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  • from: クマさんさん

    2012年08月01日 10時29分10秒

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    母の不在は

    さて、母が居なくなってから、40日近くたった。
    その間、私と次男との二人だけの生活だった。
    母は、不在である。
    その不在は、ずっと続くのだ。
    私が定年退職する日まで生きたい。そう言っていた母だった。

    母の存在の大きさは、日に日に心に広がっている。
    朝、出勤前の忙しさは何だろう。
    朝食を次男と私が食べてから、後片付けを行い、洗濯物を干す。
    そんな日常生活を支えていた家事を、母は一切やっていてくれたのだった。
    想えば、私は呑気に生きていたと想う。
    そんな生活を当たり前として、どれだけ感謝して来ただろうか。

    世の母たちが使っている時間は、大部分が家族の為の時間なのだった。
    いつも頭の中には家族のことがあり、
    夕食の献立を考え、家族の好き嫌いを考え、冷蔵庫の中身を考えている。
    そんな母としての生き甲斐とは、家族のことだけだったのかもしれない。

    元に戻って、母がここに生きていてくれたら、どんなにか幸せなことだろうと想うことがある。
    出かけ時、母は必ず車庫で私を見送ってくれた。
    「行ってらっしゃい。気をつけてね。」
    疲れて帰ると、母は夕食の支度を済ませて、私の帰りを待っていてくれた。
    「お父さん、刺身あるよ。」
    私は風呂からあがり、母の手料理と刺身で晩酌をする。
    食べながらよく母と話した。
    母は、どんな話しでもちゃんと向き合って聴いてくれた。
    私の怒りや悲しみを、自分のそれにしてくれた。

    もっと生きていて欲しいという願いは、未練なのだろう。

    私は、母の不在の虚しさをひしひしと感ずることが多くなった。
    母の励ましと協力によってここまで生かされて来た男である。
    母の不在とは、その支えがなくなり、私が独りでここに立って生きることを言うのだった。
    振り向いても母は居ない。
    呼びかけても母の返事は返っては来ない。

    何だか時々、「もういいか」と想うこともあった。
    これからどう生きようかと想うこともあった。
    何だか心の応援団長が居なくなったので、何をやるにも張り合いがないのだ。
    「今度、コンサートやるよ。来てね。」
    「今度の劇は感動ものだよ。来てね。」
    何とも母を喜ばせられなくなったことは、
    私の人生にとっては、大きなダメージなのだった。

    人はやっぱり認められて、褒められて、伸びるものだとつくづく感じた。
    オリンピックの選手の家族の話を聞くと、やっぱりと想うのだ。

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    秋桜 さけ

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