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  • from: クマさんさん

    2013年12月03日 21時12分15秒

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    迷うな。一でいいんだ。一しかないんだ。

    「人間の心は、奥深いところで、集合的無意識である」

    しかし、書き始めてみたら、とてつもなく膨大なコトバと出会っていたことが分かり、
    途方に暮れている私である。
    しかし、本でであった言葉とは、言語ではなく、そのひとのコトバなのだ。
    その作者というひとに、どれだけ謙虚に真摯に正直に出会えるかで、
    コトバの意味は異なってくる。
    もう一つは、愛したこともなく、愛してもいないひとには、愛というコトバは響かないのだ。
    ひとには、もともとすべてのものがゆだねられてあるのに、
    そのことを体験していない限り、コトバの本質はそのひとの身体にはならないのだ。
    腑に落ちないから、言葉は言語のまま、そこに浮遊しているだけだ。
    コトバは、丹田で分かる。
    それまでの自分の体験を振り返り、そうだと言い切れるコトバをもつひとだけには、
    コトバの奥義は知らされるのである。
    ユングをだすまでもなく、意識下の意識は存在するのだ。
    あらやしきなる言葉があるが、仏教でもその領域には明確に触れている。
    ひとはひとが知っていることだけで判断し、決定したりするから、愚かなのだ。
    この知りようもない奥深いところにある、集合的無意識を「信じる」ならば、
    ひとは互の違いを認め合い、違いの中で尊重し合って生きていけるのだ。
    本当のことを言おう。
    ひとは、違っているようにみせかけて、すべては「一」に帰着するのである。
    「一」だけを想って、生きていけばよいのだ。迷うな、「一」だよ。

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