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from: クマさんさん
2012/07/03 11:27:47
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Sさんの、恩返し
昨日、新津の65歳の従兄弟が庭の剪定にやって来た。
我が家の庭は、十年以上手入れもしていないため、
確かに荒れ放題に荒れていた。
きれい好きの父も、自分の身体が動かないので、
剪定までにはいかなかった。
庭師を入れると一日数万円だった。
父は、こういうことには絶対に金を出さない人なのだ。
私は、父や母のためにある庭師さんに6万円で頼んでいた。
それを知った従兄弟のSさんが、
「俺がやればたらら。」と、突然電話して、来てくれたのだった。
とにかく驚いた。松も梅も、太い枝をばすばすと切って行く。
高いところでは脚立の上で、他の枝にしがみついて切っていた。
地面は枝と葉で、足の踏み場もないほどだった。
そして、1時間もすると、あの暗かった庭に、光が差し、すっきりとしていた。
凄い人なのだ。
余りにも切り取った樹木が多いので、軽トラいっぱいに積みこんで、
一度新津の金津まで往復してくれた。
それから、帰って来てから、また剪定を始めるのだった。
若い頃は、散々暴れて、がっとで、剛毅な人だった。
ところが、在郷に行くと、とにかく10歳違いの私を可愛がってくれた。
陸王という大形バイクに乗せてもらったこともあった。
父の兄である親父さんを早く亡くしてから、
父のことを本当の親父のようにして、愛してくれた。
父が在郷の家に行くと、大歓待して、必ずコップ酒を冷で出してくれた。
父は、それが飲みたくて実家に行ったようなものだった。
本当にやんちゃで、優しい人だった。
長男は中学校の教師として上越に赴任している。
次男は妻を震災で津波にさらわれ、長女と二人で実家に帰って来ている。
クレー射撃を趣味にして、370万円の銃を持っている。
一見すると怖そうな世界のお兄さんであるが、
何とも何とも心は優しく、透き通る小川の水のような気性の人なのだ。
さて、夕方、二人でくたくたになりながら、樹木を軽トラに積み込み、
きれいに道路や地面を掃いて清掃をした。
「Aちゃん、俺、行くは。」
これだけの仕事をしたぞ。どうだ、助かったか。などという野暮な気持ちは木端微塵もない人だった。
「ありがとうございました」甘い物が大好物のSさんには、あんみつの詰め合わせを贈った。
「こんげことしねばいいんて」と言って、笑って受け取ってくれた。
私の父は、Sさんを小さな頃から可愛がっていた。
私の母は、Sさんが親父さんと喧嘩して家を出た時とてもとても心配をした。
二人は、Sさんが駆け落ち同然にして今の奥さんと一緒になる時、
応援をして、親父さんたちを説得した。
Sさんは、その可愛がってもらい、親身になって心配してもらった恩をいつもいつも想っていたのだろう。
母の通夜と葬儀とで、何年振りかで我が家を訪れた。
見上げたら松が折れ、樹木は伸び放題に荒れていた。
そこに、Sさんは父が弱って動けなくなってしまった悲しさを感じたのかもしれない。
「親父さん、かわいそうらなぁ。」と思ったことだろう。
「おい、Aちゃん、この庭に庭師入れるつもりねんか?」と、葬儀時に聞いて来た。
「本当は今日らったんだろも、こんな事情で延期になったんさ。」
「そうらか。いくらすらんだ?」
「二日で二人して来るすけ、6万円するんだと。」
Sさんは、黙ってこの話を聞いていた。
半日の仕事で、庭がすっかりとさっぱりとしてしまい、よその庭のように明るくなった。
何とも清々した気分になった。
私には、Sさんが脚立に上がり、枝につかまり枝を切っている様子を、
父と母とが眩しそうに、そして、それはそれは嬉しそうに見上げている姿が見えた。
「おう、Sよう。きれいになったのう」と、父が庭で呼びかけ、
「sちゃん、ありがとね。違う庭になったは」と、母が喜び、
「一服してお茶でも飲まないかね」と、母が台所のテーブルでお茶を入れて、お盆にのせる。
そんな光景を思い浮かべたら、泣けて泣けて仕方なくなった。
Sさんは、今はこの家に居ない父と母とを喜ばすためだけに、
この家に来て、汗だくになって庭木を全て剪定し、新津まで二往復してくれたのである。
その明るくなった庭を、母はきっと今も見上げて喜んでいるはずである。
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