新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

親父たちよ

親父たちよ>掲示板

公開 メンバー数:62人

チャットに入る

サークルに参加する

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: クマさんさん

    2013年05月16日 11時42分34秒

    icon

    如何なる場合も

    独りとは、かくも寂しいものなのだ。
    独りでこうして日中自宅に引きこもっていると、やっぱり元気がなくなってしまう。
    人は、人と繋がることで生きていけるものである。
    何だか誰にも分からず、ここで独り時間が流れていくことに、
    どうも慣れないのだ。

    しかし、独りになりたかったし、こうした自由な時間を切に願っていたものだった。
    なのに独りになり、自由な時間ばかりの生活になると、
    何か物足りなく、何か切なく、何か焦ってしまう。

    「悟りということは、如何なる場合にも平気で生きていることであった。 子規」

    どういうわけかこの言葉が、携帯には残されていた。
    病に苦しみ病床で痛みに呻きながら俳句を書いた彼の言葉だ。
    平気で生きることの難しさを、今は分かる気がする。
    ついつい私は人に頼り、人に依存してしまう傾向がある。
    弱い自分の心をよく知っている。
    だから、今のこの試練があるのかもしれないと思っている。

    お地蔵様は、黙ったまんま何も語らないが、
    よくよく考えてみたら、お地蔵様は今もいつもいつまでも独りぼっちのお地蔵様なのだ。
    私が走って訪ねて言っても、すぐに私はまた走って去っていく。
    その後ろ姿をお地蔵様は見送ってくれる。
    独りでいることが平気だから、やっぱりお地蔵様は悟っていなさるのだ。

    人は、独りだ。
    人は、本来寂しさの中で生きている。
    そして、人はその寂しさに耐えて生き抜いて行かねばならない。
    最期には、死が待っている。

    でも、今日一日を生きていくためには、
    今日一日を生かされていくためには、
    やっぱり愛が必要なのだと、つくづく想う。

    私が今日もここに居ることを心配し、心に描き、想っていてくれる人が居てくれたら、
    やっぱり人は、独りぼっちでも生きていけるのではないだろうか。

    大事なことは、この想いと想いとでしっかりと繋がることなのだ。

    それは、家族であるかもしれない。
    それは、友人であるかもしれない。
    それは、亡くなった母であるかもしれない。
    それは、お地蔵様であるかもしれない。

    そう考えると、逆に人は独りにはけっしてなれないのではないかと想う。
    目には見えない相手を思いやる想いに気づけば、
    こんな私のことでも心配してメールや電話をくれる人がいることを想えば、
    母は今でも傍に居て、私のことを心配していてくれると想えば、
    お地蔵様がいつでも黙って私の話を聴いてくださると想えば、
    独りではない自分に少しは安心すればいいんだ。

    いかなる場合も平気で生きたいものだと、自戒を込めて想っている。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

コメント: 全0件