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  • from: クマさんさん

    2013年12月03日 21時29分23秒

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    さて、どう生きるか。何に賭けるか。何を信ずるか。

    「むしろ、人間の精神全体が、宗教の世界に包まれているか、少なくとも接しているというべきではなかろうか。ただ多くのひとが、それに気づかないでいるにすぎないのだと思われる。」

    宗教の世界をとてもとても遠いものと思い、自分とは全く関係のないものだというのが、
    日本人の一般的な考え方かもしれない。
    神だとか佛だとか、目には見えず、触ることも、証明することもできない存在に進行するなんぞは、
    この科学万能な理性的な世の中では、やっぱり無理なのだと問題にすらしないと想う。
    私も、かってはそうであったが、
    おばあちゃんが毎朝敬虔に仏壇に祈りを捧げる姿を見て、
    見えなくてもちゃんとおじいちゃんはそこに居るのだと思ったものだった。
    大事なことは、「こうなんだ。」とか、「こうであるに決まっている。」とかのドクサに、
    ひとは徹底的に犯されているのではないかということだった。
    「そんなことは見たことがない」「世の中とはそういうものだ」「そんなのあるわけないだろう」
    大人のそんないい加減な言葉を、子供たちには聞かせたくはないものだ。
    無いと言われているものは、ちゃんと在るのだ。
    在ると言われているものは、ちゃんといずれ無くなってしまうのだ。
    どうしてこんなに簡単なことが大人と呼ばれるひとには分からないのだろうか。
    ひとは、自分がコントロールできない不確かなものに信仰をもっているのだ。
    バブルがはじけ、リーマンショックが世界中の経済を混乱に落とし込めたのに、
    アベノミクスで株価の変動に一喜一憂している。
    これは、次の時代のバブルであり、リーマンショックであることが、
    どうして大人たちは分からないのだろうか。
    一時のつきである。これは、たんなるギャンブルなのだ。
    どちらに目を向け、何を自分を賭けるものとして信ずるかは、
    やっぱり失敗から学んだ大人の哲学しか答えを出せないのだと私は思っている。

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