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  • from: クマさんさん

    2014年06月30日 16時19分04秒

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    静かに心の声を聴く

    さてさて、久しぶりに昼間の庭に出た。
    モンシロチョウがひらひらと舞っていた。
    あっちこっちと花の蜜を吸っている。
    やっぱり花によっては味が変わるのだろうか。
    何も考えずにただ無心に舞っている。
    その生きるがいいなぁと、なんとなく思われた。

    父の植えた真紅のバラが三つ咲いていた。
    へぇっ、いつの間に蕾をつけていたんだろう。
    その薔薇は父から母への贈り物のようだった。
    自然とはこうして静かにそして確かに目には見えなくとも、
    微細に繊細にマクロの世界で移り行き変わりゆくものだった。
    自然とは、変わるということらしい。

    季節の移ろいも確かなものだ。
    私が復活してから早くも半年の月日がたった。
    季節は冬から春に、春から夏に変わろうとしている。
    昨年の今頃は、やっぱり庭を見て暮らしていた。
    昨年造った庭はすっかりと鬱蒼とした庭に成長している。
    生きるとは、こういうことなのかもしれないと、
    何だかこの鬱蒼加減に教えられる気がする。

    自然に、あるがままに生きたいものだと、私は願う。
    それは、やっぱりあのモンシロチョウのように無心にあることのようだ。

    そして、移り変わることに身を任せることである。
    私にとって、それは老いであり、衰えであろうとも、
    それを静かに受け入れて、ありがたく待つということでもあるようだ。

    だが、やっぱり鬱々と萌え出るようなエネジーは、
    この内から湧くに任せて、時には奔放に発散させることも大切だと思っている。

    こうあらねばならない。
    こうすべきである。
    それはいけない。
    実は、それってとても不自然なことではないだろうか。

    自然である吾の言葉を素直に聴いて生きる。
    それが悟りだと誰かが教えてくれた。

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