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  • from: クマドンさん

    2014年08月30日 10時27分12秒

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    自分が自分であるとは

    自分が自分らしくあるために、何をしたらよいのだろうか。
    自分の自とは、自然の自だとつくづく感ずる。
    その自然を呼吸しながら生きている。
    だから、その自然と一体になることが大切なんだ。
    息には、そんな自然と人の心とが書かれてある。
    そうなんだなぁ。
    いきをするという言葉から、「生きる」が生まれたと教えられたことがある。
    とにかく、こうして息をすることが大事なことだった。

    自分とは、自然のいのちの一部である。
    そんな自覚に徹することができたら、我欲も薄れていくことだろうと感ずる。
    自分なんぞ本当は存在していなかったりするのではないだろうか。
    ただ、自然のいのちの生き物としてのこの形があるだけ。
    ここには生かされている自分がいるだけ。
    それも弱くて、愚かで、ちっぽけな自分が。

    そんなちっぽけないのちに実は自然は満ち満ちている。
    いのちばっかりだ。
    プランタを掘ったら、ちっぽけな幼虫が出てきた。
    その横の土の上にはダンゴムシが這っている。
    アリもせっせと歩いていた。
    こぼれ落ちた種があり、土はそのいのちたちを養い育てている。

    いのちが在るということは、そのいのちを生かしている土があるということだ。
    今朝も突然の雨だった。
    雨上がりはそれはそれはすがすがしいものだった。
    クモの糸には水滴が光り、
    かかったちっぽけな哀れな獲物をクモはじっと見張っていた。
    いのちはとぎれなくつながっている。

    自ずからとは、そういうことらしい。
    あくせくあくせく生きることをいのちたちは悩んでいない。
    せっせせっせとその日を生きる。
    それは無心な営みだった。
    自然のいのちなら、私もそうやって無心で生きるだけでいいのではないだろうか。

    無心に生きたい。ダンゴムシのように。

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