新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

親父たちよ

親父たちよ>掲示板

公開 メンバー数:62人

チャットに入る

サークルに参加する

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: クマさんさん

    2012年07月04日 09時39分19秒

    icon

    この状況から学んだこととは

    本日、久しぶりに寝坊をしてしまった。
    晴れているのに走らなかったことも久しぶりだし、
    お地蔵様へのお参りもしていない。
    そして、何だかやっと予定らしい予定のない一日となった。

    朝食を作り、食べ、次男を見送り、朝食の後片付けをする。
    その後、お茶を飲んでから洗濯機を回し、洗濯物を取りこんでたたむ。
    そうすると、こんな時刻になってしまう。
    この介護な日々のおかげで、主婦の仕事の大変さがよく分かった。
    毎日毎日の家事の繰り返しには、土日という休日はないのだった。
    介護な日々も同じである。
    土日だから何かをしよう。どこかへ行こうとは考えられない。
    私は、当たり前だが、コンサートも映画も登山にも出かけていない。
    あれだけ楽しみにしていたパスタランチもお預けである。

    昨日のテレビ番組でも主婦の悩みが語られていたが、
    社会とのつながりが薄れてしまうことも悩みの一つなのだそうだ。
    介護な日々は、二つの病院とスーパーと自宅をぐるぐると回るだけの一日なのだ。
    自分が今どこに居て、何をして、次には何処へ行くのか、
    何とも何ともこんな生活をエンドレスに続けている。
    この生活を何年間も続けてることとなったら、
    私は、平常心でいられるかどうか心もとない。
    今は、適当な息抜きをして、いい加減にやっているから、生き延びている。

    人は、こういう状況に立たせられたら、どのようにしてサバイバルをするか。
    自分なりに考えて、実践してきたことをここに記す。
    まず、先のことは考えないことだった。
    今、目の前の現状と課題とをどう解決するか、その即今だけに向き合った。
    合言葉は「今日一日だけは生き抜こう」だった。

    これからどうなるだろうと心配したり、悩んだりしていても、先のことは誰にも分からない。
    母は、亡くなり。父は、脳梗塞でリハビリの日々。妻は術後の経過が悪くいつ退院できるか分からない。
    「こんなことが起きるのか」と嘆きたいくらいな悲惨な状況は、
    やっぱり人生には起きるのだ。
    だから、なるようにしかならないのだから、明日のことは心配ご無用なのだ。

    そこで、私ができることは、「お任せする」ことだった。
    チーン。「お母ちゃん、頼むは・・・」であり、
    「お地蔵様、お願いします」なのだった。
    すると心の重荷が取りさらわれ、すっきりと身軽になって生きられる。
    こんな私を母も仏様も心配して下さらぬわけはない。
    それはそれは心強く頼もしい味方が私には居るのだった。

    次に、やはり「人」だった。
    私には、何でも心を開いて話ができる人がいる。
    その人に話を聴いてもらうだけで、どんなにか力になることか分からない。
    その人は、私の日々の苦労を知り、日々の精進を知り、
    私のことを我がごとのようにして心配してくれる人だ。
    人は、自分を分かってくれる人が傍に居ることで、
    ずいぶん癒されるものだと、私は悟った。
    「聴くこと」や「分かること」や、「共感し、同情すること」は、
    困難な状況に立たせられている人にとっては、
    何よりもの救いなのだ。

    それから、海や空や森や月や風や雲や山や夕日に向き合うことだ。
    私たちは日々の忙しさに任せて、
    こうした雄大な自然の風景と出会っていないのではないだろうか。
    自然は、黙して語らず。しかし、多くの物語りを伝えてくれる。
    私は、自然を見つめ、私は自然の中に存在する私を見つめる。
    そこには、本来あるべきような私が居て、
    その私から語られるものが、自然の物語だった。

    海のように生きる。
    風や雲のように生きる。
    月の輝きのよように生きる。
    そこには、人が人になり、自分の人生を生きるための確かな道があるような気がするのだ。

    考えながら生きることが哲学だった。
    「いかに生きるか」は、生きている全ての人がもっている根源的な問いだと思う。
    その問いは、実は、海や空や風が私に問い続けて来た問いでもあった。
    しかし、私は知っている。
    問いの中にはちゃんとその問いの答えが在ることを。
    ただし、単純でありきたりでごくごく当たり前のその答えを、
    まさか生まれながらにもっていて、
    「えっ、それでいいの」という驚きと感動とで気づき、
    「へぇっ、これでいかったんだね」と、腑に落ちるまでには、
    やっぱりやっぱり、
    人生こんなことが起きるのかという悲惨な試練に見舞われなくてはならないのも人生なのだった。

    「今日一日だけは生き抜くことにするか。」
    「お地蔵様、お母ちゃん、お任せしました。頼りにしています。」
    「聴いてくれてありがとう。分かってくれてありがとう。それが愛だね。」
    「海さん、ありがとう。空さん、ありがとう。月さん、ありがとう。」
    「やっぱり私は、私らしく生きることにします。」

    「倒れるなよ。」「身体を大事にしなさいよ。」と、心配ばかりかけている私。
    次は、父を介護施設に入れるための大仕事が待っている。
    それでも、こんな苛酷な人生の生き方を、この状況で学ぶことができた。

    人は、体験しなければ、本当の言葉は語れない。
    その本当の言葉が在る世界へ、人が繋がらなければ、
    その言葉は、人の生きた言葉としてこの世には存在はしない。
    大切なことは、私が深く生きて、その深い魂に触れて、その体験を言葉に紡ぐことなのだ。

    お地蔵様と母とその人が、
    そんな私を愛の眼差しで見守っていてくれるのだから。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 3

    icon拍手者リスト

コメント: 全0件