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親父たちよ

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  • from: クマさんさん

    2012/07/10 13:52:56

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    苛酷な日々から学んだことは

    生きているといろいろとあるものだ。
    そのいろいろがあるから生きている実感を感ずるのだろう。
    私は、この介護な生活の日々の中で、
    本当にこの立場にならなければ絶対に分からなかったことに遭遇している。

    とにかく、体験しないことは、人は分からないということだった。
    その人と同じ立場に立ち、悩み苦しみ切なく悲しむことで、
    人は、人としての幅が広く、人としての深さが深くなるようだ。
    分かったことは、やっぱり悲しみや孤独や寂しさをもって生きている人の多さと、
    その人たちを一方的に苦しめ、追いやっていても、相手の気持ちが一向に分からない極々少数の人が居ることだった。
    しかし、本来は全てのことは愛に満ち、私たちは愛に守られて生きているということは、
    やっぱりこの修羅場をかいくぐって来ながら、事実だったと証明できた。

    私は、これからも難儀な局面に立たせられたら、おろおろとするだろうが、
    変な自信も今回の経験を通してつけることができたのだ。
    それは、はっきりと自分の弱さや、辛さ、悲しさを人に伝えることである。
    絶対に自分で何とかしようとは思わないことだ。
    限界はすぐに見えるのだから、どのようにしてこの難関を乗り切るかを考え、
    多くの支援の手を求めることだった。
    人は、弱っている人に対しては優しく、親切に接するものだ。
    私のSOS遭難救助信号は、そうした多くの善意と誠意によって受けとめられ、救いの手は差し伸べられた。

    本来、私は愛によって生まれながらに守られているのだ。
    このことを信じられる人は、これからの人生とても楽に生きられるはずだ。
    「なるようにしかならない」し、「なるようになるように働きかける力は」確かに存在するのだった。
    私には母とお地蔵様と仲間たちがついていてくれるのだった。
    本当にどうしたらよいのか途方に暮れていたら、
    やっぱり母は傍に居てくれたし、お地蔵様は話を黙って聞いてくれたし、
    仲間たちはやって来て励ましの声をかけてくれた。
    他力本願とはこのことなのかと、目から鱗がぼろぼろと落ちた。
    何だ自分でやれると思うから駄目なのだ。
    駄目です。助けて下さい。溺れます。と叫べば、
    その腕をがしっと掴んで話さない手が、
    たとえそれは目には見えなくても、必ずやってくるとの確信を私は持つことができたのだ。

    それから、とにかく人を愛することである。
    変な言い方かもしれないが、愛だけでいいのだ。
    愛という想いを伝える形は星の数ほどあると思う。
    まず手近で、今すぐ隣の人に実行できる、
    ささやかで、とるに足りない、ちっぽけな愛があればいいのである。

    何かをしてもらったら、心を込めて「ありがとう」を言う。

    その人が大好きならば、「大好きだよ」と、何かの形で表現して、必ず伝える。

    相手に触れてあげる。手をつなぐ。肩に手を置く。握手する。

    笑顔でいる。謙虚にいつでも相手のことを受け入れるサインを発信する。

    優しい言葉をかける。心配していると相手に伝える。体調を気遣う言葉を伝える。

    相手の話を親身になって聞く。相手のよさを認めて、さりげなく伝える。

    相手にとって気を許せる、心地よい関係を作る。

    さてさて、してもらうだけの私であるが、こんな些細なことであるが、
    このことは、たくさんの人たちにお世話になっているので、
    まだまだ出来ないが、心がけているものである。

    お互い様で生きているし、
    お陰様でも生きているのだ。

    やっぱり分かったことは、人は絶対に独りでは生きられないととうことだった。
    そして、たくさんの人たちに助けられ、支えられて今生きていられるという当たり前なことだった。
    やっぱり、当たり前が分かったら、生き方も肩肘を張らずに、楽に生きられるようになった。

    人と人とがよき愛による繋がりを持てる時、
    人は、「幸せだなぁ」と感ずることができるのだった。
    「幸せ」って、ここに居てくれたのに、
    私は遠くばかり探して、気づかなかったようである。

    これがこの苛酷で悲惨でハードな介護な日々で学んだことだった。
    「眼横鼻直」
    やっぱりこれしかないのだと、合点がいった。

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