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  • from: クマさんさん

    2013年08月28日 06時46分58秒

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    56歳の朝

    本日、私の56歳の誕生日。
    まだ暗い5時に起きだしたら、土砂降りだった。
    いつもいつも前途多難な人生だった。
    これからの我が人生を予言するような天気となった。

    よくまぁ、ここまで生きてこられたものだと感謝している。
    庭に出て自然の命の姿を見つめるたびに、
    変わりゆくことが全ての自然の定めなのだと感じている。
    子供の頃、56歳は現役引退した十分熟成した親父のことだった。
    その年に、私がなった。
    しかし、いつまでも大人になれず、何も変わってはいなかった。

    今は、まるで老子や荘子のような生き方をしている。
    まさに「無用の用」だった。
    「上善水の如し」でもあった。
    本当に「欲」というものが薄くなっている。
    とにかく突っ走ってきた40代だった。
    しかし、今は本当に何もない私になっている。
    「明鏡止水」かな・・・・。

    一日一日ただ生きる。
    このただ生きるということに、生きることの自然な原点があることを発見した。
    人は、生きねばならないのだ。
    人は、死ぬまでは生きているのだ。
    ただ、その日々をどんな想いで、何をして生きているかだと想う。

    無名な人生なのだから、背伸びや無理をすることもないのだ。
    もしも、何かやるべきことがあったら、きっと向こうからやってきてくれると信じている。
    それが、どんな仕事であろうとも、そろそろ自分を捨てて、
    自分を無にして生きたいものだと感じている。

    老子の言う「人生の三つの宝」がある。
    一つ目は、慈しみ・・・人を愛する心
    二つ目は、倹・・・つつましく生きる心
    三つ目は、人の先に立たないこと
    これからの林住期は、これかなぁとも思っている。

    生かされて、ただ生きている。
    自分のことは一番後にして、こだわらずに淡々と生きて行く。
    けっして人と争わず、人には譲り、諦めて道を静かな心で歩いていきたい。
    これまでの人生の反省は、ありすぎるほどたくさんあった。
    弱く、弱く、情けないほど愚かな自分だった。
    それを実感しながらも、自分だけでも自分のことをしつかりと愛してやりたい。

    無為自然にそうやって生きることで、
    私が私に執着せずに、捨てながら生きることで、
    自然の道は明らかとなり、魂の内なる呼びかけが聴こえてくるのだと感ずる。

    こんなにも情けなく、迷ってばかりいるのは、
    私が人を見るからで、自立することと期待しないこととで、
    もっともっと気楽に、自分らしく生きられるのではないかと思っている。

    人を愛そう。
    悲しみと苦しみの傍らに居よう。
    居ても居なくてもいい人になり、聴ける人となろう。
    日々、生かされていることに感謝して、自分の欲は断捨離していこう。
    毎日、朝が来て、昼が来て、夕方が来て、夜が来る。
    平凡なる片隅の人生に満足し、それでいいのだと足るを知ろう。

    そして、たった一つでも家族や誰かの為になることをやってみよう。
    それは、ほんのささやかなことでいいのだ。
    「おはよう」と声をかけたり、庭を掃いたり、「大丈夫?」と励ましたり、一匹の毛虫を助けたり。
    しょせんその程度な人なのだから、その程度のことは一つだけやりたいなぁと想う。
    これってやっぱり欲の一つかな。

    自然は、変遷することが自然な姿なのだ。
    その変遷を素直に受け入れることである。
    衰えてきた。弱ってきた。できないことが増えてきた。
    それを嘆いては自分に天が与えてくれた命に反する生き方となる。

    こんな時は、亡くなった沼垂山小屋の森田さんをいつも想う。
    食道癌という大病を患いながらも、大きな自分からその病の人生を見つめていた。
    「いゃー、癌になりましてね。」
    「今度、抗癌剤治療のために入院ですて。」
    「立てる間は、この店で焼き鳥を焼きますは・・・・。」

    56歳。そんな私の人生の師匠たちの境地に入る年となったようだ。

    「欲は無く けっして瞋らず いつも静かに笑っている」

    「野原の松の 林の陰の 小さな藁葺きの小屋に居て」

    「みんなにデクノボウとよばれ ほめられもせず 苦にもされず」

    「そういうものに 私はなりたい」

    改めて、宮沢賢治さんや、良寛さんの覚悟と道のありがたさがよくよく分かる年になった。
    二人が法華経等の仏の教えを信じて、そのまんま生きてくれたから、
    どれだけの悲しみや孤独な魂は救われたことだろう。

    二人は、魂としてこの道をとぼとぼと歩く私の傍らにいつもいつも居ていてくんなさる。
    衰えることも、枯れることも受け入れ、自分のことを一番後にしようとする時、
    人にはやっと見える道があるのだった。
    親鸞はそれを白道と呼んだそうだ。
    迷いの中で目が霞んでいると、けっして見えない道が、
    この年になって、おぼろげながら見えてきた気がする。

    一切の答えは既に明々白々なのである。
    あとは、こだわらず、余計なことは考えず、欲を出さず、歩くだけなのだ。

    この道を信じて、錫杖を手に、裸足で草履を履いて、行脚することが生きることだったんだ。

    お地蔵様は、いつもそのお姿だった。
    ああ、菩薩行なのだな。
    56歳。ここまで生かされ、守られてきた人生だ。

    あのお地蔵様は、いつもいつも黙って微笑んでいるが、
    きっといつか私に、語りかけてくださるはずだ。
    その時は、ただ逃げないで、本当の勇気を出して、その道を行く人に私はなりたい。
    それが、56歳の決意かな。

    これまで私を支え、励まし、見捨てず付き合ってくれた、多くの人たちに感謝している。
    本当に本当に、それはありがたいことだったんだ。つくづくそう感ずる。

    晴れてきた。雀が鳴いた。走ってこよう。

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