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  • from: クマさんさん

    2013年02月19日 06時38分08秒

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    人生とは、物語である

    どうしたことなのだろう。
    昨日からまたこのアドレスで接続することが可能になった。
    やっぱり世の中何が起こるか分からないのだ。
    本日、目覚ましをかけそこなって、寝坊もしてしまった。

    さて、土曜日に「途中の会」山の下編があった。
    我が師匠のSさんと我が友Wさんが、
    山の下の名割烹店「よしはら」に集ってくれたのだ。
    小千谷と柏崎の二人がである。

    話とは何か。
    それは、人生で出会ったことは全て「必然」ではないかと言うことと、
    その人生を振り返ることで「物語」は必ずできると言うことだった。

    Wさんが総合学習で行ってきた実践の素晴らしさには、いもいつも感動だった。
    山の小学校の自然豊かな地域の中に存在し、
    そこで「在る」ことを自然に感じさせている人やモノに出会い、
    それを通して子どもたちの心を育ててきた実践だった。

    しかし、それを実践してきた彼自身に、
    その数々の実践を貫き、
    これがやりたかったのだという強い想いや願いが感じられなかった。
    それが残念だったという提言なのだ。

    しかし、よくよく考えたら、Wさんがこの地に赴任しなかったら、
    そこで風化し、消え去り、存在すら忘れられてしまう物語でもあるのだった。
    つまり、彼自身は全く意識していなくても、
    彼は、その石仏に呼ばれ、その石仏を守り続けてきたYさんという老人に呼ばれ、
    この山紫水明の山の地域の魂に呼ばれてそこに居たのだということだった。

    つまり、人とは、どんな場所でどのように生きていたとしても、
    それを人は、「宿命」とか、「運命」と感じないで生きていたとしても、
    あらゆることは、その人がその人しか書かれない物語を書き残すために、
    やっぱりこの世に生を受けているのだととうことの気づきなのだった。

    Wさんは、岩沢の魂に呼ばれ、その声を聴き、それを物語として紡いで来た。
    私は、私として、この人生を振り返り、肯き、この物語を紡いでいる。
    Sさんは、振り返ることでねいつもいつも新たなる人生の物語を紡いでいる。

    生きるとは、「己だけの物語」をこの世に残すことではないのだろうか。

    そして、その物語を次の時代の人たちにそっと読み取ってもらい、
    受け継いでもらうことなのではないだろうか。
    「人生は、舞台である」という言葉も残されている。
    そうした意味で、もっともっと内なる声だけに耳をすませて、
    その声に聞き従って生きる「自由」を人は生きる道として選択するべきなのだと私は思う。

    願わくば、自分だけのオリジナルな物語を残したいものである。

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