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from: クマさんさん
2013/02/02 11:51:25
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繋ぎ手としての生き方
昨夜ではなく今日の夜中に、歩いて我が家までたどり着いた。
1時を過ぎると、回送のタクシーばかりで、私は諦め、雨の中を1時間かけて歩いた。
歩いていると無心になる。
そして、歩くことは苦にはならないのだ。
そういう人に生まれてきてよかったと思う。
良寛さんを読んでいる。
朝風呂に入りながら、ふと思ったことがある。
「良寛さんが居なかったら、良寛さんは居ないのだなぁと。」
良寛さんがこの世に生まれ、良寛さんが良寛さんとしての生き方を、
どういうわけか選択し、全うしてくれたから、
私は、良寛さんと出会い、良寛さんに憧れ、
良寛さんの生き方に学ぶことができたんだ。
それは、道元さんも同じだった。
「道元さんが居なかったら、道元さんは居ないのだ。」
すると、「正法眼蔵」もなく、正統なる禅の教えは日本には伝わらなかったはずである。
良寛さんは玉島の円通寺で修行に徹した日々で、この書物に出会った。
そこで「生きべき道」を道元の言葉を通して教えられ、
乞食坊主の道を選んだ。
道元さんは、道元さんで、宋に渡航し、如浄禅師に出会い、悟りを開いた。
「如浄禅師が居なかったら、如浄禅師は居ないのだ。」
つまり、何をハタと思ったかというと、
「達磨が居なければ、達磨は居ないのである」し、
「釈尊が居なければ、釈尊は居ないとのである」ということなのだ。
そのことは、イエスも然り。ソクラテスも然り。プラトンも然り。坂本龍馬然り。
なのである。
もしも、この人たちが歴史上に登場せず、
語るべきロゴスを語らず、成すべき行動を起こさなかったら、
その後に生まれるべきものは、果たしてこの世に存在したのかと、
ハタと気づいたのだった。
それは、あるべきようを一人一人が全うした生き方であったのではないだろうか、
ということなのだ。
ここに満ち満ちているはずのあるものは、目には見えず、音にも聴こえない。
しかし、その大いなる無垢で空なる存在は、
その時代時代にあるべきようを感じた人々に感じ取られ、表現されてきた。
それは、言葉としてこの世に残され、
その人たちが死んだ後にも、ここにこうして伝えられて存在している。
そして、こんなちっぽけな私は、その言葉に気づき、その言葉に感じ、
その言葉を自分の言葉とし直すために、生きている。
それも、ただ単に生きているのではなく、考えながら生きているのだ。
そこに、本来の人間の自由があり、尊厳があるのかもしれない。
「自分が自分にならないで だれが自分になる」 相田みつを
トイレにある日めくりカレンダーのこのページがずっとずっと変わらずにある。
だから、毎日「自分が自分になれ」と、声をかけられ、励まされている。
そして、たったさっき、こんなことを考えながら用をたしていたら、ハッと気づいた。
「自分とは、内なる声で自ずから語られる言葉を、分かって生きる生き方ではないのか」
ということだった。
私には、私だけに語られる言葉があるはずなのだ。
その言葉に耳を傾け、深く聞き従い、その声の方向を選択し、決意し、歩み始めることが、
自分としてこの世で本当に生きた証となるのである。
それを、私が表現することで、その言葉は次の世代にも受け継がれていくのだ。
つまり、その言葉の繋ぎ手としての生き方こそ、
この世に生を受けて生きる私の使命なのだということだった。
しかし、そのことは全ての人たちに言えることでもあるのだ。
「私が居なければ、私は居ないということなのだ。」
もし、そうであったら、この世に存在する多くの形あるものが、
消えてなくなってしまうのである。
それは、良寛さんだけでなく、私もあなたもここにある言葉の繋ぎ手として、
生きるべき自分を生きることが求められているということなのだ。
夜中に歩き、寝坊してぼんやりとした頭だったから、
こんなことに気づいたのかなぁ。
やっぱり「居ても居なくてもいい親父は、居てもよかった」のである。
そして、居なかったら、空即是色はあり得なかったのだ。-
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