにした。
    私の願いは、私がここでお地蔵様と出会う前から、ご存知なのだ。
    そして、人生にはこんな苛酷なことがあるのかというこの一連の試練こそ、
    私をこんなにもお地蔵様に近づけ、
    私の魂に眠っていた「信」を思い出させるきっかけとなってくれたのである。

    自分の身に起こった全てのことは、
    自分の責任や業のようにして考えて、抱えてしまうと人は絶望の闇に陥るものだ。
    あらゆることは、在るべきように在ることなのだ。
    それは全て、天の計らいによって為されることだから、
    人は、その渦中に居て、迷い騒がず、妄想や懐疑を抱かず、
    ただ、為すがままに任せておけばいいのだった。

    この40日余りの介護の日々で、私がこうして生き残り、
    淡々と日々の生活を送っていられるのは、
    全てのことを任せて、為すがままになり、
    疑念を抱いたり、拒んだりしなかったからだと想っている。
    しかし、私は、こういう人ではなかったのだ。

    こんな状況でありながら、「まあ、いいっか」とあっけらかんとしている自分がここに居る。
    しかし、この「まぁ、いいっか」とは、とても自由ですがすがしい生き方なのだともよく分かった。
    何よりも、こんな愚かな男を多くの人たちの愛が支え、心配してくれていることが実感として腑に落ちたことが無上の喜びだった。

    後は、怖がることはないのだ。
    お地蔵様は、私に、無畏という想いを施してくださった。

    「莫作妄想 修善奉行」
    「施無畏」

    そんな禅の言葉が、魂に落ちた気がする。

    チーン。
    「お母ちゃん、頼んだよ。俺の生き方をこれからも見守ってってくださいね。」
    「お母ちゃん、これからも俺のナンバーワンのファンでいてください。」
    チーン。

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    さけ 秋桜

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