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  • from: クマさんさん

    2013年12月05日 15時48分27秒

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    あるがままに あるがままを 見よだね。やっぱり。

    「与えられた現実世界をどう変えるかよりも、
                         それをどう受け取るかということに問題を移す」

    自分の人生を振り返ることがある。
    そして、やっぱりこれはこれでよかったのだと想う。
    いろいろとあったが、本当に愚かなる生き方だったが、
    やっぱりそれがあったからこそ、これがあったのだ。
    つまり、人生にとっての苦難や試練は、その最中には分からないが、
    次なる光への約束されたプロセスなのだと思えるようになったからだ。
    因果応報とか、縁とか言うのは、お釈迦様の言葉である。
    あれがあったから、これがあり、あれがなかったら、これもないのだ。
    つまり、私の人生に起きたことは、何一つ欠けては、今の私はなかったということだった。
    もしあの時、あの場所に居なかったら。
    もしあの時、あの道を通らなかったら。
    もしあの滝、あのことをしなかったら。
    やっぱりそこから道は、微妙にずれ、
    その微妙な角度は何年も何十年もしたら、
    どれだけ大きな開きとなっていることか分からないのだ。
    私にとっては、確かにひとがする必要もない試練の連続でもあったかもしれない。
    ただし、その道を歩いたから、よきひとたちと人生で出会うことができたのだ。
    苦難のプロセスは、良き出会いのためのプロミスであったのかもしれない。
    だから、今を悲嘆にくれ、絶望して受け入れるより、
    次なる自分の光のためのプロセスと考え、受け入れ、肯定できるひとになりたいものだ。

    「深い価値観に立ちうるならば、与えられている現実世界は、
                         そのままで理想世界になりうるという見解である。

    さて、この深い価値観とは、いったいどんな価値観であろうか。
    またまた深いである。
    この深いところから私の魂に呼びかけてくるものこそが、その価値観なのだと想う。
    それがよくよく見えないから、こうして彷徨ってばかりの私なのだが。
    しかし、このコトバの意味の深さは、やっぱり誰でも感じられるのだと思っている。
    「今、ここ じぶん その合計が じぶんの一生」みつを
    だから、この現実世界というのは、まず第一に、今 ここに生きている私のことなのだ。
    そして、私を取り巻く環境であり、私が置かれている境遇であり、
    私が私でコントロールしようもできない人間関係であり、
    私が切なくも、苦しくも生きていかねばならない自分の運命でもあるのだった。
    ある意味、すべてのものは私の思い通りにはならないものばかりなのだ。
    思い通りにならないものを、思い通りにしようとするから、苦しむばかりなのだ。
    人生の本質を「無常・苦・無我」と見られれば救われると、禅の坊さんが言っていた。
    「我を先にするか」「我をいらないと言えるか」
    そこに生きれば、この娑婆も住めば都の理想世界になるのだろうなぁ。
    やっぱり「居ても居なくてもいいひとに」ならねばならぬのだ。

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