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from: クマさんさん
2013/02/08 06:34:42
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人生は、引き算だ
昨夜は、高2の次男は本日学校が休みなので、
友達の家に泊まりに行った。
長男は突然に帰宅して、友達と飲むのだと行って出かけて行った。
残されたのは、妻と私の二人だった。
そうなのだ。
これからの家族は、ある意味引き算なのである。
それは人間としての欲望も同じかもしれない。
どうもある意味自分自身から「貪欲」さが消えてしまっているのだった。
「切に何かを成し遂げたい」という、青春とでも言うのだろうか、
その「切に」という部分が希薄になっているのだ。
人は、為したことで評価をされるものではないとも思っている。
何を為したからどうなのだと、私は思わないし、思えなくなった。
ある意味、人が独り為せることはたかがしれているとも感じている。
だからと言って、無為になるのでもないのだが、
為すことに自負を感じ、人を見下し、
「どうだ、俺はすげぇだろう」と、生きている者の哀れは感じられるようになった。
人は、人によって己を学ぶものだ。
自分とは全く正反対で、こんな人間も生きているのかと思う人との出会いとは、
よりもっと自分を自分するための機会であるのだと悟った。
情けないが、人の中にはどうにもならない人もいるものだ。
しかし、そういう人の共通点は、「自惚れ」と「欲望」なのである。
私は、自分がたかがしれた存在だと感じている。
居ても居なくてもいい親父だと思っている。
肩書きや地位や名誉とは、全く疎遠な場所に立っている。
ただの人。
しかし、引き算の生き方は、実に気楽で、自由な生き方なのだった。
それは、世の中のつまらぬ評価の煩さから、
独り抜けることができるからだった。
何もない。何も持たない。ただ生きている。
しかし、それってとても人間らしい、幸福感に満ちた生き方かもしれないな。
そう生きることで、当たり前のことがとてもありがたく思えるし、
毎日毎日、ただ一日だけを生きることを喜びと感じられるし、
こうして生きていること、そのものだけで「これでいいのだ」と思えるからだった。
家族が減ったことを悲しまない。
それを当たり前のこととして受け入れる。
日々ここに在ることを悩まない。
それでしかなく、それだけで十分なのだから。
今夜は、この大荒れな天気の中での飲み会である。
天気のことで私が悩んで、愚痴を言ったら、やっぱり愚かだと思う。
この強風と吹雪については、あるがままの自然なのだから。
そう考えると、人には思い通りにできないことだらけなのだ。
悩んだって、想って辛くなったって、変わらぬものは変わらぬのであり、
どうあがいたってどうにもならないものは、どうにもならないのだ。
「人は、コントロールできないものだ。」
ある日、このことに気づき、気がずっと楽になった。
年を取ることは、ある意味人生の引き算であるだろう。
しかし、引き算をしっかりとすることで、安心につながるようなのだ。
そして、究極の引き算の答えは、やっぱり「無」なのだろう。-
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